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巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-735・736

訓読

735
春日山(かすがやま)霞(かすみ)たなびき心ぐく照れる月夜(つくよ)にひとりかも寝む
736
月夜(つくよ)には門(かど)に出で立ち夕占(ゆふけ)問ひ足占(あしうら)をそせし行かまくを欲(ほ)り

意味

〈735〉
 春日山に霞がたなびいて、おぼつかなくも照っているこの月夜に、私は独りで寝るのでしょうか。
〈736〉
 月夜には門のところに出て行って、夕占で吉凶を問い、また足占いで正否を占いました、あなたのもとへ行きたく思って。

鑑賞

 735は、大伴坂上大嬢家持に贈った歌。736は、それに家持が答えた歌。735の「春日山」は、平城京の東にある山で、大嬢の家の近く。「心ぐく」は、おぼつかなくで、下の「照れる」に続き、また、心が晴れない、悩ましいの意もあり、「ひとりかも寝む」にもかかるとされます。「月夜」は、ここは月のある夜の意。「ひとりかも寝む」の「かも」は、疑問。窪田空穂は、「初句より四句までは、自然の風光の快いことをいい、結句は、その快い風光にふさわしい心的状態をもちたいと願っているが、それが得られない嘆きを訴えているものである。・・・大嬢の歌としては優れたもの」と言っています。

 
736の「夕占」は、夕方、往来に立ち、道行く人の言葉を聞いてわが吉凶を占うもの。「足占」は、目標地点に左右どちらの足で到着するかなどによって吉凶を占うもの。「行かまくを欲り」の「行かまく」は「行かむ」のク語法で名詞形。行きたいと思って。大嬢が月の夜なのに一人寝しなければならない嘆きをうたっているのに対し、家持は、月の夜だからあなたに逢いに行こうと占いをしたが「否」だったと弁解しているらしくあります。ここの贈答からは、逢引が行われるのは月の照る夜だったことが窺えます。
 


うら(裏・浦・占)

 オモテ(表)の対。表面から隠れて見えないものがウラであり、それをオモテに現わすこともウラといった。ウラには「裏」「浦」「占」などの文字が宛てられるが、基本は右に示した原意に収まる。裏は表の反対だから、もっともわかりやすい。浦は、湾曲した海岸線、すなわち入江を意味し、海上からは隠れて見えない場所。

 「占」は、隠れた神意を表に現わすことで、『万葉集』には、当時のさまざまな占が見えている。「夕占(ゆふうら。ゆふけ)」、「足占(あしうら・あうら)」、「道行き占」、「水占(みなうら)」などである。

 夕占は、吉凶を知りたい者が衢(ちまた:辻)に立ち、そこに行き交う人びとの何気ない言葉を記憶して、それを占い者に判断してもらう占のこと。道行き占も同様である。夕べに行うので夕占と言った。道の果ては異界に通じていると信じられたから、そこを通行する者の中には、悪霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類も混じっていると考えられた。他方、その中には、人知を超える呪能をもつ者もいるとされた。しかも、衢は道の集まるところだから、そこにはさまざまな神秘が生ずる。そこで衢を行き交う人の言葉には、未来の吉凶を予言する不思議な力が宿るとされた。夕べは、神の時間と人の時間の接点だから、異界の神秘と触れあうことのできる特別な時間とされた。

 足占は、左右の足に予め吉凶を定め、どちらの足で目標に着いたかで判断する占、水占は、水面に縄のようなものを浮かべ、それにかかる物で判断する占というが、どちらも実態は不明である。鹿の肩胛骨に焼いた錐(きり)を突き通し、その通り具合や周囲に生じたひびの形状で吉凶を判断する占もあった。大陸伝来の亀甲を用いた占(亀卜:きぼく)もあった。いずれにしても隠れた神意を明らかにするところに、それらの占の目的がある。

 人の内面もウラと呼ばれた。心と言い換えてもよいが、表面からは察知できない、そのありようが問題とされる時にウラと呼ばれた。この場合は、ウラナシという否定形の例がわかりやすい。

~『万葉語誌』から引用

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