| 訓読 |
428
こもりくの泊瀬(はつせ)の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ
429
山の際(ま)ゆ出雲(いづも)の子らは霧(きり)なれや吉野の山の嶺(みね)にたなびく
430
八雲(やくも)さす出雲(いづも)の子らが黒髪は吉野の川の奥(おき)になづさふ
| 意味 |
〈428〉
泊瀬の山と山との間に漂っている雲は、亡くなった乙女なのだろうか。
〈429〉
山の間から湧き立つ雲のように溌剌としていた出雲の娘子は、霧になったのだろうか、そうでもあるまいに吉野の山々の峰にたなびいている。
〈430〉
たくさんの雲が湧き立つように生き生きとしていた出雲の娘子の黒髪は、吉野の川の沖に浮かんで漂っている。
| 鑑賞 |
428は、亡くなった土形娘子(ひじかたのおとめ)を泊瀬山に火葬した時に柿本人麻呂が作った歌。土形娘子は文武朝の宮女ではないかとされ、異常死だったと見られます。「こもりくの」は、神霊の隠(こも)る処(ところ)の意で「泊瀬」に掛かる枕詞。「泊瀬」は、古代大和朝廷の聖地であると同時に、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。また、火葬の始まりは『続日本紀』では文武4年(700年)、僧道照の死に始まるとされますが、実際はもっと古くから行われていたとみられています。「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「山の際」は、山と山との接する所。「いさよふ」は、漂っている。「妹にかもあらむ」の「か」は疑問、「も」は詠嘆。上代の人々は、空を漂う雲に神秘を感じ、また、死は魂が身から離れるものと捉えていました。人麻呂はその信仰の上に立ち、火葬の煙を雲と見て娘子の魂を感じています。窪田空穂はこの歌を「きわめて敬虔な調べ」と評しています。
なお、土形娘子のことを人麻呂は「妹」と呼んでおり、「妹」は本来、理想的な恋人、妻に対する呼び方ですが、次にある出雲娘子(いづものをとめ)を葬る歌と並べられているところから、人麻呂の恋人か妻でないことは明らかです。伝承をうたう歌で、女主人公を「妹」と呼んでいる例は他にも多くあります。娘子の異常死は、地方からやって来て、都の男と恋に落ち、自殺したものかもしれません。「妹」と詠んでいることもそう思わせます。
429・430は、「溺れ死にし出雲娘子(いづものをとめ)を吉野に火葬(やきはぶ)る時、柿本朝臣人麻呂の作る歌二首」。吉野行幸の折、出雲の娘子が吉野川に入水自殺しました。娘子は出雲出身の采女ではないかとされますが、入水の原因は分かりません。また、人麻呂はその死者を目にしているようですが、なぜ吉野にいたのかは不明です。1首目が現在の状態、2首目が過去に遡っており、すなわち429は、たなびく火葬の煙を霧にたとえて歌い、430は、彼女が発見された時の姿そのままを、黒髪に焦点をあてて描いています。
429の「山の際」は山と山の間。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。山の際から「出づ」と続き、「出雲」の枕詞になっています。「出雲の子ら」の「ら」は複数を示すのではなく、親しみを込めて付した語。「霧なれや」は、霧であるからというのだろうか。娘子を火葬した煙が薄れていくようすを言ったもので、「や」は疑問。「たなびく」は、上の「や」の係り結びで連体形。430の「八雲さす」は、群がる雲がさし出る意で「出雲」の枕詞。「奥」は「沖」の意。「なづさふ」は、浮かんで漂う。ここで吉野の「山」と「川」と2首を対にしているのは、吉野賛歌の型に従っています。
同じ「出雲」の枕詞として「山の際ゆ」と「八雲さす」が使い分けされていますが、その理由については、次のように説明されます。―― 429は、火葬の煙となって消えていく娘子を歌っており、山にたなびく煙は、山の間に立つ霧に見紛う。その歌意から「山の際ゆ」が相応しい。一方、430は、娘子の溺死のさまを歌い、亡骸となっているのを、生前の若々しさと対比して愛惜している。その歌意から、生命力にあふれていた彼女を暗示する雲が湧き立つという「八雲さす」が相応しい。
窪田空穂は、「この歌はその死ということには直接には触れず、『黒髪は奥になづさふ』という、生者としては不自然な状態をいうことによって暗示し、あわれさというよりも、一種の艶(えん)を漂わしている」と述べています。また、斎藤茂吉はこれらの歌から、「人麻呂はどんな対象に逢着しても真心をこめて作歌し、自分のために作っても依頼されて作っても、そういうことは一如にして実行した如くである」と言っています。また、2首を実際の事件の順序と逆にしたことによって、生前の黒髪の美女の印象を強く蘇らせています。

「山の端」と「山の際」の違い
『万葉集』の意味の紛らわしい語に、「山の端(は)」と「山の際(ま)」というのがあります。「山の端」の原文表記は「山之末」で、山の頂を指し、山の稜線の意に用いられます。それに対し、「山の際」の原文表記は「山際」で、「際」というのは二つの物が接する所の意なので、山と山とが接する所を表します。そして、そこには空間ができているため、「山の間」と言われるのです。一方、今日言うところの「山際(やまぎは)」の語は、奈良時代にはありませんでした。
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和歌三神
わが国には古来、「和歌三神」と呼ばれているものがあります。三神とは、住吉神社と、玉津島明神、それに柿本神社です。
摂津の住吉神は、元はイザナギノミコトの子である3人の男神が祀られ、海上の守護神として崇拝されていましたが、風光明媚な地であったことから多くの歌人が出かけていき、やがて歌神としても拝まれるようになったといいます。
和歌山市にある玉津島明神は、允恭天皇の后の妹、衣通姫(そとおりひめ)が祀られており、衣通姫の名は、その艶美さが衣を通して輝くようであったことからきています。そして和歌三神という場合は、衣通姫を中央に、住吉明神と柿本人麻呂歌を左右に祀るのです。
明石市と島根県の益田市にある柿本神社に祀られている人麻呂は、史書にその名が見えず、低い身分だったとされているにも関わらず、和歌の神としては、はじめから格の高いの前二者の神と同格に扱われています。
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古典に親しむ
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