本文へスキップ

巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-665~667

訓読

665
向かひ居て見れども飽かぬ我妹子(わぎもこ)に立ち離(わか)れ行かむたづき知らずも
666
相(あひ)見ぬは幾久(いくひさ)さにもあらなくにここだく我(わ)れは恋ひつつもあるか
667
恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠(こも)るらむしましはあり待て

意味

〈665〉
 向き合っていて、いくら見ても見飽きることのないあなたと別れて出て行くきっかけもない。
〈666〉
 お互いに顔を合せなかったのはそんなに長い間でもなかったのに、なぜこんなにもしきりにあなたのことが恋しいのでしょう。
〈667〉
 ずっと恋い続けてやっとお逢いできたのです、空にはまだ月が残っているので、夜の闇は深いでしょう、しばらくこのままでいましょうよ。

鑑賞

 665は、安倍朝臣虫麻呂(あべのあそみむしまろ)の歌。666・667は、大伴坂上郎女の歌。左注に「郎女の母、石川内命婦(ないみょうぶ)と、安倍朝臣虫麻呂の母、安曇外命婦(あずみのげみょうぶ)とは同じ家に暮らす仲のよい姉妹であった。そのために郎女と虫麻呂もよく出会っていたので、気が通じ合って親しかった。そこでちょっと戯れの相聞歌を作って贈り合った」旨の記載があります。「内命婦」は、五位以上の婦人の称。「外命婦」は、五位以上の官人の妻の称。安倍朝臣虫麻呂は、天平9年(737年)外従五位下。皇后宮亮、中宮少進、中務少輔などを歴任した人。『万葉集』には6首。

 
665の「向かひ居て」は、さし向かっていて。「見れども飽かぬ」は、いくら見ていても見飽きることがない。「立ち離れ行かむ」は、(ここから立ち上がって)あなたと離れて帰っていくような。「立ち離れ」は、タチハナレと訓むものもあります。「たづき」は、手がかり。歌の心は、夫が愛する妻と別れて遠い旅へ立つ際に、名残り惜しさに立ちかねているという様相で、親族として訪問し、帰らなければならない際に、半ば戯れに詠んだもののようです。

 
666の「相見ぬは」は、お逢いしないでいるのは。「幾久さにも」は、どれほど長い時間でも。「あらなくに」は、ないことなのに。「ここだく」は、こんなにはなはだしく。「恋ひつつもあるか」の「か」は詠嘆で、私は恋い焦がれ続けていることよ。667の「恋ひ恋ひて」は、「恋ふ」を重ねることで、待ちわびた時間の長さを強調しています。「月しあれば」の「し」は、強意の副助詞。「夜は隠るらむ」は、夜はまだ深いだろう。「しまし」は「しばし」の古語で、しばらく。「あり待て」の「あり」は、そのまま。郎女も同じく戯れの心をもって詠んでいます。
 


和歌の修辞技法

  • 枕詞(まくらことば)
    序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
  • 序詞(じょことば)
    作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
  • 掛詞(かけことば)
    縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
  • 縁語(えんご)
    1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
  • 体言止め
    歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
  • 倒置法
    主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
  • 句切れ
    何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
  • 歌枕
    歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。