| 訓読 |
656
我(わ)れのみぞ君には恋ふる我(わ)が背子(せこ)が恋ふといふことは言(こと)のなぐさぞ
657
思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我(あ)が心かも
658
思へども験(しるし)もなしと知るものを何かここだく我(あ)が恋ひ渡る
659
あらかじめ人言(ひとごと)繁(しげ)しかくしあらばしゑや我(わ)が背子(せこ)奥もいかにあらめ
660
汝(な)をと我(あ)を人ぞ放(さ)くなるいで我(あ)が君(きみ)人の中言(なかごと)聞こすなゆめ
661
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば
| 意味 |
〈656〉
恋しいと思っているのは私ばかり。あなたが恋しいと言うのは口先ばかりです。
〈657〉
思うまいと口に出して言ったのに、はねずの花の色のように変わりやすい私の心です。
〈658〉
いくら恋しく思っても、何の甲斐もないと知っているのに、どうしてこんなに私はずっと恋し続けているのでしょう。
〈659〉
今のうちからもう人の噂がうるさい。こんな調子では、ああ、あなた、この先どうなるのでしょう。
〈660〉
あなたと私の仲を人が裂こうとしているようです。あなた、人の中傷には耳を貸さないでくださいね、決して。
〈661〉
恋して恋して、やっと逢えた時くらい、優しい言葉を言い尽くして下さい。これからも二人の仲を長く続けようと思うなら。
| 鑑賞 |
「大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌六首」。656の「我れのみぞ」は、私だけが。「君には恋ふる」は、あなたを(こんなに)恋い慕っているのです。「恋ふといふことは」は、(あなたが私を)愛しているなんて言うのは。「言のなぐさ」は、口先だけの慰め、口先だけの上手。単なる恨み言ではなく、相手の男の言葉を封じ込め、「気休めのような甘い言葉は要らない、あなたの本当の気持ちが見えない」と訴えかけています。
657は、656とは別の時に夫に贈った歌。「思はじと」は、(もうあなたのことは)思うまい、忘れようと。「言ひてしものを」の「し」は過去の助動詞、「ものを」は逆接の接続助詞。「はねず色の」は「うつろひやすき」の枕詞。「はねず色」は、桃色よりやや濃い目の紅色のこと。「はねず」がどの植物であるかは、庭梅・庭桜・モクレン・芙蓉・ザクロなどの説がありますが、はっきりしていません。その花の色が褪せやすいところから、変わりやすいことの譬喩としてあるようです。「我が心かも」の「かも」は、詠嘆の助詞。
658もまた別の時に、足遠くなった夫に訴えた歌。「思へども」は、(あなたのことを)これほど思っていても。「験もなし」は、甲斐もない、報われない。「何かここだく」は、どうしてこんなに甚だしく。「恋ひ渡る」は、恋し続けているのだろうか。「渡る」は、時間の経過や継続を表します。相手の「言のなぐさ」に大した恋愛ではないと思いながらも、しだいに「思うまい」と決めた心がくじけ、また恋慕してしまう自分を歌っています。
659・660は、二人の関係について他人からの中傷があり、夫に注意を促しています。659の「あらかじめ」は、深く関わらない今のうちから。「かくしあらば」は、このようであったならば。「しゑや」は、嘆息の声。「奥もいかにあらめ」の「奥」は、将来、行末。「奥」に「沖」を掛け、「あらめ」に海藻の「あらめ」を掛けています。660の「汝をと我を」は「汝と我とを」というべきところですが、物を二つ並べる場合に下の物に「と」を添えないのは古格とされます。「放くなる」の「なる」は、伝聞。裂こうとしているという。「いで」は、呼びかけの感動詞。「中言」は、他人の中傷。「聞こすな」の「こす」は、~してくれる、の意の補助動詞。「ゆめ」は、決して。
661は、逢うことのできた夜の訴え。「恋ひ恋ひて」は、自身の恋の久しいことを表したもの。「言」は、言葉。「愛(うつく)しき」の原文は「愛寸」で、「うるはしき」と訓むものもあります。しかし、歌人の尾崎左永子は、「ウツクシキ」と読みたいと言っています。用例からみても「ウルハシキ」にはどうしても「端麗に整った」イメージがつきまとい、「ウツクシキ」には「やさしく可愛らしい」感じがある。語感の問題だが、音韻の続き具合から言っても、「ウツクシキ」の方がずっと快いのである。学説は学説として、実作者の勘としてはどうしても「ウツクシキコトツクシテヨ」でないと耳になじまない。作中「ウツクシキコトツクシテヨ」と「ツクシ」の音が重複しているのもその理由の一つである、と。
ここまでの6首の相手が誰かは、題詞がないので分かりませんが、その前に、郎女が娘の二嬢について婿の大伴駿河麻呂(おおとものするがまろ)に贈った歌(651~652)や駿河麻呂が二嬢に心を置いた歌(653~654)が並んでいることから、ここの6首は、あるいは二嬢から夫の駿河麻呂に贈り、また答える歌を郎女が代作したものではないかとする見方があります。二嬢は作歌が得手ではなかったのか、二嬢の名による歌は『万葉集』に1首も残っていません。

うつくし
ウツクシは、親子・夫婦・恋人どうしの間で、相手を慈しみたい、いたわってやりたい、大切にしてやりたいとする感情。庇護すべき対象に向かう時に生起する感情である。とりわけ子供に対してウツクシと表現する場合、そうした意味あいが強く現れる。用字が「愛」である場合、ウルハシとも訓めるが、こちらは立派に整った理想の状態への讃め言葉で区別される。
その後、ウツクシは次第に小さなもの、可憐なもの、そこに生ずるかわいらしさを表現するようになっていく。『竹取物語』で、竹筒の中から発見されたかぐや姫が「三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり」と描かれているのは、その例。『枕草子』では「うつくしきもの」として、「瓜にかきたるちごの顔。雀の子のねず鳴きするにをどり来る。・・・雛の調度。・・・葵のいと小さき」などを挙げ、「何も何も、小さきものは、みなうつくし」とまとめている。
ウツクシが美一般を表す現代語の「美しい」に対応するような例が現れるのは、どうやら中世に入ってからのようである。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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