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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-375

訓読

375
吉野なる夏実(なつみ)の川の川淀(かはよど)に鴨(かも)ぞ鳴くなる山陰(やまかげ)にして

意味

〈375〉
 吉野の菜摘の川の淀んだあたりで鴨の鳴く声がする。山陰のあたりで、ここから姿は見えないけれども。

鑑賞

 湯原王(ゆはらのおおきみ)が吉野で作った歌。湯原王は、天智天皇の孫、志貴皇子の子で、兄弟に光仁天皇・春日王・海上女王らがいます。天平前期、万葉後期の代表的な歌人の一人で、父の端正で透明感のある作風をそのまま継承し、またいっそう優美で繊細であると評価されており、家持に与えた影響も少なくないといわれます。兄弟の白壁王が聖武天皇の皇女(井上内親王)を妻として位階を進め、即位の約1年半後には、皇后や皇太子を廃して獄死させているのと比較すると、王は、人間らしい風雅の道を選んだらしくあります(本心や才能を隠しつつ政争から逃れ、一生無位だったともいわれます)。生没年未詳。『万葉集』には19首。

 「吉野なる」は、吉野にある。「夏実の川」は、奈良県吉野町の吉野宮があった宮滝よりは上流、菜摘の地を流れる吉野川。この辺りで川が湾曲し、半島状となった地の尖端にあたるのが菜摘で、ここは吉野でも佳景とされ、集中に他にも歌があり、『懐風藻』の詩にも扱われています。「川淀」は、流れが淀んだところ。「鴨ぞ鳴くなる」の「なる」は「ぞ」の係り結びで連体形。
斎藤茂吉は、「大景から小景へとしだいに狭められ、そこで鳴く鴨といういささかなものを捉え、結句の『山陰にして』は、一首に響く大切な句で、ここに作者の感慨がこもっている」と言っています。ニシテ止めの先駆をなすものとして、余情豊かでいかにもさわやかな響きの歌であり、『新古今集』にも収録されています。

 大台ケ原から流れ出した吉野川は、蛇行しながら北西に流れ、五條市を抜けて和歌山に入り、そこから紀の川と名前を変えます。
 


吉 野

 古くは「芳野」「美吉野」とも表記された吉野という地名は、普遍的なもので、「よい野」、すなわち、吉野川流域の広い地域を指し、最も狭くは吉野山を指します。吉野の自然の特徴は、水量豊かな吉野川と檜の木立に覆われた吉野山にあります。『万葉集』では、大和国にありながら「吉野の国」とあります。吉野川の上流の宮滝には吉野離宮跡があり、応神・雄略・天武・持統・文武・元正・聖武天皇が行幸し、とりわけ持統天皇は、在位中に31回も行幸しています。 

『懐風藻』

 天平勝宝3年(751年9に成立した、現存するわが国最古の漢詩集。全一巻で120首の漢詩を収めています。撰者は未詳。作者は大友皇子から葛井広成までの64人で、天皇をはじめ、川島皇子、大津皇子、葛野王、僧の智蔵・弁正、石上乙麻呂らの諸臣。それらの作風は、中国、とくに六朝詩の影響が大きく、初唐の影響も見られます。序文には、天智天皇の御代には多くの詩編があったものの減尽したこと、近江朝の安定した政治による平和が詩文の発達を促し、多くの作品を生んだことが記されています。 

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斎藤茂吉と『万葉集』

 近代アララギ派の巨匠であり、精神科医でもあった斎藤茂吉(1882〜1953年)にとって、『万葉集』は単なる古典の研究対象を超え、彼の歌生命の源泉であり、生涯をかけた信仰そのものでした。茂吉の『万葉集』に対する関わりは、熱狂的な「万葉調」の創作実践と、緻密な実証精神に基づく膨大な研究という、実作と学問の幸福な結実として語ることができます。

  1. 創作における結晶~「実相観入」と万葉の生命力
     茂吉は師である正岡子規、伊藤左千夫が提唱した「写生」の説を発展させ、独自の芸術論である「実相観入(じっそうかんにゅう)」へと深化させました。「実相観入」とは、歌い手自身の主観(心)が、対象(自然や現実の事物)のありのままの姿(実相)に深く溶け込み、一体化することによって、対象そのものの内なる生命を写し取る、という歌学理論です。この理論のバックボーンとなったのが『万葉集』でした。茂吉は万葉和歌に、後世の技巧や理屈に曇らされていない「人間と自然とのダイレクトなぶつかり合い」を見出しました。
     彼の第一歌集『赤光(しゃっこう)』(1913年)や、それに続く『あらたま』では、万葉の響きや語彙(「〜かも」「〜ゆゆし」など)を大胆に導入しながら、近代人の強烈な自我や、生と死、エロスへの衝動を、圧倒的なエネルギーで詠み上げました。彼にとって万葉調とは、回顧的な擬古(古典の真似事)ではなく、「現代の生を最も力強く表現するための唯一の武器」だったのです。
  2. 研究における執念:大著『万葉秀歌』と評釈の山
     茂吉は生涯を通じて『万葉集』の研究に没頭し、専門の国文学者も驚嘆するほどの質と量を誇る業績を残しました。そのアプローチは、精神科医(科学者)としての冷徹な実証眼と、歌人としての鋭い直感が融合したものでした。彼の著書『万葉秀歌』(岩波新書)は、上代和歌の入門書・鑑賞書として今なお読み継がれる名著です。万葉集から厳選した秀歌について、一首一首の言葉の響きや情景を、実作者ならではの感性で活写しています。
     また、『評釈万葉集』などの膨大な注釈作業によって、柿本人麻呂や山部赤人、大伴家持ら、万葉の歌人一人ひとりの作品を徹底的に語釈(言葉の意味の解釈)し、評釈を加えました。特に柿本人麻呂への傾倒は凄まじく、全5巻に及ぶ『柿本人麻呂』を著し、帝国学士院賞を受賞しています。
     茂吉の評釈の特徴は、単に訓読や文法を整理するだけでなく、「その歌が詠まれた瞬間の、歌人の心の動き(心理的リアリティ)」にどこまでも迫ろうとした点にあります。
  3. まとめ
     江戸時代の本居宣長らが「古代の正しい言葉と心」を解き明かすために『万葉集』に向き合ったのだとすれば、斎藤茂吉は「千年前の強靭な生命力を、現代の短歌の中に完全に蘇生させる」ために万葉に向き合いました。彼によって『万葉集』は、埃をかぶった古典籍から、今を生きる人間のドクドクと脈打つ感情を表現するための「生きた教科書」へと変貌を遂げたと言えます。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。