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巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-626

訓読

君により言(こと)の繁きを故郷(ふるさと)の明日香(あすか)の川にみそぎしに行く [一には、尾に、龍田越え御津の浜辺にみそぎしに行く、といふ]

意味

あなた様のせいであまりにも人が噂を立てるので、旧都の明日香の川へみそぎをしに参ります。(龍田の山を越えて、御津の浜辺にみそぎをしに参ります)

鑑賞

 八代女王(やしろのおおきみ)が聖武天皇にさし上げた歌。八代女王は系譜未詳ながら、「女王」が付いていることから、三世から五世の皇族だったと考えられます。天平9年(737年)に無位から正五位上に叙せられており、この頃に聖武天皇の嬪になったようです。しかし、天皇の崩御後に他の男性に心変わりしたかどで、その時の従四位下の位を削られたとあります(『続日本紀』)。その後の消息は不明。

 「言の繁きを」は、噂が多いので。接続助詞の「を」は逆接を表すのが一般的ですが、ここは例外的に順接に用いています。天皇との関係を噂されることは、単なるスキャンダルではなく、畏れ多いことでもありました。「言の繁き」は、女王にとっての苦痛であると同時に、天皇の名を汚してはならないという強い責任感の表れでもあります。「故郷」は故京で、奈良京以前の飛鳥地方。「明日香の川」は、飛鳥川。「みそぎ」は、水で身を清め、罪や穢れを祓うこと。みそぎをしなければならないほどの「言」とは、単なる噂の域を超えた、競争と嫉妬の激しい後宮の人々からの、深刻で忌まわしい言葉だったとみえます。

 あえて遠く明日香の川まで行って「禊」をするという宣言は、そうした噂を忘れたいという消極的なものではなく、「私の心は、この明日香の清流のように一点の曇りもなく、あなた(天皇)に対して純潔です」という、極めて格調高い真実の告白となっています。古代において、禊は神事でもありましたから、噂を流す世間という「穢れ」に対し、自らを「清める」という行動を示すことで、自らの愛と忠誠の正当性を天皇にアピールする、非常に美しく力強い意志が感じられます。
 


聖武天皇

 文武天皇の皇子。母は藤原不比等の娘宮子。和銅7年(714年)、立太子し、神亀元年(724年)、伯母の元正天皇より譲位されて即位。たびたび吉野や難波への行幸を行ない、山部赤人や笠金村らにに歌を奉らせた。

 天平9年(737年)に流行した疫病で藤原四卿を失うと、橘諸兄を大納言に任じ、唐から帰国した玄昉・吉備真備らを重用して政治改革に着手した。

 しかし同12年9月、筑紫で藤原広嗣の乱が起こると、急遽関東に行幸、そのまま平城京に帰ることなく、同年末、山背国恭仁に遷都。翌年国分寺建立の詔を発布。同15年、墾田永年私財法の詔を発布。その後も難波・紫香楽と遷都を繰り返すが、結局天平17年、平城京に還都した。

 行基らの協力を得て東大寺の大仏造営を始め、天平勝宝4年(752年)4月9日、開眼供養会を挙行した。天平勝宝8年(756年)に56歳で崩御。古代律令制の成熟期に君臨した天皇として絶大な権威を有し、死後も偉大な聖王として官人・僧侶・民衆の崇敬を集めた。『万葉集』に11首の歌を残し、天皇としては最多。
 


(聖武天皇)

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古典に親しむ

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