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巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-710~713

訓読

710
み空行く月の光にただ一目(ひとめ)相(あひ)見し人の夢(いめ)にし見ゆる
711
鴨鳥(かもとり)の遊ぶこの池に木(こ)の葉落ちて浮きたる心(こころ) 我(あ)が思はなくに
712
味酒(うまさけ)を三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉(すぎ)手触れし罪か君に逢ひかたき
713
垣穂(かきほ)なす人言(ひとごと)聞きて我(わ)が背子(せこ)が心たゆたひ逢はぬこのころ

意味

〈710〉
 月明かりの下でたったひと目見かけただけの人、そのお方の姿が夢に出てきます。
〈711〉
 鴨が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮かぶような、そんな浮わついた心で私はあなたを思っているのではありません。
〈712〉
 三輪の神官があがめる杉、その神木に手を触れた祟りなのでしょうか、なかなかあの方に逢えないのは。
〈713〉
 垣根のように二人の仲を隔てる噂のせいで、あなたの心がためらっているのか、このごろ逢ってくださらない。

鑑賞

 710は、安都扉娘子(あとのとびらのをとめ)の歌。安都扉娘子は伝未詳ながら、物部氏と同祖の安都氏出身の娘子とされます。「扉」は字(あざな)か。『万葉集』にはこの1首のみ。大伴家持を中心とした贈答歌群中にあるため、家持をとりまく女性の一人だったかもしれません。

 「み空」の「み」は美称。「月の光に」の「に」は、単なる時間的な背景ではなく、月の光を頼りに、月の光の下でという状況を示します。「相見し」は、ふつう男女の関係をもったことを言いますが、ここでは「ただ一目」とあるので、視線を交わした、あるいはちょっと逢った程度のこととみられます。もっとも、月の光にあたることは普段は禁忌とされましたから、月の光を浴びている男は、祭りをしているなど、特殊な状態にあったのでしょう。そういう状態だったから、娘子はよけいに心惹かれたのかもしれません。「夢にし」の「し」は、強意の副助詞。思う相手のことを夢に見ると、相手も自分を思っている証拠だとする当時の俗信が下地にあります。作家の
田辺聖子はこの歌を「恋のためいきのような、はかなくかそけき歌」と言い、また、窪田空穂は「調べに、静かではあるが強いものがあって、それが魅力をなしている」と評しています。

 711~713は、
丹波大女娘子(たにはのおほめをとめ:伝未詳)の歌。711の「鴨鳥」は、鴨のこと。上3句は「木の葉落ちて」水に浮く意で「浮きたる」を導く序詞。「浮きたる心」は、浮気な心、浮ついた心。「我が思はなくに」は、私は(そんな風に)思ってはいないのに。強い否定と、相手への弁明・訴えが含まれています。目の前の具体的な風景を、自分の抽象的な心情の説明に鮮やかに転換している歌です。

 
712の「味酒を」の「味酒」は「みわ」とも読み、同音で「三輪」にかかる枕詞。「三輪」は、大神(おおみわ)神社のことで、お酒の神様であることを踏まえています。「祝」は、神職の階級の称で、神主に次ぐ位。「斎ふ杉」は、神が宿る木(御神木)として大切に祀られている杉の木。樹齢の長い巨木には神が宿るとして崇められてきました。「手触れし罪か」は、(うっかり)手を触れてしまった罪なのだろうか、という自問。「君に逢ひかたき」は、あなたに逢うことが難しい。

 
713の「垣穂なす」の「なす」は、のように。「人言」は、人の噂。噂話が単なる声ではなく、物理的な垣根となって、自分と愛する人の間に立ちはだかっている、二人の仲を裂こうとする世間の執拗な干渉を、目に見えるイメージで描き出しています。「心たゆたひ」は、心がゆらゆらと定まらないこと。迷うこと。「逢はぬこのころ」は、逢えないでいる、この近頃。3首とも夫に疎くされている嘆きの歌です。
 


味酒(うまさけ)

 「三輪」の枕詞となっている「うまさけ」の「ウマ」は、現代語に「うまい」と残っていますが、恋人との充実した共寝を「うま寝」というように、甘美な素晴らしさをいう語です。「サケ」は栄える、境のサカ、花が咲くのサクなど、境界や先端部の異境の霊威を強く感じている語ですから、「うまさけ 三輪」は、三輪が神々の霊威の溢れている場所であることを表現しています。この「うまさけ 三輪」が後に酒の名産地としても三輪という像を生み出しました。奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社は、三輪山をご神体とし、酒造りの神様として知られています。 

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田辺聖子と『万葉集』

 作家・田辺聖子(1928~2019年)は、古典文学の魅力を現代の息吹とともに解き明かした第一人者であり、『万葉集』の文学的解釈と大衆化においても極めて大きな功績を残しました。学者による厳密な注釈とは一線を画し、「歌の背後にいる人間の素顔や心理」を小説家ならではの観察眼で瑞々しく描き出した点が最大の特徴です。田辺聖子の万葉論の根底にあるのは、古代の人々に対する圧倒的な親近感と共感です。

 額田王、大伴家持、柿本人麻呂などの有名歌人はもちろん、名前も残っていない市井の人々の歌に対しても、彼らの生活感、嫉妬、意地、照れ、恋ごころを軽妙かつリアルに解き明かしました。お堅い「古典」としてではなく、「この男は格好つけている」「この女性の返しはなかなかしたたか」といった、関西人らしいユーモアと愛あるツッコミを交えて鑑賞を提示しました。主な万葉関連の著書は下記の通りです。

  • 『田辺聖子の万葉散歩』
    万葉の歌ゆかりの地(奈良・飛鳥・吉野・難波など)を訪ねながら、歌に込められた情感を味わう人気の紀行随筆。
  • 『田辺聖子の古典まんだら(上)』
    『古事記』から平安文学までをわかりやすく紐解く古典入門書。『万葉集』の章が設けられており、額田王の恋歌や天皇・庶民の歌に見られる大らかな人間味について解説しています。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。