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巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-638~642

訓読

638
ただ一夜(ひとよ)隔(へだ)てしからにあらたまの月か経(へ)ぬると心(こころ)惑(まと)ひぬ
639
わが背子がかく恋(こ)ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寝(い)ねらえずけれ
640
はしけやし間近き里を雲居(くもゐ)にや恋ひつつをらむ月も経なくに
641
絶ゆと言はば侘(わび)しみせむと焼太刀(やきたち)のへつかふことは幸(さき)くや我(あ)が君
642
我妹子(わぎもこ)に恋ひて乱ればくるべきに懸(か)けて寄せむと我(あ)が恋ひそめし

意味

〈638〉
 たった一夜逢わなかっただけなのに、もうひと月も経ったかのように寂しくて、心が乱れてしまいました。
〈639〉
 あなたがそれほどまでに恋してくださるので、夢にあなたが見え続け、夕べは一睡もできませんでした。
〈640〉
 愛しいあなたがいる間近な里を、雲の彼方のように恋い続けるのだろうか、ひと月も経っていないのに。
〈641〉
 これで二人の仲は終わりだと言えば、私がわびしく思うだろうと、いつも優しそうに寄ってこられますが、それでよいのですか、あなたは。
〈642〉
 あの子にしかけた恋がうまくいかなければ、乱れた心を糸車にかけてうまく縒り直せばいいと、そう思って恋をしかけたのだ。

鑑賞

 638~641は、631~637に続く、湯原王(ゆはらのおおきみ)と娘子(おとめ)との贈答歌。638、640は湯原王の歌、639、641は娘子の歌。638の「ただ一夜」は、たった一夜。「隔てしからに」は、(あなたと会わずに)間を置いただけで。「からに」は、~によって、ゆえに。原因が些細なわりに結果が重大なことを表す語法です。「あらたまの」は「月」の枕詞。「あらたま」は、宝石・貴石の原石を指すものと見られますが、掛かり方は未詳。「月か経ぬると」は、もう1か月も経ったかのように思われて。

 
639の「かく恋ふれこそ」は、このように恋い慕ってくださるからこそ。「こそ」は強意の係助詞で、結びは結句の「けれ」。「ぬばたまの」は、本来は黒・夜・闇などの枕詞ですが、ここは夜見る意で「夢」に掛けた枕詞。「夢に見えつつ」は、夢に見え続けて、何度も夢に現れて。「寝ねらえず」は「寝ぬ」+可能の助動詞「らゆ」の否定で、寝ても眠れない。湯原王の「一晩会わないだけで一ヶ月も経った気がする」という情熱的な訴えに対し、娘子はさらに深い情愛をもって応えています。

 
640の「はしけやし」は、ああ愛しい。ああ、切ない。「間近き里」は、すぐ近くの里で、娘子の住む里。「雲居にや」は、雲の上のように遠い所として(遠く隔たった場所のように)。「や」は疑問・反語。「恋ひつつをらむ」は、恋い慕い続けていなければならないのか。「月も経なくに」の「経なく」は「経ぬ」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆。まだ一ヶ月も経っていないのに。

 
641の「絶ゆと言はば」の「絶ゆ」は、二人の仲が切れる意。「侘しみせむと」は、侘しく思うだろうと。「焼き太刀の」は「へつかふ」の枕詞。掛かり方未詳。「へつかふ」は、そばに寄ってくる、へつらう、の意。「幸くや我が君」の「幸く」は、無事で、元気での意ですが、ここは何事もないの意に転用したもの。それでよいのですか、我が君。

 これまでずっと熱烈なやり取りだったのに、641では急に歌の様子が変っています。娘子の許に通うことが間遠くなった湯原王に何らかの事情があったのか、それとも、この恋愛はほんの火遊びにすぎなかったのか。けっきょく二人の関係は破綻してしまったようです。それでも娘子は王の人柄を信じているようであり、
窪田空穂は、「娘子の歌としては、初めて分別を働かせていっているものであるが、恨みを思う場合にも、善意に満ちたものである」と言っています。

 
642は題詞に「湯原王の歌一首」とあり、631~641の娘子との贈答とは別に、王の独泳としてのものです。「我妹子」とあるのは、贈答を交わした娘子のことと見られます。「恋ひて乱れば」は、恋い慕って(心が)乱れたならば。「くるべき」は、糸を操る道具、糸車。「懸けて寄せむ」は、くるべきに糸を巻いて縒り合せ、二筋の糸を一筋の糸に合わせる意で、乱れた心を元通りにする、平常心に戻ることの譬喩。「我が恋ひそめし」は、私は恋し始めたことだ。この歌だけ贈る形をとらず、独泳歌となっています。娘子との関係の結ばれる以前のもので、求婚を始めた時は、おそらくは身分の関係上、事はきわめて容易に成し遂げられると予想されたのに、実際はそれとは反対に、甚だ困難だったので、それに感を発しての歌とされます。

 631以下ここまでの12首は、湯原王と娘子の恋愛事件の成立と経過をあらわしており、一篇の「歌物語」をなしています。あるいは湯原王の創作ではないかとする見方もあるようです。
 


はし(愛し)

 情愛をそそぐ気持ちや愛着の情を表す語。愛しい、慕わしい、可愛い、などの意。相手を讃美する気持を含み持つ。ハシ単独で詠み込まれるよりも、間投助詞の「やし」「よし」を下に伴って、「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」などの形で用いられることの方が多い。

 ハシは、妻への情愛を表す例が最も多い。その他、深い親交のある友人や主人を慕わしく思う感情を表す例もある。原則として、離れた場所にいる相手を対象とするようだ。

 『万葉集』では、ハシに「愛」の字があてられるが、同様に「愛」の字があてられる語にウツクシ・ウルハシ・メグシがある。ウツクシは、親子・夫婦・恋人どうしなど肉親に近い間柄で相手を慈しみたいという感情を表し、それ以外の者への視点を持たない点でハシとは区別される。ウルハシは、完璧な美しさや立派に整った理想の状態を賞美する讃詞で、情愛を表すハシとは異なる。メグシは、たえず気がかりを感じさせることを表し、相手を実際に目で捉えて生ずる感情であるのに対し、ハシは離れた場所にいる相手を思って抱く感情である点が異なる。また、類義語のカナシ(愛し)は、妻や恋人・子供などを慈しみ憐れむ気持ちを表し、どちらかというと切なさや悲哀の情に通じる点が異なる。

~『万葉語誌』から引用

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