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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-364~367

訓読

364
ますらをの弓末(ゆずゑ)振り起(おこ)し射(い)つる矢を後(のち)見む人は語り継(つ)ぐがね
365
塩津山(しほつやま)打ち越え行けば我(あ)が乗れる馬ぞつまづく家(いへ)恋ふらしも
 
366
越(こし)の海の 角鹿(つのが)の浜ゆ 大船(おほぶね)に 真梶(まかぢ)貫(ぬ)き下ろし 鯨魚(いさな)取り 海路(うみぢ)に出(い)でて 喘(あへ)きつつ 我(わ)が漕(こ)ぎ行けば ますらをの 手結(たゆひ)が浦に 海人娘子(あまをとめ) 塩(しほ)焼く煙(けぶり) 草枕(くさまくら) 旅にしあれば ひとりして 見る験(しるし)なみ 海神(わたつみ)の 手に巻かしたる 玉たすき 懸(か)けて偲(しの)ひつ 大和島根(やまとしまね)を
367
越(こし)の海の手結(たゆひ)が浦を旅にして見れば羨(とも)しみ大和(やまと)偲(しの)ひつ

意味

〈364〉
 立派な男子たる私が弓の先端を振り起こして射かけた矢、その矢の見事さは後の世の人が語り継いでいくだろう。
〈365〉
 塩津山を越えていくとき、私の乗っている馬がつまづいた。家で妻が私を恋しがっているからだろう。
 
〈366〉
 越の海の敦賀の浜から大船の舷(ふなばた)に艪(ろ)をたくさん取り付けて、海に乗り出して喘ぎながら漕いでいくと、立派な男子を思わせる手結(たゆい)の海岸で、海人娘子たちが藻塩を焼く煙が立っているのが見える。旅の途上でひとり見ても甲斐がないので、海の神が手に巻いて持っておられる玉という名をもった玉たすきを懸けるように、心にかけて共に見たいと思った、故郷の大和の国を。
〈367〉
 越の海の手結が浦を、旅にあって一人見ていると、もったいないほどの絶景に惹かれ、愛しい人のいる大和を思い慕った。

鑑賞

 364・365は、笠金村が塩津山で作った歌。「塩津山」は、琵琶湖北端の地、長浜市西浅井町塩津浜から敦賀に越えて行く国境の山で、難所として知られていました。越前から運ばれてきた塩をここから都に湖上輸送したことから「塩津」と呼ばれました。ここの歌は、笠金村が都から北陸へ行く道中に詠んだ歌と見られます。あるいは、後に配列される歌々から、石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)の越前国守赴任に随行した折の作かともいわれます。

 
364の「ますらを」は、勇気ある立派な男子。「弓末」は、弓を立てたときの上の方。「振り起し」は、横に持っていた弓を立てること。「語り継ぐがね」の「がね」は、願望の終助詞。この時代、旅行で深い山などを通る際に安全を願って峠の神木に矢を射る風習があったとされ、諸国に矢立峠(やたてとうげ)・矢立杉(やたてすぎ)の名が残っているのはそのためだといいます。その矢は神事の矢であるため、巨大な鏃(やじり)が多く、自身が見事に射当てたその矢を、多くの人が見て語り継ぐだろうと自慢しています。言語学者の犬養孝は、この歌を評し、「”ますらお”の希望と自信に張りみちて、ひそかな山間に放たれてゆく矢を通しての悠久への願いを表出するその気概や、生動味のあふれる颯爽としたその声調には、かれの持ち味がよく生かされている」と述べています。

 
365について、旅中自分の乗る馬がつまずくのは、家の人が自分を恋しく思っているからだという俗信がありました。上代の馬は、現代の競走馬とは違い、体高(肩までの高さ)は130センチほどの小型でした。がっしりした体形の馬でも、人を乗せるのはけっこう辛かったはずで、ひょっとしてつまずきやすかったのかもしれません。「恋ふらしも」の「らし」は、根拠のある推定、「も」は詠嘆。

 366・367は、笠金村が角鹿(敦賀)の港で船に乗った時に作った歌。どこに向かったのかは分かりませんが、当時の旅行は陸路より海路の方が容易だったことから、でき得る限り船で往き来していたと見られます。また敦賀は、早くから大陸との交通のひらけた要港でもあり、これは記紀の記載にも見られます。

 
366の「越」は、越前から越後にかけての地。「浜ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「真楫」の「真」は、接頭語、「楫」は、左右揃った艪。「貫き下ろし」は、櫓を舷にさし通して。「鯨魚取り」は「海」の枕詞。「ますらをの」は「手結」の枕詞。「手結」は、弓を射る時に手に巻く物で、ますらをが身につける意から、同音の地名の「手結」に掛けたもの。「手結が浦」は、敦賀湾の東岸、今の田結(たい)の海浜。古代には製塩が行われ、皇室の料として近江の塩津から大和へと運ばれていました。「草枕」は「旅」の枕詞。「見る験なみ」は、見る甲斐がないので。「海神の手に巻かしたる」は「玉」を導く譬喩式序詞。「玉たすき」は「懸く」の枕詞。「大和島根」は、大和国の意。367の「羨し」は、珍しく愛すべきという意。
 


わたつみ(海神・海若)

 ワタ(海)+ツ(格助詞)+ミ(霊格を示す接尾語)で、『万葉集』では海の神、あるいは海そのものとして詠まれる。ウミ(海)が「近江の海」「伊勢の海」のように、「地名+ウミ」と表現されるのに対し、ワタツミには地名は冠されない。これはワタツミが、元来「海の神」をあらわす語であることを示していよう。

 「わたつみの」は、オキ・オク(沖・奥)の枕詞でもある。これは海神が、遠く離れた沖の宮に居るとされたことによる。またワタツミのいる沖は「海界(うなさか)」と称されるように、異界とつながっていた。ワタツミは、「神代記」一書ではトヨタマビコのこととされ、その娘たちもトヨタマビメ、タマヨリビメと呼ばれているように、玉との結びつきが強い。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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