| 訓読 |
神風(かむかぜ)の伊勢の浜荻(はまをぎ)折り伏せて旅寝(たびね)やすらむ荒き浜辺(はまへ)に
| 意味 |
伊勢の浜辺の萩を折り伏せて、あの人は旅寝をしておられるだろうか、人けのない浜の辺りで。
| 鑑賞 |
碁檀越(ごのだにおち:伝未詳)が伊勢の国に行った時に、京に留まった妻が作った歌。持統6年(692年)3月の伊勢行幸時の歌ではないかとされます。「神風の」は、大神のいます地を吹く風の意で、「伊勢」の枕詞。「浜萩」は、浜に生えている萩、あるいは薄のような穂を出すイネ科の多年草のヲギとも言われます。「折り伏せて」は、寝床にしようとしてのこと。当時の旅は、旅館があったわけではないので、高い身分の人は一夜ごとに庵を結んで宿りましたが、そうでない者は野宿をしていました。その際、冷たい地面から体を守るために、付近に生えている草を折り敷いて寝床を作りました。「折り伏せて」という表現からは、慣れない手つきで寝床を作る旅人の苦労を、手に取るように案じている作者の優しさが伝わります。「旅寝やすらむ」の「や」は疑問の係助詞、「らむ」は、現在推量の助動詞で連体形。「荒き浜辺に」の「荒き」は、人けのない。この結句が、潮風が吹き荒れ、波音が響く、厳しく孤独な夜の情景を際立たせています。温かな都の家に対し、冷たく荒々しい外の世界。その対比が、読者の心に「旅人の孤独」と「待つ人の不安」を強く印象づけます。
この「伊勢の浜荻」を詠んだ歌は平安時代以降も親しまれ、本歌取りや諺にも引用されています。たとえば「難波の葦は伊勢の浜荻」という諺が生まれ、地域によって呼び名や風俗が異なる、という意味で用いられるようになりました。なお、『万葉集』にヲギが詠まれているのは3首のみです。

三重県(伊勢国ほか)について
こんにちの三重県は、もとの伊勢国を中心に、伊賀国・志摩国それに紀伊国の南・北牟婁郡の地をあわせている。なによりも大和に東接するところであり、伊勢神宮の鎮座するところではあり、大和から東海・東国への通路にもあたっていたから、当時、大和との往還はしきりであった。壬申の乱(672年)のときには、伊賀から鈴鹿の山を経て桑名へと通路にあたっていたし、持統天皇6年(692年)には三輪高市麻呂の諫争をおしきっての伊勢巡幸、志摩への遊幸があり、大宝2年(702年)持統太上天皇の三河行幸、養老2年(718年)元正天皇の美濃行幸、天平12年(740年)聖武天皇の東国巡幸などがあり、また皇族、宮廷官人らの往還もたびたびにおよんでいた。
したがって万葉の故地も、がいして、大和から伊賀の名張を経て伊勢神宮にいたる参宮路線、また志摩海浜、伊勢湾沿海を南から北へ東国に通ずる路線に沿うて、多くの抒情のあとをのこしている。『万葉集』中、歌・題詞・左註を延て所出の地名は60余を数え、そのうち「伊勢」の名だけでも26を数えるのは、この地との関係の深さを語っている。
伊勢は、鈴鹿・布引・台高の諸山脈にへだてられ、ゆたかな海岸平野を擁して、波静かな伊勢湾にのぞんでいるから、海のない大和の宮廷人にとっては、山路を越える数日を要しても、明るい異国のあこがれのそそられるものがあった。こんにち、沿岸平野の万葉故地には所在の明らかでないところが多く、年々の工業地化も故地の姿をとどめがたくさせている。
~『万葉の旅・中』犬養孝著/平凡社から引用
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