| 訓読 |
368
大船(おほふね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み磯廻(いそみ)するかも
369
物部(もののふ)の臣(おみ)の壮士(をとこ)は大君(おほきみ)の任(ま)けのまにまに聞くといふものぞ
| 意味 |
〈368〉
大船に多くの楫を取り付け、大君の仰せを謹んで承り、磯巡りをすることであるよ。
〈369〉
朝廷に仕える官人たる者は、大君のご命令のとおりに、いかなることも諾い従うべきものです。
| 鑑賞 |
368は、石上大夫(いそのかみのまへつきみ)の歌。「大夫」は、四位・五位の人への称。左注に「今考えると、石上朝臣乙麻呂(いそのかみのあそみおとまろ)が越前の国守に任ぜられている。あるいはこの大夫か」との記載があります。天平11年(732年)に密通事件で土佐に配流された時の歌が、巻第6-1019~1023にあります。「大船に真楫しじ貫き」は成句で、大船に左右の艪を数多く取り懸けて。「大君の命畏み」も成句で、天皇の仰せ言を謹み承って。「磯廻するかも」の「磯廻」は、磯の周りを巡ること。「かも」は、詠嘆の終助詞。どういう際の歌であるか明らかでないものの、次の歌との関係で、国守として任地にあった石上大夫が、国内を巡視するための航海をした際の歌、あるいは国守として赴任する時の歌と見られます。窪田空穂は、「『礒廻するかも』には、いわざる嘆きがある」と言っています。
369は、368に和した作者未詳歌。ただし、左注に「笠朝臣金村の歌集に出ている」とあるので、金村の歌かもしれません。「物部」は、朝廷に仕える文武百官。「臣」は、臣下。「壮士」は、壮年の男子。「任け」は、地方官に任命して派遣すること。「まにまに」は、従って。「聞く」は、ここでは諾い従う意。石上大夫の「磯廻するかも」という嘆きの心を汲み取って激励しているもので、従者というより、ほぼ対等に近い、親しい間柄の人であるかのような歌になっています。

きく(聞く)
キクとは、外界の音や声が人に影響を与え(依り憑き)、心に新たな気分や思いが生じたり、何かを判断したり、言葉の内容を受け入れたりすることをいう。瞼によって閉ざすことのできる目とは異なり、耳は常に外界の音や声に対し開かれている。そうでありながら、あらためて音や声をキクと表現するのは、キクが音や声を単に耳にとらえたことをいうのではなく、それらに人の注意や関心が引きつけられ、人の心に変化を生じさせるといった意味までも含んでいるためである。現代語でも、「親の言うことを聞きなさい」といった場合のキクは単に声を耳で捉えることではなく、その内容を理解し、それに従うことまでを含んでいる。
なお、問う、尋ねるといった意味のキクの確実な例は『万葉集』にはない。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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官僚制度のしくみ
上代の中央官制は一般に「二官八省」と呼ばれ、まず最高行政機関として神祇官(じんぎかん)と太政官(だいじょうかん)とが置かれました。太政官の長官は太政大臣(臨時)で、これに次いで左大臣・右大臣が置かれ、その下に大納言、さらにその下に少納言・左弁官・右弁官が置かれました。左弁官の下には中務省・式部省・治部省・民部省の4省が、右弁官の下には兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省の4省が置かれました。
わが国の上代の官制は中国の律令制の官制を導入したものですが、中国の官制と大きく異なる点は、太政官と対等な立場で神祇官を置いた点にあり、律令的官僚支配がまだ浸透していないわが国においては、祭祀による支配権の顕示が必要不可欠であったことを物語っています。
また、中央には二官とは別に「一台五衛府」と呼ばれる司法・警察組織が置かれました。すなわち風紀粛清・犯罪取り締まりを掌る弾正台(だんじょうだい)、宮中の警備、京中の巡検・追捕などを掌る衛門府(えもんふ)・左右衛士府・左右兵衛府です。
地方官制としては、都に左右京職が置かれ、官用の港がある摂津には摂津職が置かれ、北九州には大宰府が置かれ、北九州の警備と外交の職務にあたりました。国土は大和・山城・摂津・河内・和泉の五畿と、東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道の七道に分けられ、国の下に郡が置かれ、国司・郡司が統治にあたりました。国司は中央から派遣され、郡司は多くは旧地方豪族がそのまま任命されました。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |