| 訓読 |
813
かけまくは あやに畏(かしこ)し 足日女(たらしひめ) 神の命(みこと) 韓国(からくに)を 向(む)け平(たひ)らげて 御心(みこころ)を 鎮(しづ)めたまふと い取らして 斎(いは)ひたまひし 真玉(またま)なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代(よろづよ)に 言ひ継ぐがねと 海(わた)の底 沖(おき)つ深江(ふかえ)の うなかみの 子負(こふ)の原に 御手(みて)づから 置かしたまひて 神(かむ)ながら 神(かむ)さびいます 奇(く)し御魂(みたま) 今の現(をつつ)に 尊(たふと)きろかむ
814
天地(あめつち)のともに久しく言ひ継(つ)げとこの奇(く)し御魂(みたま)敷(し)かしけらしも
| 意味 |
〈813〉
口に出すのも恐れ多いが、神功皇后が韓の国を平らげるにあたり、御心をお鎮めになろうと、御手にお取りになり祀られた、玉のような二つの石、その尊い石を世の人々にお示しになって、霊験のあらたかさを後世に語り継ぐようにと、深江の里の海のほとりの子負の原に御自ら置かれて以来、その二つの石は神そのものとして神々しく鎮まっておいでになる。この霊妙な御霊の石は、今の世にもまことに尊い。
〈814〉
天地とともに末永く語り継げとて、この霊妙な霊石を、ここにお置きになったものらしい。
| 鑑賞 |
神功皇后(じんぐうこうごう)と鎮懐石(ちんかいせき)を詠んだ歌。前文に次のような記載があります。――筑前の国、怡土郡(いとぐん)深江村(ふかえむら)子負(こう)の原の、海に臨む丘の上に二つの石がある。大きいのは高さ一尺二寸六分、周囲一尺八寸六分、重さ十八斤五両。小さいのは高さ一尺一寸、周囲一尺八寸、重さ十六斤十両。どちらも楕円形で、形は鶏卵のようだ。その美しく立派なことは言いようもない。世にいう「径尺の璧」とはまさしくこれをいうのであろう。(或いは、この二つの石は、もとは肥前の国彼杵郡(そのきぐん)平敷(ひらしき)にあった石で、占いをするために取り寄せたものだという) 深江の駅家(うまや)から二十里ほどの道のほとりにある。そのため、公私を問わず往来に馬を下りて拝まない人はいない。古老が言い伝えるには、「むかし神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅(しらぎ)を征伐なさったときに、この二つの石を御袖の中に挟んで御心をお鎮めになった。(本当は御裳の中に入れた) そういうわけで旅する人はこの石を拝礼するのだ」という。そこで作った歌。――
「筑前の国怡土郡深江村」は、福岡県糸島市二丈深江。鎮懐石八幡宮には、神功皇后にまつわる伝説の「鎮懐石(ちんかいせき)」が祀られています。鎮も懐も、安らかにやわらげる意で、歌によれば御心の鎮めとありますが、事実は胎中を鎮めて出産を延期させたことを言うようです。もっとも、そのような大きさの石をどのようにして身につけたのか不思議とされますが、これについて本居宣長は、神功皇后の御世から奈良宮のころまでは、五百年あまりも経っているので、多くの年を経れば、小さかった石も大きくなるものだと説明しています。
813の「かけまく」は「かけむ」のク語法による名詞形で、口に出して言うこと。「あやに」は甚だ。「足日女」は神功皇后。「神の命」は神として尊んでの称。「韓国」は新羅。「向け平らげて」は平定して。「い取らして」の「い」は、接頭語。お取りになって。「斎ひたまひし」はお祀りになった。「真玉なす」の「真」は、美称。玉のような。「言ひ継ぐがね」の「がね」は、願望の助詞。「海の底」は「沖」の枕詞。「海の底沖つ」は、深シと地名の深江を掛詞にした序詞。「うなかみ」は、海のほとり。「神ながら神さびいます」は、神として神々しくいらせられる。「奇し」は、霊妙な。「尊きろかむ」の「ろ」は、接尾語。「かむ」は「かも」と同じ。814の「天地のともに久しく」は、天と地が続く限り永遠に、という意味。「言ひ継げと」は、後世まで語り伝えよ、として。「敷かしけらしも」の「敷かし」は、お置きになる。「けらし」は「けるらし」の略で、過去の強い推量。「も」は、詠嘆。
なお、左注に、このことを伝承したのは那珂郡(なかぐん)伊知郷(いちのさと)蓑島(みのしま)の人、建部牛麻呂(たけべのうしまろ)なり、とあり、また、本文に作者名はないものの、目録に「山上憶良が鎮懐石を詠んだ歌」とあります。

神功皇后について
神功皇后は『日本書紀』などにみえる仲哀天皇の皇后で、名は気長足姫(おきながたらしひめ)といいます。神と交感する能力を持つ巫女的な女性で、夫の仲哀天皇が神の託宣を信じず祟りにあって頓死したため、皇后は託宣に従い、自ら先頭に立って新羅を攻めます。このとき大小の魚が寄り集まって、船の進行を助けたといいます。新羅の王は皇后の軍団の勢いに圧倒されて戦わずして降り、高句麗、百済もこれに倣いました。
この軍旅に際し、身籠っていた皇后は臨月を迎えていましたが、鎮懐石(ちんかいせき)という石をお腹に当てて出産を遅らせ、筑紫へ凱旋してから、現在の宇美八幡宮(福岡県宇美町)で御子(のちの応神天皇)を生みます。また、このときの鎮めの石を祀る鎮懐石八幡宮が、福岡県糸島市にあります。上の山上憶良の歌には、石の具体的な寸法と共に、人々が盛んにお参りしていた様子が詠われています。
皇后は出産ののち、反乱の企てなども粉砕し、大和で御子を皇太子に立てて後見に当たり、応神が即位するまで69年間も政治を執っていたといいます。記紀の記載では、皇后は皇位に就かなかったことになっていますが、天皇に匹敵する存在であり、『日本書紀』でも天皇に準じた扱いをしています。『日本書紀』にはさらに多くの日朝関係の記事が記され、なかには史実と考えられるものもあり、また4か所にわたって『魏志(ぎし)』や『晋書(しんじょ)起居注』が引用され、編者が神功皇后を倭の女王(卑弥呼)に比定していたことが窺えます。
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さぶ ・さぶし
サブとは、対象が始原の状態のままにあることを讃美する言葉である。始原の状態とは、あるべき理想の状態と言い換えてもよい。このようなサブは、単独で現れるよりも、「・・・さぶ」のように、接尾語的に用いられることが多い。その場合は、そのもの本来の属性がありありと現れる意になる。「神さぶ」「娘子(をとめ)さぶ」「男(をとこ)さぶ」「貴人(うまひと)さぶ」などの例がそれにあたる。「神さぶ」は、神が神のままの本性をさながらに示す意。神々しいという訳語が宛てられることが多い。「娘子さぶ」「男さぶ」は、娘子らしさ、男らしさをあるべき理想の姿の現れとして捉えた言葉である。娘盛り、男盛りの華やかさを表現する。「貴人さぶ」は、いかにも高貴な身分の人らしく見えることをいう。ただし、場合によっては揶揄の意味を示すこともある。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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