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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-302・370

訓読

302
子らが家道(いへぢ)やや間遠きをぬばたまの夜(よ)渡る月に競(きほ)ひあへむかも
370
雨降らずとの曇(ぐも)る夜(よ)のしめじめと恋ひつつ居(を)りき君待ちがてり

意味

〈302〉
 妻が住む家までの道のりはやや遠いけれど、夜空を渡る月に負けずに行き着けるだろうか。
〈370〉
 雨は降らないが、空一面に曇っている夜に、しめじめと恋い焦がれておりました。あなたをお待ちしながら。

鑑賞

 中納言阿倍広庭(あべのひろにわ)卿の歌。阿倍広庭は、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)の子。慶雲元年(704年)ころ従五位上、聖武天皇即位の前後に従三位、左大弁、参議等を歴任し、神亀4年(727年)に中納言に任ぜられた人で、長屋王政権下で順調に昇進を果たしました。天平4年(732年)74歳で没。『万葉集』には4首の歌があります。

 
302の「子らが」の「子ら」は複数形ではなく、親しんで呼ぶ語。「が」は、連体格助詞。「家道」は、妻の家までの道の意。「やや間遠きを」の「を」は逆接で、やや遠いのに。「ぬばたまの」は、ぬばたま(ヒオウギ)の実が真っ黒なことから「夜」にかかる枕詞。「夜渡る月」は、夜空を渡っていく(動いていく)月。「競ひあへむかも」の「あへ(あふ)」は、堪える、~できる、の意。「か」は疑問、「も」は詠嘆。競いおおせるだろうか。月夜に妻の家へ通って行く道中、だんだん傾いてきた月を見て、残りの道程を思い、心もとなさを感じている歌です。

 
370の「との曇る」は、一面に曇る。「しめじめと」の原文「潤濕跡」とあるのは難訓で、「ぬるぬると」「潤(ぬ)れ湿(ひ)づと」などと訓むものもあります。上2句からの続きとしては、じめじめするさまを表し、第4句への続きとしてはずるずるするさまを表す、あるいは「濡れひたると思って」などと解されます。「恋ひつつ居りき」の「つつ」は動作の継続。「き」は過去の助動詞で、恋い慕い続けていました。「君待ちがてり」の「がてり」は、一つの事をする傍ら、他の事をも兼ねてする意の語で、待ちながら。来訪を約束してある友が到着した時、その喜びをいった歌とされます。

 なお、広庭の父、
阿倍御主人(あべのみうし)は、『竹取物語』に、かぐや姫に求婚する貴公子の一人として登場しています。御主人は、672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側について活躍、初め布勢御主人(ふせのみうし)と称していましたが、後に阿倍氏の氏上となり、以後阿倍氏を称しました。大納言を経て従二位・右大臣になった人で、物語の中では、藤原不比等に擬せられた庫持皇子のような悪辣さはないものの、何でも金次第という金権政治家として描かれています。
 


『竹取物語』

 平安時代初期の物語文学(1巻)で、9世紀後半の成立とされます。『源氏物語』に「物語の出(い)で来はじめの祖(おや)」と評され、現存する最も古い物語であり、作者は不明ながら、文体・用語・思想傾向などから漢籍や仏典にくわしい中級貴族の男性知識人と推測されています(紀貫之とする説も)。

 竹取りの老人が竹の中に見つけた小さな女の子は、やがて成長して光り輝く美女となります。「かぐや姫」と名づけられた彼女のもとには多くの求婚者が訪れますが、熱心な5人の公達や帝の求婚をも退け、ついには8月15日の夜に月の国へと帰るというストーリーです。

 登場人物については、かぐや姫・老夫婦・帝などは架空の人物ですが、実在の人物が登場していることも 本作品の特徴です。5人の公達のうち、阿部御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物であり、また、庫持皇子のモデルは藤原不比等、石作皇子のモデルは多治比嶋だっただろうと推定されています。この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台に設定されたものと見られています。

 書名の『竹取物語』は通称であり、平安時代から室町時代にかけては、『竹取の翁の物語』『かぐや姫の物語』『竹取』『竹取翁』などと呼ばれていました。書名からすれば、「竹取の翁」が主人公のようでもあります。作者による原本は存在しないものの、伝本の数は100を超えるほど多数あります。最古の写本は意外に新しく、里村紹巴(さとむらじょうは)筆の1570年奥書本であり、成立の推測される平安時代から700年余を経ています。

 なお、チベットにもこれとよく似た話があり『竹取物語』の原型かと注目されましたが、大正ごろに日本から輸入されたとの説もあります。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。