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巻第5(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第5-815~817

訓読

815
正月(むつき)立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終(を)へめ
816
梅の花今咲けるごと散り過ぎず我(わ)が家(へ)の園にありこせぬかも
817
梅の花咲きたる園の青柳(あをやぎ)は縵(かづら)にすべくなりにけらずや

意味

〈815〉
 正月になり、新春を迎えたら、こうやって梅を見ながら楽しい一日を過ごしましょう。
〈816〉
 梅の花よ、今咲いているそのままで、散り過ぎることなくいつまでも我らの庭に咲き続けておくれ。
〈817〉
 梅の花が咲き匂うこの庭園の青柳も芽吹いて、これも縵にできるほどになったではないか。

鑑賞

 ここの歌は、天平2年正月13日、大宰府の大伴旅人の邸宅での宴で詠まれた「梅花の歌」32首(815~846)の最初の3首です。815は、大弐(だいに)紀卿(きのまえつきみ)の歌。主人の旅人に次ぐ大宰府次官の紀男人(きのおひと)のことで、賓客の中では最高位の人です。開宴の冒頭にふさわしく、言祝いで挨拶をしつつ、一同に楽しみ尽くそうと呼びかけています。「かくしこそ」の「かく」は、このように。「し」は、強意の副助詞。「招きつつ」は、梅を正客に見立てた擬人的表現。「楽しき終へめ」は、楽しみの限りを尽くそう、の意。この歌のあとに出席者全員による歌が1首ずつ並んでいます。

 歌群の前には、漢文で書かれた序文があり、次のような内容です。「天平二年正月十三日に太宰府の帥(そち)・大伴旅人の邸宅に寄りこぞって宴を催す。折しも初春の良き月、天気がよく、風も和らぎ、梅は鏡前の白粉にまごうて咲き、蘭は帯の匂い袋のように香る。更には曙の嶺には雲がたなびき、松は薄物の絹笠を傾けたように見え、夕の峰には霧がたちこめ、鳥は霞に閉じ込められて林の中を迷っている。庭には今年の蝶が舞い、空には去年の雁が渡ってゆく。ここに天を絹笠とし、地を敷物にして膝を突き合わせ、酒を酌み交わす。一堂に会する者、内には言葉も忘れて心を通わせ、外には煙霞に向かって襟をくつろげる。さっぱりと自由な思い、快く満ち足りた気分、文筆以外にどうしてこの喜びが表現できよう。唐土には落梅の詩篇の数々がある。昔と今と何で異なろう。さあ我々も園梅を題として短歌を唱詠しようではないか」。

 この序文の訓読文の冒頭は、「天平二年の正月の十三日に、帥老(そちらう)の宅に萃(あつ)まりて、宴会(うたげ)を申(の)ぶ。時に、初春の令月(れいげつ)にして、気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やはら)ぐ」となっており、ここから年号の「令和」が引用されました。作者が誰かについては諸説ありますが、
山上憶良または大伴旅人であるというのが有力です。あるいは、仮の序をまとめたのは旅人配下の書記官などで、旅人の推敲を受けたとも考えられます。いずれにしても宴の主人である旅人から列席の諸人に呼びかける体裁をとっているので、旅人の作として機能しています。

 もっとも、この序文にはさらに典拠があり、中国の詩文集『文選』にある
張衡(ちょうこう)という人の『帰田賦(きでんのふ)』や、書家として著名な王羲之(おうぎし)の『蘭亭序(らんていじよ)』の影響があると言われています。『帰田賦』は、田舎で田園が自分を待っている。こんなあくせくした都の宮仕えなんかより、田舎でのびのび暮らした方がずっとよいと言っている詩で、この中に「是(ここ)に仲春の令月、時和し気清む」という文言があります。また『蘭亭序』は、354年の3月3日に、会稽山(かいけいざん)の北の蘭亭に文人たちが集い、曲水(きょくすい)の宴が催され、そこで詠まれた詩に付された序文です。「梅花の歌」の序文にもこれと似た文言があり、志ある文人たちが集い、理想の宴を開いたというその理念を受け継いだものが、「梅花の歌」が詠まれた宴であろうとされます。さらに、中国からもたらされた梅の花は当時の日本ではまだ珍しかったことから、漢詩の素材である梅花を和歌の世界に取り込もうとする文芸上の試みであったともいわれます。

 宴に集まった人々は、帥の大伴旅人をはじめ大弐以下府の官人21名(笠沙弥を含む)、管内諸国からは筑前守山上憶良をはじめ国司等11名、計31名が名を連ねています。これほどの大人数による歌宴は、『万葉集』をはじめ、上代の文献には他に例がありません。この宴が催された天平2年正月13日は、今の暦で2月8日に当たります。なお、「梅花の歌」全32首のうち、前半の15首(815~829)が上席、後半の17首(830~846)が下席の歌となっています。文芸に秀でた役人ばかりを集めたのか、それとも当時の役人はみな相当程度の文学素養を備えていたのでしょうか。宴会では、上席が主人の旅人を別の座に7人ずつが向かい合い、下席は幹事の者を別の座に8人ずつが向かい合っていたといいます。

 
816は、小弐の小野老(おののおゆ)の歌。小弐は、大弐の補佐官で、従五位下相当の官。「今咲けるごと」は、今(美しく)咲いているように、今咲いている状態のままで。ここでの「ごと」は比況・状態の維持を表します。「散り過ぎず」は、散ってしまわずに。「我が家の園」は、我らの家の庭に。「我が家」は、大宰府での大伴旅人の邸宅の庭を指します。「ありこせぬかも」の「こせ」は希求の助動詞、「ぬかも」は打消しの反語で、希望を表します。(そのままの姿で)あってくれないのかなあ。

 
817は、同じく小弐の粟田人上(あわたのひとかみ)の歌。「青柳」は、芽吹いたばかりの、青々とした柳の枝。「縵にすべく」は、縵にするのにふさわしく。「縵」は、植物の枝や花を輪にして頭に巻く装飾品で、古来、植物の生命力を取り込む呪術的な意味もありました。「なりにけらずや」の「けら」は「けり」の未然形、「や」は反語。なってきたではないか、なったことだなあ。
 


なぜ梅花の宴がもうけられたのか

 大宰府で旅人が主催した観梅の宴は、当時でも例のないスケールの大きさです。なぜこのような宴をもうけたのでしょう? 梅がほどよく咲いていたから? どうやらそれだけではないようです。

 大宰府は、天皇がいらっしゃる都からはほど遠い北九州にありながら、当時の外交と防衛の最大拠点でした。軍事面では西辺国境や大陸への防衛の要所であり、また、外交面では諸国との交流の玄関口です。その与えられた権限の大きさからも「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれていたほど。

 このもっともインターナショナルな環境のなかでよまれた歌は、じつは、中国の楽府(がふ)詩「梅花落(ばいからく)」に学んだものとおもわれます。「梅花落」は、唐の都・長安(ちょうあん)をはるかに離れて辺境に出征していた兵士たちがうたうふるさとを恋う歌や、都に残され夫や恋人を偲ぶ女たちの歌が基調になっています。

 旅人たちもまた、辺境の地にある悲しみをわかちあい、こころ晴れるまで雅(みやび)の苑(その)に遊ぼうとしたのでしょう。宴をもよおした旅人の、周囲の官人たちへのやさしいこころづかいがありました。

~『図解雑学楽しくわかる万葉集』/ナツメ社から引用

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『文選』と日本文学の関り

 『文選』が日本文学に与えた影響は、単なる「外国の文学の受容」というレベルに留まりません。奈良時代から平安時代にかけて、日本の知識層にとって『文選』は「漢文の教科書」であり、「美意識の基準」そのものでした。『枕草子』で清少納言が「書は文選」と筆頭に挙げたように、その文体や語彙は、日本の韻文(漢詩・和歌)や散文の血肉となっています。その具体的な関わりは次のようなものです。

  • 『万葉集』への深い伏流(奈良時代)
    奈良時代の知識人にとって、『文選』の習得は官吏としての必須教養でした。そのため、『万葉集』の漢文による序・左注(脚注)や、歌そのものの表現に多大な影響を与えています。令和の元号の由来となったことで知られる、大伴旅人の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ…」という序文は、『文選』に収録されている張衡(ちょうこう)の「帰田賦(きでんふ)」にある一節「仲春の令月、時に和し気清らかなり」を踏まえたものです。
     大伴旅人の子の家持は『文選』に収められた陸機(りくき)や謝霊運(しゃれいうん)らの山水詩、また曹植(そうしょく)らの抒情表現を深く読み込んでいました。家持が『万葉集』の後半で展開する、自然の景物(春の蘭、秋の萩、あるいは「霍公鳥(ほととぎす)」など)に託した繊細な心情吐露(比興の表現)の背景には、『文選』的な詩情の消化があります。
     また、山上憶良の「貧窮問答歌」の序や、子を思う「子等を思う歌」の沈痛な漢文は、『文選』に並ぶ諸葛亮の「出師表」や、李密の「陳情表」といった「人の心を動かす実務的・抒情的な散文(表・書)」の骨格を強く意識しています。
  • 平安貴族の教養と和歌への昇華(平安時代)
    平安時代になると、『文選』の言葉を和歌の「本歌取り」や「詞華」の素材として用いることが洗練されていきました。藤原公任が編纂した『和漢朗詠集』には、漢詩の美しい一節(対句)と和歌が並べられています。ここに選ばれている漢詩の多くが『文選』由来、あるいは『文選』をモデルに作られた白居易(白楽天)の詩でした。貴族たちは『文選』の対句を口ずさみながら、その美意識を三十一文字の和歌へと翻訳・精製していったのです。
     また、物語や日記の中で、あえて『文選』の有名なフレーズをほのめかすことで、登場人物の知性やその場の情趣を表現する手法が定着しました。例えば、『源氏物語』や『紫式部日記』でも、漢籍の素養として『文選』が背景に流れています。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。