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巻第4(索引)<万葉集(掲載歌の索引)<古典に親しむ

『万葉集』巻第4-600~603

訓読

600
伊勢の海の磯(いそ)もとどろに寄する波(なみ)畏(かしこ)き人に恋ひわたるかも
601
心ゆも我(わ)は思はずき山川(やまかは)も隔(へだ)たらなくにかく恋ひむとは
602
夕されば物思(ものも)ひ益(ま)さる見し人の言問(ことと)ふ姿(すがた)面影(おもかげ)にして
603
思ふにし死にするものにあらませば千(ち)たびぞ我(わ)れは死に返(かへ)らまし

意味

〈600〉
 伊勢の海にとどろく波のように、身も心もおののくような人を恋い続けているのですね。
〈601〉
 心にも思ってもみませんでした。間が山や川で隔てられているわけではないのに、こんなに恋い焦がれることになるとは。
〈602〉
 夕方になると物思いがまさってきます。お逢いしたあなたが話しかけてくださった姿が面影となって現れてくるので。
〈603〉
 人が恋焦がれて死ぬというのでしたら、私は千度でも死んでまた生き返ることでしょう。

鑑賞

 笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌29首のうちの4首。600の「磯もとどろ」の「磯」は、岩石からなる海岸。「とどろ」は、動詞「轟(とどろ)く」と同源で、轟音を表す擬声語に由来する形状言。上3句は、波の恐るべきさまによって「畏き」を導く序詞。「畏き人」は、身分の高い人。家持は旧家の名門の御曹司でしたから、笠郎女は社会的階級からいえば、その家柄は劣っていたのでしょう。ただし、ここでは、単に畏れ多いという意味のほかに、その心の測り難さをも「畏き」と表しているかのようです。窪田空穂はこの歌について次のように言っています。「女郎の心情の全部を披瀝して訴えた歌である。全部というのは、家持を『畏き人』と呼んでいることである。女郎からいうと、初めは家持を思うままにわが物とできると思ったのであろうが、案外にもつれない人であって、その意味では絶望を感じさせられた。しかし、時にはある程度の温情を示すこともあるので、諦めるには諦めきれない状態であったとみえる。本来勝気な、情熱も理知もある女性であるから、自尊心も伴って、どうにかできようという気もし、またどうにもならない気もして、動揺していたとみえる。これはどうにもなりそうもない気の勝ってきた時の心で、家持が心に余る、捉えきれない者に見えてきた時の心情であって、その全部を『畏き人』という一言に託している。この一群の中に置いて見ると、心理の陰影を微妙にもあらわし得た、含蓄のある優れた歌である」。

 
601の「心ゆも」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「も」は、詠嘆。「山川も」は、山も川も。「隔たらなくに」の「なく」は、打消し「ず」の名詞形。「に」は、詠嘆。「かく」は、こんなに。「現実の距離」と「心の距離」を対比させ、近くて遠い人への想いが、最も理不尽で苦しいものであるという真理を、鮮やかに切り取っています。この歌以降も、彼女の恋はさらに混迷を深め、自分を卑下したり、死を意識したりする段階へと進んでいきます。

 
602の「夕されば」は、夕方になれば。「夕されば物思ひ益さる」のは、夕方が男が訪ねてくる「ヨバヒ」の時間だったからです。また、夕暮れ時は「逢魔が時(おうまがとき)」ともいって、昼間の現実が薄れ、抑えていた感情や異界のものが忍び寄る時間でもあったからです。「見し人」は、性的交渉をもった愛人の意で、家持のこと。「言問ふ」は、言葉を交わす、親しく話しかける。「面影にして」は、面影として現れて。「面影」とは、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。恋する身にとっては、二人でいた時の、相手の何でもない言葉や仕草さえも、心に残って忘れられないもの。郎女は、あの日、あなたが私に話しかけてくださった、その時のお顔と口もとのあたりが浮かんできて・・・と、切なくも具体的に恋の実感をうったえています。夕闇が濃くなるにつれて、面影がより鮮明に浮かび上がるという、光と影の演出が見事であり、笠郎女の贈答歌群の中でも特に視覚と聴覚、そして時間の感覚がバランスよく調和した一首といえます。夕暮れ、一人部屋で面影を追う彼女の溜息が聞こえてくるような、リアリティのある孤独が描かれています。

 なお、この歌は鎌倉時代の勅撰集『玉葉和歌集』にも収録されています。『玉葉和歌集』は中世和歌に新風を吹き込んだ京極派の歌を多く収録していて、清新自由な歌風を特徴としている歌集です。この「夕されば物思ひ益さる」の歌の境地は、鎌倉時代の趣味にも通じるところがあったようです。

 
603の「思ふにし」の「し」は、強意の副助詞。(もしも)人を思うあまりに。「ませば~まし」は、反実仮想(もし・・・だったら~だろうに)。「千たびぞ」の「ぞ」は、強調。「死に返る」は「生き返る」の反対の言い方になっていますが、ここでは恋死にすることに強い意味を置いているためで、誇張した表現になっています。これは、『遊仙窟』に「能ク公子ヲシテ百廻生カシメ、巧ク王孫ヲシテ千遍死ナシメム」とあるのによる、また、『人麻呂歌集』にある「恋するに死にするものにあらませば我が身は千たび死に返らまし」(巻第11-2390)の歌を原拠としているとされます。そのため郎女の手柄にならないという意見が多いのですが、言葉の続き具合はかえって郎女の作の方が自然であるとする意見もあります。また、窪田空穂は、これを後世の本歌取りの嚆矢のようにとらえています。家持にこの歌を贈るということは、一種の脅しに近いほどの重圧を相手に与えます。「私は貴方のせいで、もう千回死んでいるも同然です」と訴える笠郎女の叫び。これまでの「待つ」「夢に見る」という情緒的な段階を突き抜け、自分の命の極限を突きつけることでしか、この想いを伝えられないという切羽詰まった状況が伝わります。

 
笠郎女は、伝未詳。巻第4にある歌群のほか、巻第3-395~397、巻第8-1451・1616にも歌を載せていますが、いずれも家持に贈ったものです。
 


伊藤博による笠郎女評

 伊藤博による笠郎女評の主な特徴と着眼点は以下の通りです。

  1. 「情念の連続劇(ドラマ)」としての捉え方
    笠郎女が大伴家持へ贈った一連の歌群(巻4の24首など)を単なる断片的な恋歌としてではなく、時間の経過とともに変化・深化していく一連の「心のドラマ」として緻密に構造化して捉えました。初期の「控えめで切実な恋心」から、次第に「焦燥・孤独・自嘲」へ、そして最後には「諦念と永遠の誓い」へと変貌を遂げる女性心理の全貌を、歌順や表現の綾から見事に浮き彫りにしています。
  2. 精妙な修辞(ことばの技法)と内面性の調和
    郎女の歌が直情的な情念だけに頼るのではなく、万葉歌人の中でもきわめて高度で現代的な修辞技巧に裏打ちされている点を高く評価しました。「夢」「幻影(面影)」「夕陰草」「白露」「水無瀬川」といった、揺れ動く内面を象徴する繊細なモチーフの使い方に着目。伝統的な和歌の技法を駆使しながらも、そこに「自己の暗い情念」や「報われぬ恋の鬱屈」を巧みに織り込む表現力を、後期万葉抒情の到達点の一つと位置付けています。
  3. 家持の「受容の姿勢」も含めた関係性の洞察
    伊藤博の鑑賞の深さは、笠郎女の歌だけでなく、対する大伴家持の置かれていた状況や心理にも等しく眼差しを向けている点にあります。家持からの返歌が2首と極めて少ないことについても、単なる「冷淡さ」として片付けるのではなく、二人の置かれた立場(婚姻関係や身分上の制約など)や、家持が彼女の重すぎる情念を受け止めかねつつも『万葉集』に29首すべてを収載して遺したという事実から、二人の間に存在した複雑で深い精神的対峙を読み解いています。
  4. 古今和歌集(王朝抒情)への先駆けとしての評価
    笠郎女の「心の内面へ深く沈潜していく哀切な歌風」が、素朴・直情的な初期万葉の時代から、後の『古今和歌集』に代表される繊細で内省的な和歌の世界(王朝美意識)へと至る架け橋となったと位置付けています。

 伊藤博による評は、笠郎女を「ただ情念に狂った悲劇の女性」ではなく、己の過酷な恋情を優れた表現技術によって美しく気高き芸術へと昇華させた、万葉集屈指の抒情歌人として捉える視点を与えてくれます。

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