| 訓読 |
300
佐保(さほ)過ぎて寧楽(なら)の手向に置く幣(ぬさ)は妹(いも)を目離(めか)れず相(あひ)見しめとそ
301
岩が根のこごしき山を越えかねて音(ね)には泣くとも色に出(い)でめやも
| 意味 |
〈300〉
佐保を通り過ぎ、奈良山の峠に手向けする幣(ぬさ)は、早く妻のもとに帰って逢えるようにとの願いからだ。
〈301〉
岩がごつごつと根を張っている山を越える辛さについ声を出して泣くことはあっても、妻への思いを人前で口に出したりはしない。
| 鑑賞 |
長屋王(ながやのおおきみ)が、奈良山に馬をとどめて作った歌2首。「奈良山」は、京都府と奈良県の境の丘陵。300の「佐保」は、奈良市法蓮町・法華町一帯で、長屋王の別邸があった地。「寧楽の手向」は、奈良山の峠を越える際、旅の安全を祈って道祖神を祭る場所。坂道を登り詰めたところで祈るので、峠の語源を「タムケ」とする説があります。「幣」は、神への捧げ物のことで、旅に出るときに、紙または絹を細かく切ったものを袋に入れて持参し、道祖神の前でまき散らして、旅の安全を祈りました。「目離れず」は、目から離れることなく、絶えず逢えるようにの意で、「目」が魂の交流にかかわる器官とされたための表現です。
301の「岩が根」は、大きな岩。「根」は、大地にどっしりと固定し根を張っている物につける接尾語。「こごしき」は、ごつごつして険しい。岩が重なり合って歩きにくい様子。「音には泣くとも」は、声に出して泣いたとしても。「色に出づ」は、行動や言葉を表面に出す意で、ここは妻を思う心を表す意。「めやも」は、どうして〜しようか、決して〜しない、という強い反語。長屋王は、元正天皇の妹、吉備内親王を妻としていました。
長屋王は高市皇子の長男で、天武天皇の孫にあたります。元明・元正天皇に重用され、藤原不比等が没した後に右大臣に、また、聖武天皇が即位すると、正二位左大臣に昇任しましたが、藤原氏が画策した光明子立后に反対して対立。すると、神亀6年(729年)に「長屋王が密かに要人を呪詛して国を倒そうと謀っている」との密告がなされ、長屋王は弁明も許されず、家族とともに自害させられました(長屋王の変)。妃の吉備をはじめ、膳部王・桑田王・葛木王・鉤取王ら幼少の命も絶たれましたが、同じ子ながら、安宿王・黄文王・山背王らは許されました。彼らは不比等の娘、多比等との間にできた子だったからです。事件の半年後の8月、光明子は立后し、日本史上はじめて皇族以外からの皇后となりました。同時に、元号が「天平」と改められ、歴史の歯車は大きく転換します。大邸宅だった長屋王邸は朝廷に没収され、のちに光明皇后の宮となりました。なお、この事件が冤罪だったことは、天平9年(737年)に藤原四兄弟が相次いで天然痘で亡くなった後に判明しています。

「妹」と「児」の違い
「妹」は、男性が自分の妻や恋人を親しみの情を込めて呼ぶ時の語であり、古典体系には「イモと呼ぶのは、多く相手の女と結婚している場合であり、あるいはまた、結婚の意志がある場合である。それほど深い関係になっていない場合はコと呼ぶのが普通である」とあります。しかし、「妹」と「児」とを、このように画然と区別できるかどうかは、歌によっては疑問を感じるものもあります。ただ、大半で「妹」が「児」よりも深い関係にある女性を言っているのは確かでしょう。
また、例外的に自分の姉妹としての妹を指す場合もあり(巻第8-1662)、女同士が互いに相手を言うのに用いている場合もあります(巻第4-782)。
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