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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-376・377

訓読

376
蜻蛉羽(あきづは)の袖(そで)振る妹(いも)を玉櫛笥(たまくしげ)奥に思ふを見たまへ我(あ)が君
377
青山の嶺(みね)の白雲(しらくも)朝に日(け)に常に見れどもめづらし我(あ)が君

意味

〈376〉
 とんぼの羽のように薄く美しい袖をひるがえして舞うあの子を、私は秘蔵の思いで愛しく思っているのです、よくよく御覧になって下さい、我が君よ。
〈377〉
 青山の峰にかかっている白雲のように、朝夕いつも見ているけれども見飽きることのない可愛い女です。我が君よ。

鑑賞

 湯原王(ゆはらのおおきみ)が宴席で詠んだ歌2首。376の「蜻蛉羽」は、蜻蛉(とんぼ)の羽の意で、薄く、軽く、美しいさまを表現する語。次の「袖」の薄さの譬喩となっています。「袖振る妹を」は、宴席で舞をして袖を振る舞女を、の意。「玉櫛笥」の「玉」は美称、「櫛笥」は櫛や鏡を入れる箱。ここでは、女性が櫛笥を大切に思うことから「奥に思ふ」に掛かる枕詞として用いています。「奥に思ふ」は、大切に思っている、秘蔵に思っている意。王が「我が君」と呼ぶ親しい客をもてなした時、王の侍女と思われる者に舞を舞わせ、その挨拶として詠んだ歌です。人に物を贈る時などに、その物が良い物であることや、その物を得るのに苦労したことをいうのが、上代の風習であったように、ここでも、今舞わせている女は、自分にとっては大切な者だというのが礼であって、その心をもって詠んだ歌です。さらには、王がいかにその女を愛しているかを露わに表現しています。窪田空穂は、「柔らかく、神経がとおっていて、品位を保ち得ている作である」と評しています。

 
377の「青山」は、樹木が茂っているために青く見える山。「嶺の白雲」は、山の頂上にかかっている雲。「朝に日に」は、朝に夕に。「めづらし」は「愛づらし」で、良いものは見飽きない意。「我が君」は、前歌と同じく、客人に対する呼びかけ。初句から結句の「めづらし」まで、すべて譬喩となっており、しかも譬喩であることを表す一語も用いていませんが、前歌に出た、王の秘蔵の女性である舞女のことを言っているものと理解できます。一方、前歌から転じて、宴席の客人を賛美した歌と捉える説もありますが、客人に対して「朝に日に常に見れども」と言うのは違和感があるところです。また「めづらし我が君」という修飾も文法的に例がないことから、ここは「めづらし、わが君」であり、「めづらし」の主体はあくまで舞女であると考えられます。

 
湯原王は、天智天皇の孫、志貴皇子の子で、兄弟に光仁天皇・春日王・海上女王らがいます。天平前期、万葉後期の代表的な歌人の一人で、父の端正で透明感のある作風をそのまま継承し、またいっそう優美で繊細であると評価されており、家持に与えた影響も少なくないといわれます。兄弟の白壁王が聖武天皇の皇女(井上内親王)を妻として位階を進め、即位の約1年半後には、皇后や皇太子を廃して獄死させているのと比較すると、王は、人間らしい風雅の道を選んだらしくあります(本心や才能を隠しつつ政争から逃れ、一生無位だったともいわれます)。生没年未詳。『万葉集』には19首。
 


宴席のあり方

 当時の宴には、一定の約束事がありました。宴には、原則として主人(あるじ)と正客(しょうきゃく:主賓)とがおり、他の客はいわば正客のお相伴にあずかるような形でした。そして、宴は基本的に夜通し行われました。このような宴のあり方は、その起源である神祭りと関係します。祭りの本質は、神を迎えて饗応することにあり、宴はその饗応に起源をもちます。宴の正客が神に対応し、主人は祭り手の立場に重ねられ、宴が徹夜で行われるのも祭りのあり方を受け継ぐものです。

 宴の次第についても原則があったらしく、まず客を迎える主人が歓迎の言葉を述べ、客もまた招かれたことへの感謝の意を示します。酒杯の取り交わしにも、それぞれの挨拶が求められました。宴が果てると、客からもてなしの礼と辞去の言葉が、また主人から引き留めの言葉が述べられます。客は名残を惜しみつつ帰途につくことになります。そして、それらの挨拶は、歌を伴うのが通例でした。このような宴の次第は、神を迎え、饗応し、送るという祭りのあり方とぴたりと符合するのです。 

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。