| 訓読 |
662
網児(あご)の山(やま)五百重(いほへ)隠せる佐堤(さで)の崎さで延(は)へし子が夢(いめ)にし見ゆる
663
佐保(さほ)渡り我家(わぎへ)の上(うへ)に鳴く鳥の声(こゑ)なつかしき愛(は)しき妻の児(こ)
664
石上(いそのかみ)降るとも雨につつまめや妹(いも)に逢はむと言ひてしものを
| 意味 |
〈662〉
網児の山々が多く重なった向こうに隠してしまっている佐堤(さで)の崎、そこで小網(さで)を広げて漁りをしていたあの子の姿が夢に出てくる。
〈663〉
佐保の辺りを飛び渡ってきて我が家の上で鳴く鳥のように、心惹かれる声の、いとしい我が妻よ。
〈664〉
石上の布留(ふる)ではないが、いくら降っても、雨に妨げられてなどいようか。妻にに逢おうと約束しているのだから。
| 鑑賞 |
662は、市原王(いちはらのおほきみ:生没年未詳)の歌。市原王は、天智天皇の曾孫安貴王(あきのおほきみ)の子で、王族詩人の家系に生まれた人です。天平15年(743年)に従五位下、写経司長官、玄蕃頭、備中守、金光明寺造仏長官、大安寺造仏所長官、造東大寺司知事、治部大輔、摂津大夫、造東大寺司長官など、主に仏教関係事業の官職を歴任し正五位下に至りました。『万葉集』に8首の短歌を残し、大伴家持との関係をうかがわせる歌も多くあります。なお、父の安貴王は、大伴家持が親しく交際していた紀女郎の元の夫です。
「網児の山」は、三重県志摩市阿児町の英虞の地の海岸近くの山か。「五百重」は、幾重にも、の意。「隠せる」は、隠してしまっている。「佐堤の崎」は、志摩半島のどこかとされますが、所在未詳。次の「さで」の語を導くものとなっています。「さで」は、漁具の小網。「延へし」は、広げていた。「子」は、女を親しんでの称で、ここは海人のこと。「夢にし」の「し」は、強意の副助詞。大和に住む市原王にとって、たまたま見た網児の海や、小網を使って漁りをしている海人の女の姿がたいそう珍しく心惹かれたと見えます。
663は、安都宿祢年足(あとのすくねとしたり:伝未詳)の歌。『続日本紀』の養老3年(719年)の条に正八位下阿刀連人足らに宿祢姓を賜うとの記事があります。『万葉集』には、この1首のみ。
「佐保」は、平城京の北部で、貴族の住宅地だった所。「佐保渡り」は、佐保の地の上空を飛び渡っての意。佐保川を渡って、と解するものもあります。「我家(わぎへ)」は、ワガイヘの約。「鳴く鳥の」は、鳴いている鳥のように。上3句は「声なつかしき」を導く譬喩式序詞。「なつかしき」は、心惹かれる、慕わしい。現代語の「懐かしい」よりも当時の意味は強く、切実な執着を表します。「愛しき」は、いとしい。「妻の児」は、妻を親しんで呼んだ語で、「の」は同格を示します。窪田空穂は、「妻のものいう声のなつかしさを讃えるということは、あってしかるべきものであるにもかかわらず、例の少ないもので、その意味でこの歌は珍しいものである」と言っています。
664は、大伴像見(おおとものかたみ)の歌。大伴像見は、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱で功を上げ従五位下を授けられ、後に従五位上に進んだ人。家系は未詳。『万葉集』には5首。
「石上」は、奈良県天理市石上で、その地の小地名「布留(ふる)」を転じて「降る」の枕詞にしたもの。「降るとも」は、(たとえ雨が)降ったとしても。「つつまめや」の「つつむ」は、差し障る、遠慮する。「や」は反語で、妨げられてなどいようか。「言ひてしものを」は、約束したのだから。決めたのだから。「てし」の原文「義之」は、中国の手師すなわち書家の王義之の名による戯書(巻第3-394を参照)。妻の家へ出かけようとした際、雨模様となってきたのを気にかけつつ、わが心を励ましている歌です。当時の雨の夜道は暗く険しいものでしたが、そんな物理的な困難よりも「約束」という精神的な紐帯を優先させています。

『万葉集』クイズ
【解答】 1.児島 2.第15巻 3.第17~20巻 4.第10巻(539首) 5.筑紫歌壇 6.賀茂真淵 7.柿本人麻呂 8.高市黒人 9.聖武天皇 10・広島県
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