| 訓読 |
729
玉ならば手にも巻(ま)かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし
730
逢はむ夜(よ)はいつもあらむを何すとかその宵(よひ)逢ひて言(こと)の繁(しげ)きも
731
我(わ)が名はも千名(ちな)の五百名(いほな)に立ちぬとも君が名(な)立たば惜(を)しみこそ泣け
732
今しはし名の惜(を)しけくも我(わ)れはなし妹(いも)によりては千(ち)たび立つとも
733
うつせみの世やも二行(ふたゆ)く何すとか妹(いも)に逢はずて我(わ)がひとり寝(ね)む
734
我(わ)が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹(いも)が手に巻かれなむ
| 意味 |
〈729〉
あなたが玉であったなら、緒に通して腕に巻き、肌身離さずいるでしょうに、でも、あなたはこの世に生きている人間なのですから、手に巻くことなんてできません。
〈730〉
お逢いできる夜は他にいくらもあったでしょうに、何だってあの晩にお逢いしたのでしょう、ひどく噂が立ってしまったことです。
〈731〉
私の名は千も五百も噂になってかまいませんけれど、あなたの名が一度でも立ってしまうと、惜しくて泣くことでしょう。
〈732〉
今はもう私の名を惜しむ気持ちなどありません。あなたのせいなら千度の浮き名立とうとも。
〈733〉
二度あることのないこの世なのに、かけがえのないこの夜に、どうしてあなたに逢わずに一人で寝られましょうか。
〈734〉
こんな苦しい思いをするくらいなら、いっそ玉にでもなって、仰せの通りあなたの手に巻かれていたい。
| 鑑賞 |
729~731は、大伴坂上大嬢が大伴家持に贈った歌。729の「玉」は、真珠や貴石のこと。「うつせみ」は、現身(うつしみ)の転で、現世に生きている身。「うつせみの」は「世」の枕詞。「手に巻きかたし」は、手に巻くのは難しい。一見、突き放しているような言い方ですが、逆説的な愛の告白であり、本当は手に巻いてしまいたいほどあなたを独占したいという本音を、人間だから無理ですね、という理屈で包んでいるものです。この歌は、以前に家持から贈られた「朝に日に見まく欲りするその玉を如何にせばかも手ゆ離れずあらむ」(巻第3-403)を踏まえての詠と見られます。二人が隔絶していた間、大嬢も家持のことを思い続けていたということでしょうか。
730の「逢はむ夜はいつもあらむを」は、逢える夜はこれからも常にあるのに。「何すとかその宵逢ひて」は、どうしてあの夜、逢ってしまったのかしら、という後悔の言葉。ただし、本心からの拒絶というよりは、あなたの情熱に負けてしまったという、どこか甘やかな反省で、家持の押しに負けてしまった自分を、少し恥じらっている様子が伺えます。「言」は、噂。「繁きも」の「も」は、詠嘆。
731の「千名の五百名に」は非常に数の多いことを表し、噂の激しさを誇張した表現ですが、他の用例がないので大嬢の造語かもしれません。「惜しみこそ泣け」は、口惜しくて泣かずにいられない。「こそ+已然形」の係り結びで、単なる強調(非常に〜だ)を意味するだけでなく、他の何でもなく、まさにこれこそが理由だという強い断定や感情の昂りを表現します。自分の名はいい。でも、あなたの名が汚れることだけは耐えられないという、徹底した相手本位の愛であり、一族を背負う若きエリートである家持のキャリアや評判に傷がつくことを、彼女は自分の名誉以上に恐れ、慈しんでいます。しかし、二人が夫婦になることに、何か世間の面目を失う事情があったのでしょうか。
732~734は、大伴家持が坂上大嬢に答えた歌3首。732の「今しはし」の「し」は、双方とも「今」を強調する副助詞。今という今は、今となっては。「惜しけく」は「惜し」の未然形に「く」を添えて名詞形にしたもの。「妹によりては」は、あなたのことが原因というのであれば。731で大嬢が「あなたの名が汚れるのが惜しくて泣けてしまう」と献身的な愛を捧げたのに対し、家持が「そんな心配はいらない、受けて立つ」と男らしく、かつ情熱的に応えた一首です。
733の「うつせみの」は「世」の枕詞。「世やも二行く」の「やも」は反語で、「二行く」は、二度通る、繰り返すという意味。この世が繰り返されることなどあろうか。「何すとか」は、どうして、何とて。「逢はずて」は、逢わずして。この「逢ふ」は、単に対面するのでなく、男女が夜を共にすることを指します。「我がひとり寝む」は、独りで寝るだろうか(いや、寝るはずがない)。畳み掛けるようなリズムによって、せっかく命を持って生まれてきたのに、愛するあなたを抱かずに独りで寝るなんて人生の損失だ、という、非常にストレートで肉感的な訴えとなっています。
734の「かくてあらずは」は、このままで(逢えないままで)いるくらいなら。「玉にもが」の「もが」は、願望。わが身が玉であってほしい。729で大嬢が「あなたが玉だったらいいのに」と言ったのに答えたもので、絶えず一緒にいたいという気持ちを表しています。「まことも」は、本当に。大嬢の譬喩をなぞりつつ、自分の情熱をそこに上書きする「本歌取り」のような構成になっています。
732は大嬢の731に答え、733は730に答え、734は729に合せています。贈答歌はこのように互いに相応じて歌われるものであり、さらに3首を逆順にあとの歌から先の歌へと答えていくというのも一つの趣向となっています。

うつせみ
この世の人、現世の人、現世を意味する語。その語源は、ウツシオミ(現し臣」とされる。ウツシオミのウツシ(現し)は神の世界に対する人間世界の形容、オミ(臣)はキミ(君)に対する語で、神に従う存在をいう。このウツシオミがウツソミと縮まり、さらにウツセミに転じたものである。かつては「現身(うつしみ)」が語源と考えられたが、ウツセミの「ミ」は上代特殊仮名遣の甲類であり、乙類の「身」とは合わないため認められない。
ウツセミは、現世において、人間を神に仕える存在と捉える観念に基づく語である。そのことは、「雄略記」に載る、語源となったウツシオミの語から確認できる。天皇が葛城山に百官を引き連れて登ると、向かいの山に自分たちと全く同じ装いで同じ行動をとる一行が現れた。立腹した天皇が誰何すると、相手は葛城の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)だと名乗る。恐れ畏まった天皇が神に述べた一言が「恐(かしこ)し。我が大神。うつしおみに有れば、覚(さと)らず」である。これは天皇が神に不覚を詫びる発言であり、ウツシオミは幽界の神に対して、自らを顕界の臣下である人間と卑下した言葉となっている。
~『万葉語誌』から引用
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