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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-398・399

訓読

398
妹(いも)が家に咲きたる梅のいつもいつも成(な)りなむ時に事(こと)は定めむ
399
妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ

意味

〈398〉
 あなたの家に咲いている梅が、いつなりと、実になったという時に、事は取り定めよう。
〈399〉
 あなたの家に咲いている花の、その梅の花が実になったら、どのようにも定めよう。

鑑賞

 題詞には「藤原朝臣八束(ふじはらのあそみやつか)の梅の歌二首」とあり、想い人を梅に喩えて詠んだ歌。相手が誰であるかは分かりません。398の「妹が家」の「家」は、「いへ・へ」の両様の訓みがあります。下に「咲きたる梅」と娘を指している語があることから、ここは娘の母親の家の意になります。「いつもいつも」は、絶えずとの意もありますが、ここは、いつなりとも、いつにても。「成りなむ時に」は、実になるであろう時に。女が成熟することに喩えています。「事は定めむ」の「事」は、結婚のこと。「定めむ」は、取り定めよう。

 
399の「花の梅の花」の「花の」の「の」は、同格の語を重ねて言う時に用いる助詞で、「すなわち」というのに当たります。「実にしなりなば」の「し」は、強意の副助詞。実になったならば。「かもかくもせむ」の「か」は遠称、「かく」は近称の副詞で、どのようにも思うままにしよう、の意。2首連作と見られ、399の歌の方がより強い願望を表しています。いずれの歌の内容も中国の『詩経』の召南、標有梅篇に模範があるといわれ、当時、こうした教養を基盤にした新知識によって作歌したものと見られます。

 
藤原八束は、藤原四兄弟の一人、藤原房前(ふじわらのふささき)の第3子で、後に真楯(またて)と改名。天平12年(740年)に従五位下から従五位上となり、右衛士督、式部大輔、左少弁、治部卿などを歴任し、天平勝宝2年(750年)ごろには従四位上、ついで参議、大宰帥に任じられました。『続日本紀』薨伝に、「度量弘深、公輔の才あり。官にあっては公廉にして慮私に及ばず、聖武天皇の寵愛厚く、詔して奏宣叶納(天皇への奏上と勅旨の伝達)に参ぜしめられ、明敏にして時に誉れあり、その才を従兄仲麻呂に妬まれて病と称し家に籠もって書籍を弄んだ」旨の記載があります。藤原一族でありながら、大伴家持と親交があったようで、『万葉集』にもそのことが窺える記述があります。また、天平5年ころ、山上憶良の病床にも見舞いの使者を立てています(巻第6-978)。『万葉集』には短歌7首、旋頭歌1首。
 


『万葉集』に詠まれた梅

 『万葉集』で梅を詠んだ歌は119首にのぼり、これは植物として、萩の142首、こうぞ・麻の138首に次ぐ多さです。ただし、『万葉集』における「梅」は、現代の私たちが思い浮かべる桜を中心とした鑑賞文化とは異なります。奈良時代、梅は中国から渡来したばかりの珍しく貴種な花でした。そのため、梅を愛でることは最新の教養であり、風流・風雅の代名詞とされました。『万葉集』で詠まれる梅の多くは「白梅」です。また、花の色だけでなく「雪と見まがう美しさ」や「風に乗って漂う豊かな香り(匂い)」が多く詠み込まれています。梅を詠んだ歌としては、天平2年(730年)、大宰帥(大宰府の長官)であった大伴旅人の邸宅で開かれた歌会「梅花歌宴」は特に有名です。ここで詠まれた32首の序文(梅花歌宴の序)から、日本の元号「令和」が引用されました。

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『詩経』と日本人との関り

 『詩経』と日本人の関わりは、1300年以上の歴史を持つ非常に深く精神的なものです。日本の文学や言語、さらには元号にいたるまで、『詩経』は日本人の教養と思索の根底に静かに息づいてきました。『詩経』が日本に伝来したのは、遅くとも大化の改新(7世紀)より前、仏教や漢字の伝来とほぼ同時期とされています。

 最初期にその洗礼を受けたのが、日本最古の和歌集である『万葉集』です。『詩経』の最大の特色である、自然の景物をきっかけに己の感情を詠み出す「興」の技法は、万葉歌人が用いた「序詞(じょことば)」の構造に大きな影響を与えた、あるいは元々日本人が持っていた感性と深く共鳴したとされています。

 万葉歌人の中でも特に儒教的教養の深かった山上憶良は、『詩経』の精神を強く意識していました。彼の代表作「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」という家族愛・児童愛の視点は、『詩経』国風(民謡)に流れる素朴で切実な人間愛の系譜と地続きであると言えます。

 平安時代になると、漢学(文章道)を学ぶ貴族たちにとって、『詩経』(当時は注釈書を伴って『毛詩(もうし)』と呼ばれた)は必須の教科書となりました。『詩経』の序文(大序)にある「詩は志のゆく所なり、心に在るを志と為し、言葉に発するを詩と為す(情動が言葉となったものが詩である)」という定義は、紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で述べた「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」という有名な和歌論の決定的なモデルとなりました。

 また、『源氏物語』や『枕草子』を読めば、当時の貴族たちが会話や手紙のやり取りの中で、当然の前提として『詩経』のフレーズを引用し合っていたことが分かります。単なる外国の文献ではなく、自らの感情を上品に表現するための「雅(みやび)」なツールでもあったのです。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。