| 訓読 |
一日(ひとひ)こそ人も待ちよき長き日(け)をかくのみ待たばありかつましじ
| 意味 |
一日ぐらいなら待たされてもよろしいけれど、こんなに幾日も長く待たされたのでは、とても生きてはいられない気持ちです。
| 鑑賞 |
巻第4の巻頭歌。題詞に「難波天皇(なにはのすめらみこと)の妹(いもひと)、大和に在(いま)す皇兄に奏上(たてまつ)る御歌」とあり、難波天皇(難波を京となさっている天皇、ここは仁徳天皇)の異母妹の八田皇女(やたのひめみこ)が、天皇である兄にさし上げた歌とされます。「一日こそ」は、一日くらいなら。「待ちよき」の「よき」は「こそ」の係り結びで連体形。動詞の名詞形+ヨシは、~するのが容易だ、の意。「長き日(け)を」の「け」は日数の長いものを言います。「ありかつましじ」の「かつ」は、可能(~できる)の意、「ましじ」は、打消しの推量の助動詞で、とても生きてはいられません。
仁徳天皇には、当時、大和最大の豪族だった葛城氏出身の磐姫(いわのひめ)という皇后がいましたが、これは、天皇家が王権を維持するために葛城氏の力と結託しようとする政略結婚だったといわれます。しかし一方で、天皇家の血脈を守るために、八田皇女を妃にするべきとの考えがあったようで、八田皇女の実兄も、是非とも妹を妃にしてほしいと、仁徳天皇に頼んでいました。磐姫は嫉妬深い女性であり、天皇が八田皇女を妃とすることを許しませんでした。しかし、天皇は皇后の留守中に八田皇女を宮中へ入れたため、怒った磐姫は帰ることなく筒城宮で亡くなりました。そして天皇は八田皇女を皇后に立てたといいます。ただ、八田皇女には子ができなかったため、次代の天皇には、磐姫が生んだ息子たちが即位しています。
この歌は、同時代に磐姫皇后が仁徳天皇を慕って作った歌とならび、『万葉集』中の最古の歌です。形は素朴で特殊な歌というわけではないものの、一語一語に「運命」や「生死」が直結しているような、初期万葉特有の素朴で力強い響きがあります。巻第2の巻頭にある磐姫皇后の歌に匹敵しうる、高貴かつ古い歌として巻第4の巻頭に据えられたとみられています。

舒明天皇までの歴代天皇
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『万葉集』各巻の部立て(巻第1~5)
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