| 訓読 |
691
ももしきの大宮人(おほみやひと)は多かれど心に乗りて思ほゆる妹(いも)
692
うはへなき妹(いも)にもあるかもかくばかり人の心を尽(つく)さく思へば
693
かくのみし恋ひや渡(わた)らむ秋津野(あきづの)にたなびく雲の過ぐとはなしに
| 意味 |
〈691〉
大宮に仕える女官はたくさんいるけれども、私の心に乗りかかってしっかり心惹かれる人は、あなたです。
〈692〉
あなたは何て冷たい人であることか。私がこんなに心を尽くして思っていることを思うと。
〈693〉
こんなふうに恋い続けるのだろうか。秋津野にたなびく雲がやがて消えていくようには、思いが消えるということもなく。
| 鑑賞 |
691・692は、大伴家持が娘子に贈った歌。691の「ももしきの」は、原文「百礒城之」で、多くの礒(いし)のある城の讃詞として「大宮」にかかる枕詞。「大宮人」は、朝廷に仕える男女百官。ここでは女官の総称。「心に乗りて」は、まるで相手が心に覆いかぶさったように思われ、他の事を考えることができなくなる意で、類例の多い語。「思ほゆる」は「思う」+自発の助動詞「ゆ」。自然と(あなたのことが)思われてしまう、という意味。
692の「うはへなき」は、愛想のない、冷たい。「妹にもあるかも」の「も」「かも」は、詠嘆で、嘆いての語。「かくばかり」は、これほどまでに。「人の心を尽さく思へば」の「人」は、相手からつれなくされている存在としての自分を言っています。691の歌に対して、相手からの返事がなかったことの嘆きの歌のようです。相手は女官の一人だったとみられ、誰だか分かりませんが、あるいは後に家持の妾となって二人の子を産み、天平11年(739年)夏に亡くなった女性ではないかとも推測されます。
693は、大伴千室(おおとものちむろ)の歌。大伴千室は、天平勝宝6年(754年)に大伴家持邸での年賀の宴で歌を詠んでおり、そのとき左兵衛督(さひょうえのかみ:行幸の供奉などをつかさどる左兵衛府の長官)。『万葉集』には2首。「かくしのみ」は、こんなふうに。「恋ひや渡らむ」は、恋い続けるのだろうか。「秋津野」は、奈良県吉野町宮滝付近の秋津の野か。「たなびく雲の」は「過ぐ」を導くための比喩的な表現です。「過ぐとはなしに」の「過ぐ」は、思わなくなる、思いが消える。

娘子
国文学者の藤原芳男氏は、自身の論文「万葉の郎女」の中で、「娘子」一般について言及し、『万葉集』において何娘子と呼ばれたものは概ね卑姓の人たちであり、持統5年8月の詔でその祖先の墓記を上進せしめられた18氏(大三輪・雀部・石上・藤原・石川・巨勢・膳部・春日・上毛野・大伴・紀伊・平群・羽田・阿倍・佐伯・采女・穂積・阿曇)の中には見当たらないことを指摘しています。上掲の大伴家持の歌に題された「娘子」は、おそらく一人の特定人物ですが、故意に姓氏を略したのは、一般の女性なみに扱われたのか、あるいは何か故あってのことだったのでしょうか。
【PR】
『万葉集』クイズ
次の歌は、いずれも大伴家持と関わりのあった女性の歌です。それぞれの作者名を答えてください。
【解答】 1.紀女郎 2.笠郎女 3.紀女郎 4.大伴坂上大嬢 5.笠郎女 6.平群女郎 7.大伴坂上郎女 8・笠郎女 9.中臣女郎 10.笠郎女
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |