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巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-741~745

訓読

741
夢(いめ)の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻(か)き探(さぐ)れども手にも触(ふ)れねば
742
一重(ひとへ)のみ妹(いも)が結ばむ帯(おび)をすら三重(みへ)結ぶべく我(あ)が身はなりぬ
743
我(あ)が恋は千引(ちびき)の石(いし)を七(なな)ばかり首に懸(か)けむも神のまにまに
744
夕さらば屋戸(やど)開(あ)け設(ま)けて我(あ)れ待たむ夢(いめ)に相(あひ)見に来(こ)むといふ人を
745
朝夕(あさよひ)に見む時さへや我妹子(わぎもこ)が見れど見ぬごとなほ恋(こほ)しけむ

意味

〈741〉
 夢の中で逢うのは苦しいものです。あなたに逢えたと思って目を覚まして手探りしても、何にも触れることができないので。
〈742〉
 あなたが結んでくれる時には一回り結べばちょうどよかったこの帯も、今では三回りに結ぶほどに、私の身はやせ細ってしまいました。
〈743〉
 私の恋は、千人がかりで引く巨岩を七つも首にかけているほど苦しく重い。それも神の思し召しとあれば耐えなければならない。
〈744〉
 夕方になったら、あらかじめ戸を開けて私は待とう。夢で逢いに来ようというその人を。
〈745〉
 たとえ朝夕逢えるようになったとしても、あなたは、逢っていても逢っていないかのようにやはり恋しく思うことだろうか。

鑑賞

 若かりし大伴家持が、のちに彼の正妻となる坂上大嬢に「更に贈る歌」15首のうちの5首。741・742・744は、奈良時代に伝来した唐代の伝奇小説『遊仙窟』の影響を受けているとされます。日本人にとって最初の外国小説で、日本文学に大きな影響を与えました。そのあらすじは、主人公の男が黄河の源流を訪れる途中、神仙の岩窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と兄嫁の王五嫂(おうごそう)の二人の戦争未亡人に一夜の歓待を受け、翌朝名残を惜しんで別れるというものです。

 
741は、その中の「夢ニ十娘ヲ見ル。驚キ覚メテ之ヲ攬(かいさぐ)ルニ、忽然(たちまち)手ヲ空シウセリ」の文章に拠っています。当時は神仙思想が盛んに行なわれていたらしく、家持はその作中の主人公に擬する気持ちで歌を詠んだようです。「夢の逢ひ」の「逢ひ」は、名詞形。この文句はこの一例しかなく、家持の創作句とされます。「おどろきて」は、目を覚まして。「掻き探る」は、夢に見た人が傍らにいる気がして、闇の中で、手で掻き探る意。「手にも触れねば」は、手にさえも触れないので、それがすなわち「苦し」です。

 
742の「一重のみ妹が結ばむ帯をすら」は、あなたがひと重に結んでくれた私の帯なのに、の意。「一重」には、健康で満ち足りていた過去の記憶が投影されています。「三重に結ぶ」は、身が衰えて痩せたことを誇張して表現したもの。大嬢に対し健康被害を大げさにアピールしているもので、『遊仙窟』で、主人公が十娘と別れたあとの切ない気持ちを述べた個所にあり、集中の他の歌にもみられる表現です。家持らしい少し甘えた、かつ巧みなアプローチです。

 
743の「千引の石」は、千人で引いて運ぶ石で、『古事記』にも登場する、黄泉の国の入り口をふさいでイザナギとイザナミを隔てた巨大な岩のこと。「七ばかり首に懸けむも」は、その岩を七つも首にかけるというので、ありえない負荷ですが、これをあえて持ち出すことで、自分の恋心が物理的に押しつぶされそうなほど重いことを誇張して表現しています。「神のまにまに」は、神の思し召しのままに。

 
744の「夕さらば」は、夕方になったら。「屋戸」は、家の戸。「開け設けて」は、開けて準備して。「夢に相見に来む」は、大嬢の消息の語。「人」は、大嬢のこと。この歌も『遊仙窟』の「今宵ナカレ閉サスコト戸ヲ夢ノ裏ニ向ハム君ガアタリニ」に拠っているとされます。

 
745の「朝夕に見む時さへや」は、朝も夕も一緒にいて、顔を合わせている時でさえ。「見れど見ぬごと」は、逢っても逢っていないかのように。「恋しけむ」は、やはり恋しいのだろうか。「けむ」は、過去推量の助動詞「けむ」の連体形で、上の「や」の係り結び。単なる疑問を超えた強い詠嘆と、自問自答のニュアンスを表現しています。朝夕見ているのだから、恋しさは静まるはずなのに、それでもなお、恋しいなんてことがあろうか、という、理屈では説明できない愛の深さを際立たせています。
 


『遊仙窟』

 中国、初唐時代に、流行詩人の張鷟(ちょうさく)、字(あざな)は文成、によって書かれた恋愛伝奇小説。

 筋書は、作者と同名の「張文成」なる人物が、黄河上流の河源に使者となって行ったとき、神仙の岩窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と兄嫁の王五嫂(おうごそう)の二人の戦争未亡人に一夜の歓待を受け、翌朝名残を惜しんで別れるというもの。その間に84首の贈答を主とする詩が挿入されている。

 本書は中国では早く散逸したが、日本には奈良時代に伝来し、『 万葉集』の、大伴家持が坂上大嬢に贈った歌のなかにその影響があり、山上憶良の『沈痾自哀文(ちんあじあいのぶん)』などにも引用されている。

 その他、『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』『唐物語』『宝物集』などにも引用され、江戸時代の滑稽本や洒落本にも影響を与えた。

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