| 訓読 |
537
言(こと)清くいともな言ひそ一日(ひとひ)だに君いしなくはあへかたきかも
538
人言(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み逢はずありき心あるごとな思ひ我(わ)が背子(せこ)
539
我(わ)が背子(せこ)し遂(と)げむと言はば人言(ひとごと)は繁(しげ)くありとも出(い)でて逢はましを
540
我(わ)が背子(せこ)にまたは逢はじかと思へばか今朝(けさ)の別れのすべなかりつる
541
この世には人言(ひとごと)繁し来(こ)む世にも逢はむ我(わ)が背子(せこ)今ならずとも
542
常(つね)やまず通ひし君が使(つか)ひ来(こ)ず今は逢はじとたゆたひぬらし
| 意味 |
〈537〉
来られない言い訳に、そんな見え透いたきれいごとをおっしゃらないでください。あなたなしには一日とて耐えられないのです。
〈538〉
人の噂がうるさくて煩わしいのでお逢いしなかっただけです。決してあだし心があるなどと思わないで下さい、あなた。
〈539〉
あなたがどうしても逢おうと言って下されば、人の噂がうるさかろうとも、出て行ってお逢いしましょうものを。
〈540〉
あなたにもう二度と逢うことができないと思ったせいか、今朝の別れ際には、どうしようもなく、ただぼんやりしていたことです。
〈541〉
この世では人の噂がうるさくてままなりません。せめて来世にこそお逢いしましょう、今でなくとも。
〈542〉
いつも絶え間なくやってきたあの方の使いが来なくなった。もう逢うまいとためらっていらっしゃるのでしょうか。
| 鑑賞 |
高田女王(たかたのおおきみ)が今城王(いまきのおおきみ)に贈った歌6首。高田女王は、天武天皇の曾孫である高安王の娘で、長皇子の曾孫。今城王は、穂積皇子と大伴女郎(旅人の妻の大伴女郎と同一人とする説があるが、不詳)の子で、臣籍降下後の氏姓は大原真人今城。高田女王にとっては叔父にあたります。この時代、皇族や貴族では異母兄妹などの間でふつうに結婚が行われていましたから、叔父と姪の恋愛関係も珍しいことではなかったのです。ここの6首は、一度に詠まれたのではなく、別の折の歌を一組の歌群としてまとめたものと見られます。
537の「言清く」は、言葉さわやかに、淡々と物を言うさま。「いともな言ひそ」の「いとも」は、ひどく、それほどまで、「な〜そ」は禁止の呼応表現(〜しないでくれ)。「いとも」は「言清く」の修飾語ですが、音数の関係で逆になっています。「一日だに」は、一日でさえ。「君いしなくは」の「い」は、間投助詞、「し」は、強意の副助詞。「なくは」は、仮定条件。あなたがいないならば。「あへかたきかも」は、耐えられそうにない。
538の「人言を繁み」は「~を~み」というミ語法で、世間の噂がうるさいので。「言痛み」は、煩わしいので、苦痛であるので。「心あるごと」は、あだし心があるかのように。「な思ひ」の「な」は、禁止。537では来ることができなくなった今城王を責めた女王でしたが、538では「あなたのことが嫌いになったわけではなく、周囲の目が厳しすぎて、あえて距離を置いていたのよ」と言って、王の来訪を拒んだことへの言い訳をしています。
539の「我が背子し」の「し」は、強意の副助詞。「遂げむ」は、逢うことを遂げる意。「出でて」は、家を出て人目のない所で密会する意。「逢はましを」の「まし」は、反実仮想。逢っただろうに。「を」は、詠嘆。窪田空穂は、「この歌も、前の歌に続いて、逢わなかったことの弁明である。前の歌は、周囲の者に制せられたことをいって訴えたが、この歌は、それのみではなく、自身としても勇気がもてなかったが、それは君がもてるようにしむけてくれなかったがためであるといい、しかしその態度は恨みをいわずに訴えているものである」と述べています。
540の「または逢はじか」の「じか」は、打消推量の「じ」に疑問の助詞「か」が付いた形。もう二度と逢うことができないのかと。「思へばか」は疑問条件で、(そう)思ってしまうからか。「今朝の別れ」は、昨夜逢っての朝の別れ。「すべなかりつる」は、どうしようもなかった。自分の感情が制御できないほど、途方に暮れてしまった様子。
541の「この世」は、今私たちが生きている現実の世界。「人言繁し」は、人の噂が絶えないこと。「来む世」は、来世。「今ならずとも」は、逢うのは今でなくとも。542の「常やまず」は、いつも絶えず。「通ひし君が使」は、王から女王の許へ通っていた使者。「今は逢はじと」は、今は(もう)逢うまいと。「たゆたひぬらし」の「たゆたひ」は、ためらう意。「らし」は、現在の根拠に基づく推量。
これら6首の歌からは、女王がずいぶんと世間の噂を気にしていることが窺えます。結婚前の単なる駆け引きだったのか、それとも人目を憚るような関係だったのか。いずれにしても、恋に対する女のほうの積極さが伝わってきます。一方の今城王は、女王の深情けが煩わしくなったのか、だんだんと彼女から遠ざかっていったのではないかと察せられ、542では、女王の諦めの語気が感じられる歌となっています。この後の二人の関係がどうなったかは、『万葉集』には記されていません。なお、ここでの今城王の返歌は載っていませんが、臣籍降下して大原真人今城になって後の歌が『万葉集』には9首あり(ほかに伝誦・伝読歌8首)、大伴家持と親交があったことが知られます。

こと(言・事)
言葉を意味する「言(こと)」と事柄を意味する「事」とは、元来相通じる概念であった。モノが言葉による認識以前に存在するのに対して、コト(事)は言葉による認識作用・形象作用によってこそ形を与えられるためである。
『万葉集』の相聞歌にしばしば歌われる「人言(ひとごと:周囲の噂)」の多くが、原文に「人事」と記されているのも、「言」と「事」とが相通じる概念であったことを示しており、現代において「さっき話したこと、絶対内緒だよ」などと言った場合の「こと」が言葉であるのか事柄であるのか不明瞭である点にも、それは引き継がれている。
「言」と「事」とが相通じるところに生じてくる信仰に「言挙げ」がある。「言挙げ」とは、日常の言葉とは異なる様式によって、祈りをこめて言葉を発することであり、「言挙げ」の力によって「言」として発された内容が「事」として実現するという信仰である。その言葉に「言霊(ことだま)」が宿っているからだと考えられていた。ただし、言語呪術である「言挙げ」はむやみに行うものではなかった。「言挙げ」はよほどの危機を乗り越えるために行われるものであったようである。
一方で『万葉集』には、「言」が「事」でなかったことを言う「言にしありけり(ただの言葉だったのだ)」という表現もしばしば用いられている。一見矛盾のようにも見えるが、両者は硬貨の裏表に過ぎない。一方に「言」が必ずしも「事」ではない意識が芽生えることによって、逆に「言」には言霊が宿り、「事」によって実現するという信仰が強く意識されるようになったのである。
~『万葉語誌』から抜粋引用
【PR】
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |