| 訓読 |
388
海神(わたつみ)は くすしきものか 淡路島(あはぢしま) 中に立て置きて 白波(しらなみ)を 伊予(いよ)に廻(めぐ)らし 居待月(いまちづき) 明石(あかし)の門(と)ゆは 夕(ゆふ)されば 潮(しほ)を満たしめ 明(あ)けされば 潮を干(ひ)しむ 潮騒(しほさゐ)の 波を畏(かしこ)み 淡路島 磯隠(いそがく)り居て 何時(いつ)しかも この夜(よ)の明けむと さもらふに 寐(い)の寝(ね)かてねば 滝の上(うへ)の 浅野(あさの)の雉(きぎし) 明けぬとし 立ち騒(さわ)くらし いざ子ども あへて漕(こ)ぎ出(で)む 庭(には)も静けし
389
島伝ひ敏馬(みぬめ)の崎を漕ぎ廻(み)れば大和(やまと)恋しく鶴(たづ)さはに鳴く
| 意味 |
〈388〉
海神は何と霊妙なものであることか。淡路島を海の真ん中に立てて置いて、白波を伊予の国までめぐらし、明石海峡からは、夕方になれば潮が満ちて来て、明け方になるとその潮を干させる。潮騒が恐ろしくて、淡路島の磯の陰に船を隠し、いつになったら夜が明けるだろうと様子をうかがい、寝るに寝られずにいると、滝の上の浅野の雉が、夜が明けたとて立ち騒ぎ出した。さあ皆の者、思い切って漕ぎ出そうではないか。ちょうど海面も静かだ。
〈389〉
島伝いに敏馬の崎を漕ぎめぐって行くと、故郷大和への恋しさをつのらせて、鶴たちが多く鳴いている。
| 鑑賞 |
公用での船旅で、瀬戸内海の西方から難波津に向かい、一夜を淡路島で過ごし、翌朝出航するまでを詠んだ歌とされます。反歌の左注に、若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ:伝未詳)が伝誦した歌で、作者は分からないとあります。若宮年魚麻呂は、巻第3に1首(387)を残すほか、長歌2首、短歌2首の伝誦者としてその名が記されています。
388の「くすしき」は、不思議な、霊験あらたかな。「淡路島中に立て置きて」は、淡路島を本州と四国の間に置いての意。主語は海神。「伊予」は、四国の伊予の国。「居待月」は、旧暦18日の月。夜を明かして待つ意で「明石」にかかる枕詞。「磯隠り居て」の「磯」は岩石のある岸辺で、そこに隠れ過ごして。「さもらふ」は、波風の様子を見て待機する。「浅野」は、淡路島北淡町浅野。山中に浅野の滝があります。「明けぬとし」は、夜が明けたとて。「いざ子ども」は、船頭たちに呼びかけた語。「あへて」は、勇気を出して、思い切って。「庭」は、労働を行う場所のことで、ここは海上。389の「敏馬」は、神戸市灘区岩屋町付近。「さはに」は、多く。

には(庭)
特定の作業や神事などをとり行うための空間の広がりをいう語であり、地面のみならず、水面の広がりをもいう語であった。後の「場(ば)」という語はニハから転じたものであり、「桜庭(さくらば)さん」など、人名で「庭」をバと読むのはそのためである。
「仲哀記」に、天皇が熊襲国(くまそのくに)を討伐しようとした時に、建内宿禰(たけうちのすくね)が「さ庭(には)」で神託を請い、大后(神功皇后)が依せた神が西方の国を与えようという神託を下す話が見られる。仲哀天皇は西方に国は見えず海ばかりだと答えて神の怒りを買って崩御し、神功皇后による新羅征討へとつながる話であるが、ここでは「さ庭」が神の意志を聞く場として登場している。
ニハが神託を受ける場所であったのは、ニハが異界と接する場所であったためである。『古事記』に見られる、八千矛神(やちほこのかみ:大国主の異名)が越(こし)の国の沼河比売(ぬなかわひめ)のもとに求婚に訪れた折の歌謡では、戸を開けてもらえず求婚の願いが叶えられないまま夜が明ける様子が、「・・・青山に ぬえは鳴きぬ さ野つ鳥 きざしは響む 庭つ鳥 かけは鳴く・・・」(記二)と歌われている。山で鵼(ぬえ)が鳴き、野で雉(きじ)が鳴き、庭で鶏が鳴くというように、夜明けは異界である山から野へ、さらに人に接する場である庭へと訪れる。つまりニハは異界から訪れるものと人とが接する場所でもあったのである。
柿本人麻呂の「羇旅歌八首」の中の次の歌は、ニハが家屋に接した地面を言うのみならず、作業等を行う広がりであったことをよく示している。
「飼飯の海の庭好くあらし刈薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船」(巻第3-256)
飼飯の海は淡路島西岸の海で、四国の阿波国への道筋にあたる。そこに乱れて浮かぶ漁師たちの舟を見て、飼飯の海の「庭」が良好であるらしい、と推定している。この「庭」は漁師たちが漁をする海面の広がりを指している。海が穏やかであることを確信的に推定する歌意の根底には、自らの船旅が無事であることを願う心がある。
現在では、木々が植えられ、さまざまに趣向の凝らされた庭園を「庭」と呼ぶこともあるが、万葉の頃は、草木などを植える「園(その)」、さまざまな造作の施された「山斎(しま)」とは区別されて、ニハは家屋の前の平面の広がりを指す語であった。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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