| 訓読 |
683
言ふ言(こと)の畏(かしこ)き国ぞ紅(くれなゐ)の色にな出(い)でそ思ひ死ぬとも
684
今は我(わ)は死なむよ我が背(せ)生けりとも我(わ)れに依(よ)るべしと言ふと言はなくに
685
人言(ひとごと)を繁(しげ)みか君が二鞘(ふたさや)の家を隔(へだ)てて恋ひつつまさむ
686
このころは千歳(ちとせ)や行きも過ぎぬると我(あ)れかしか思ふ見まく欲(ほ)りかも
687
愛(うるは)しと我(あ)が思ふ心(こころ)早川(はやかは)の塞(せ)きに塞(せ)くともなほや崩(く)えなむ
| 意味 |
〈683〉
軽々しく物を言ってはならないこの国ですよ、思う気持を表沙汰にしてはいけません。たとえ思い死にしようとも。
〈684〉
もう私は死んでしまいますよ、あなた。生きていても、あなたが私に心を寄せてくれるなどと言ってくれる人もいないようです。
〈685〉
人の噂がうるさいからか、二鞘のように近い家どうしなのに、私に恋い焦がれさせておく(ちっとも顔を見せない)おつもりですか。
〈686〉
このごろ、お逢いできずに千年も経ってしまったのかと思えてならない私です。そう思うのも、あなたにお逢いしたいからなのか。
〈687〉
愛しいと私が思う心は流れの速い川のようで、塞き止めても塞き止めてもやはり崩れてしまうことだろうか。
| 鑑賞 |
題詞に「大伴坂上郎女が歌七首」とあるうちの5首。683の「言ふ言の畏き国ぞ」は、日本という国は古来言葉の禁忌が厳しく、その呪力を恐れ慎む習いの国であるという意。「紅」は、キク科の多年草のベニナバ。「紅の」は「色に出づ」の枕詞。「色にな出でそ」の「な~そ」は禁止で、顔色には出すな、表沙汰にはするな、の意。「思ひ死ぬとも」は、たとえ思い死にすることになっても。この歌について、窪田空穂は次のように述べています。「すでに夫婦関係は結ばれていたが、まだ秘密にしておくべき時期に、夫である人に対して贈ったもので、その秘密を他人に悟られて、噂の種になることはけっしてするなと、堅く禁じた心である。禁じるのは、その関係を重んじるためで、したがって歓びを背後に置いてのものである。この秘密の厳守は、必要のあってのことではあるが、女性の特性も伴ってのものと見られる。調べが張って、強さを含んでいるために、誇張が自然なものとなり、全体として美しいものとなっている。冴えた美しさである。これは郎女の特色で、この七首は最もよくそれをあらわしている」。
684の「今は我は死なむよ」は、もう私は死んでしまいますよ。激しい恋心を言っているようですが、実は女歌の技巧でもあります。「生けりとも」は、たとえ(私が)生きていたとしても。「我れに依るべし」は、私を頼りにせよ、私に寄り添え、という、夫として女性を一生守り抜くという強い誓いの言葉。「言ふと言はなくに」は、(そう)言ってくれるわけではないので。「に」は逆接や理由を含んだ余韻を残す助詞。
685の「人言を繁みや」の「や」は、疑問で、人の噂がうるさいからか。「二鞘の」は、二つの刀を一つの鞘に入れる、あるいは一つの鞘を二つに分けたような、の意で、ぴったり隣り合っている様子を指し、「家」にかかる枕詞。「家を隔てて」は、家が隣り合っているのに逢えない状況、物理的にはすぐそばにいるのに、あえて訪問を控えている状況。「恋ひつつまさむ」は、(私を)恋しく思わせ続けるのですか。相手が来ないことへの不満を、あえて「私を恋しがらせている」と表現しています。
686の「このころは」は、最近の数日間。実際にはほんの短い間であることを示唆しています。「千歳や」の「千歳」は千年で、非常に長い時間の比喩。「や」は、疑問。「我れかしか思ふ」は、私だけがそのように思うのでしょうか。自分の感覚が普通ではないことを自覚しつつ、その異常さを強調しています。「見まく欲り」は、逢いたいと思う。「かも」は、疑問。
687の「愛しと」は、原文「愛常」で、ウツクシト、ウルハシトの両様に訓めますが、男子に対してはウルハシを用いるのが普通とされます。「早川」は、流れの速い川。塞き止めることが困難なものの比喩。「塞きに塞くとも」は、塞き止めても塞き止めても。「なほや崩えなむ」の「なほや」は、それでもやはり。「や」は、詠嘆。「崩えなむ」は、崩れてしまうだろう。「なむ」は強い推量・確信を伴う表現です。

大伴坂上郎女の略年譜
大伴安麻呂と石川内命婦の間に生まれるが、生年未詳(696年前後、あるいは701年か)
16~17歳頃に穂積皇子に嫁す
714年、父・安麻呂が死去
715年、穂積皇子が死去。その後、宮廷に留まり命婦として仕えたか
721年、藤原麻呂が左京大夫となる。麻呂の恋人になるが、しばらくして別れる
724年頃、異母兄の大伴宿奈麻呂に嫁す
坂上大嬢と坂上二嬢を生む
727年、異母兄の大伴旅人が太宰帥になる
728年頃、旅人の妻が死去。坂上郎女が大宰府に赴き、家持と書持を養育
730年 旅人が大納言となり帰郷。郎女も帰京
730年、旅人が死去。郎女は本宅の佐保邸で刀自として家政を取り仕切る
746年、娘婿となった家持が国守として越中国に赴任
750年、越中国の家持に同行していた娘の大嬢に歌を贈る(郎女の最後の歌)
没年未詳
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