本文へスキップ

巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-291

訓読

291
真木(まき)の葉のしなふ背(せ)の山(やま)偲(しの)はずて我(わ)が越え行けば木(こ)の葉知りけむ

意味

〈291〉
 真木の枝葉が美しく生い茂る背の山なのに、ゆっくり愛でるゆとりもなく私は越えて行く。でも、山の木の葉はこの気持ちを分かってくれただろう。

鑑賞

 題詞に「小田事(をだのつかふ)の背の山の歌」とあります。小田事は、伝未詳。「真木」は、杉や檜などの立派な木。「しなふ」は、若くしなやかな、美しい曲線をなす状態をいう語で、春の山、秋萩、藤の花房、美しい人の姿などに言います。「背の山」は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある山で、大和から紀伊に旅する人は、この山を越すと、国を離れて旅に出たという感を強くし、また「背」という名の連想で、妹を思わせられる歌が集中に多くあります。背の山は妹を思う山だというのが、当時一つの常識となっていたものと思われます。「偲はずて」は、ゆっくり賞美することもできずに。「木の葉知りけむ」は、木の葉は私の気持ちを分かってくれただろう。木の葉には神がいますという信仰があったとも言います。背の山をゆっくり愛でることもできずに越えたのは、その旅が官命にゆるものであったことを物語っています。

 ただし、通説となっている上掲の解釈に対する異論もあり、次のように主張しています。―― 「木の葉が人間の心を知る」という解釈は、いくら古代人が俗信深いとは言えとても受け入れ難い。もし「人間の心を知る」のが「木の葉」ではなく「木の本体」というのなら分かる。なぜなら私たちの先祖は記紀に見るように八百万の神々を信仰し、現代でもなお神社の境内などにある古木に注連縄を廻らし「神木」として信仰の対象にしているのをしばしば見かけるからである。しかし、「木の葉」が「人間の心を知る」ということになれば話は別である。なぜ「葉」でなければならないのか全く理解できないばかりか、文献や伝承にも例がない。しかも、このような俗信が歌になり『万葉集』に収録されているという事実は、この俗信が広く日本全体の人々に「共有」されていたと考えなければならない。しかし実際にはそのような痕跡はない。

 にもかかわらず、これまで殆どの万葉学者たちが 「木の葉が人間の心を知る」 という解釈を受け入れてきたのは、『万葉集』に次の歌があるからである。「天雲のたなびく山の隠りたる我が下心木の葉知るらむ」(雲のたなびく山のように包み隠した私の心の中は木の葉だけが知っているだろう)(巻第7-1304)。ところが、この解釈は第4句の原文「吾忘」の「忘」を「下心」の誤字だとする本居室長の説に従って原文改定した上でなされたものである。もし第4句が原文どおり「吾は忘るとも」と訓んで意味が通じるならば、これまでの291番歌の解釈はその根底から崩れてしまう。――

 以上のような論拠から、「木の葉が人間の心を知る」のではなく、ここの「木の葉」は、山道で人の踏みしめた落葉のことだとして、「真木の枝葉が美しく生い茂る背の山を越えて行くのに、あれこれ迷うことなくただ下に落ちて人に踏まれた落ち葉の跡を辿りながら進んで行くと、迷わず自的地にたどり着くことができる。通るべき正しい道は木の葉(落ち葉)が知っているだろう」のように解釈しています。したがって、1304番歌も同じく「天雲のたなびく山がこんもりと生い茂っている。そんな山の中を越えて行かなければならないが、私が山道の行き方を忘れても、木の葉(落ち葉)が行く道を知っているだろう」のように解釈しています。
 


『万葉集』の史料的価値

 『万葉集』は、単なる最古の歌集という文学的枠組みを超え、古代日本を知るための第一級の歴史史料として極めて高い価値を持っています。その内容は、大きく以下の3つの視点から整理できます。

  1. 複層的な社会構造の記録
     『万葉集』の最大の特徴は、天皇や貴族から、防人や東歌に代表される庶民まで、幅広い階層の歌が収められている点です。律令制下での重税や労役、徴兵(防人)といった厳しい現実が、当事者の視点から詠まれており、これらは『日本書紀』などの正史には現れにくい「民の生の声」を伝える貴重な記録となっています。
     また、 「東歌」に見られる当時の東国方言や風俗は、古代言語学や民俗学において、中央文化とは異なる独自の地域性を証明する唯一無二の史料となっています。
  2. 万葉仮名による言語学的価値
     漢字をその意味に関わらず日本の音を表記するために用いた「万葉仮名」は、上代日本語の姿を今に伝えるタイムカプセルの役割を果たしています。当時、 8つの母音体系(現在は5つ)が存在したことを示す音韻的証拠は、万葉集の表記の精密な分析から発見されました。
     また、「〜が〜なので」という理由を表すミ語法などの特殊な語法や、助詞・助動詞の変遷を辿る上で、これほど膨大かつ具体的なサンプルを持つ史料は他にありません。
  3. 政治史・精神史の補完
     正史である『日本書紀』や『続日本紀』が、公的・政治的な記録であるのに対し、『万葉集』は、当時の人々の精神構造や、権力争いの裏側にある感情を映し出します。たとえば 皇子たちの死を悼む挽歌には、公式記録では伏せられがちな政争の余波や、鎮魂の切実さが刻まれています。
     また、 大君(おおきみ)を神格化する神軍歌(かむいくた)や国見の歌からは、古代国家がどのようにして天皇の権威を宗教的・文化的に確立しようとしたかのプロセスが読み取れます。

 このように、『万葉集』は文学作品でありながら、言語学、民俗学、政治学、社会学といった多角的な学問領域において、日本の原像を解明するための不可欠な「証言者」といえます。

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。