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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-426・427

訓読

426
草枕(くさまくら)旅の宿(やどり)に誰(た)が夫(つま)か国忘れたる家(いへ)待たまくに
427
百(もも)足らず八十隈坂(やそくまさか)に手向(たむ)けせば過ぎにし人にけだし逢はむかも

意味

〈426〉
 この旅の宿りに、どこの誰の夫だろうか、帰るべき国も忘れて倒れている。家の妻は帰りを待っているだろうに。
〈427〉
 多くの曲がり角がある坂道で、道の神に供物を捧げたら、亡くなった人にもしや逢えるだろうか。

鑑賞

 426は、藤原京の皇居に近い香具山(かぐやま)に行き倒れとなり死んでいる人を見て、柿本人麻呂が作った歌。「草枕」は、草を枕に寝る意で「旅」に掛かる枕詞。「旅の宿り」の「宿り」は名詞で、死んで横たわっているのを、寝ている状態と見て美しく言い換えたもの。「誰が夫か」の「夫」は原文「嬬」で、この字は夫にも妻にも用いますが、内容的には夫の意。「国忘れたる」は、死んで故郷へ帰ろうとしない意で、これも死を美しく言い換えた表現。「家待たまくに」は、家の人すなわち妻が待っているだろうに。「待たまく」は「待たむ」に「く」を添えて名詞形にしたもの。

 万葉の時代には、旅の途中、飢えや病気で死ぬ人が少なくなかったらしく、それに遭遇した時は慰霊の歌を詠む習慣があったようです。その場合、死者の霊の落ち着きどころとして、故郷の家や妻のことに結びつけて詠むのが形式とされました。この歌でも「誰が夫か」と妻のことにも触れており、下句に故郷と家とが詠み込まれています。

 
427は、田口広麻呂(たのくちのひろまろ)が死んだときに、刑部垂麻呂(おさかべのたりまろ)が作った歌。田口広麻呂は、慶雲2年(705年)に従五位下になった田口朝臣広麻呂かといわれます。歌の内容からは旅の途中で亡くなったと見られますが、題詞には「死」の語が用いられており、四、五位の人の死には「卒」というため、刑死だったか、あるいは別人かもしれません。刑部垂麻呂は伝未詳ながら、その名から処刑執行部族ではなかったとも推測されています。『万葉集』には2首。

 「百足らず」は、百に足りない数の意で「八十」にかかる枕詞。「八十隈坂」の「八十」は多数を表し、多くの曲がり角がある坂道の意。「隈」は、川、道などが曲がる内側の称であり、「隅坂」は峠の頂上近くの急な勾配を緩和させるために道の屈折を多くしてある所。ここは黄泉に通じる坂の意で言っているとされます。「手向け」は、行路の安全を願い、幣を奉って祈ること。「過ぎにし人」の「過ぐ」は、死ぬ意の敬避表現で、亡くなった広麻呂のこと。「けだし」は、もしや、ひょっとすると。「逢はむかも」の「かも」の「か」は疑問、「も」は詠嘆。逢えるだろうか(逢いたいものだ)。

 古代、坂は異界(あの世)との境界と考えられていました。作者は、険しい坂の神に祈ることで、すでに行ってしまった(死んでしまった)人を呼び戻そう、あるいは追い越そうとしています。死者に逢うことが不可能だと理解していながら、それでも「神様に供え物をすれば、万が一にも」と願わずにはいられない、悲しいまでの敬虔さが伝わります。
 


行路死人歌

 旅の途中で死人を見つけて詠んだ「行路死人歌」とされる歌が、『万葉集』には21首あります。それらから、この時代、旅の途中で屍を目にする状況が頻繁にあり、さらに道中で屍を見つけたら、鎮魂のために歌を歌う習慣があったことが窺えます。

 諸国から賦役のため上京した者が故郷に帰る際に飢え死にするケースが多かったようです。『日本書紀』には、人が道端で亡くなると、道端の家の者が、死者の同行者に対して財物を要求するため、同行していた死者を放置することが多くあったことが記されています。

 また、養老律令に所収される『令義解』賦役令には、役に就いていた者が死んだら、その土地の国司が棺を作って道辺に埋めて仮に安置せよと定められており、さらに『続日本紀』によれば、そうした者があれば埋葬し、姓名を記録して故郷に知らせよとされていたことが分かります。

 こうした行路死人が少なくなかったことは律令国家の闇ともいうべき状況で、大きな社会問題とされていたようです。 

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くま(隈)

 道や川の折れ曲がっている所の意であり、また、光の陰っている所、暗い所、物陰の意で用いられた。旅の状況で用いられる時には、旅人の旅情を搔き立てる場所であり、「道の隈」や「川隈」は、それが積み重なることによって、別れの対象との距離が実感される場所であると同時に、そこで何度も振り返って、離れ行く場所や人への惜別の情を新たにする場所でもあった。

 また、「道の隈」や「川隈」は、土地の霊、とりわけ邪悪なモノが潜んでいる場所と考えられ、通行の際には、「手向け」などをして、無事の通行を祈る習俗があった。『延喜式』には、天皇の駕行の際に、「山川道路の隈」で、隼人(はやと)が吠え声を発して悪霊を除去することが定められている。このような観念は、おそらくクマ(隈)が道に迷いやすい場所であるために、本来行くべき通行路とは異なる世界に迷い込みやすい場所であったことに由来するのではないかと考えられる。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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