| 訓読 |
840
春柳(はるやなぎ)縵(かづら)に折りし梅の花(はな)誰(たれ)か浮かべし酒杯(さかづき)の上(へ)に
841
うぐひすの音(おと)聞くなへに梅の花(はな)我家(わぎへ)の園(その)に咲きて散る見ゆ
842
我(わ)がやどの梅の下枝(しづえ)に遊びつつ鴬(うぐひす)鳴くも散らまく惜しみ
843
梅の花(はな)折りかざしつつ諸人(もろひと)の遊ぶを見れば都しぞ思(も)ふ
844
妹(いも)が家(へ)に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも
845
鴬(うぐひす)の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため
846
霞(かすみ)立つ長き春日(はるひ)をかざせれどいやなつかしき梅の花かも
| 意味 |
〈840〉
春柳の髪飾りに挿そうと皆で折った梅の花、いったい誰が浮かべたのであろう、めぐる盃の上盃に。
〈841〉
ウグイスの鳴く声を耳にし、折しもこの我らの庭に梅が咲いては散っている。
〈842〉
我らの庭の梅の下枝を飛び交いながら、ウグイスが鳴いている。まるで散りゆく梅を惜しむかのように。
〈843〉
梅の花を折り取って髪にかざしながら人々が遊んでいるのを見ると、奈良の都のことが偲ばれる。
〈844〉
妻の家に降る雪かと見まごうばかりに、しきりに散り乱れる梅の花であるよ。
〈845〉
ウグイスが待ちかねていた梅の花、どうか散らないでおくれ、そなたを思う子のために。
〈846〉
霞の立つ春の長い一日を、梅の小枝を髪飾りにして遊んでいるけれど、ますます離しがたい、この梅の花は。
| 鑑賞 |
840は、壱岐目・村氏彼方(そんじのおちかた)の歌。
841は、対馬目・高氏老(こうじのおゆ)の歌。
842は、薩摩目・高氏海人(こうじのあま)の歌。
843は、土師氏御道(はにしうじのみみち)の歌。
844は、小野氏国堅(おのうじのくにかた)の歌。
845は、筑前掾・門氏石足(もんじのいそたり)の歌。
846は、小野氏淡理(おのうじのたもり)の歌。
大宰府での宴で詠まれた「梅花の歌」全32首(815~846)のうちの7首です。32首の内訳は、前半の15首が上席、後半の17首が下席の歌となっており、ここの7首は下席者の歌です。会席の配置は、上席が主人の旅人を別の座に7人ずつが向かい合い、下席は幹事の者を別の座に8人ずつが向かい合っていたといいます。目(さかん)は、国の四等官。下国(壱岐・対馬)の目は、少初位上相当。中国(薩摩)の目は、大初位下相当。掾(じょう)は、国の三等官。上国(筑前)の掾は、従七位上相当。なお、843・844・846の作者については、官職名が記されていません。
840の「縵に折りし」は、髪飾り(冠の飾り)として折り取った。植物の生命力を身に宿す呪術的な意味と、装飾的な意味があります。当時の宴では、柳の枝を丸めて頭に飾る(縵にする)風習がありました。「梅の花誰か浮かべし」は、梅の花は誰が浮かべたのか。「し」は、疑問の係助詞「か」の結びで連体形。「酒盃」は、自分の前に巡って来たもの。酒盃に梅の花を浮かべることは、風流のわざとして行われていたようで、別の歌にも見えます。
841の「音聞くなへに」の「音」は、鶯の鳴き声。「聞くなへに」は、聞くと同時に、聞くにつれて。「咲きて散る見ゆ」は、咲いては(すぐに)散るのが見える。「咲く」と「散る」をひとまとめに詠むことで、花の命の短さ、はかなさを強調しています。「見ゆ」は、自然と目に入ってくる、自発・知覚の動詞。842の「やど」は、家の敷地、庭先。「下枝」は、下の方に伸びている枝。「遊びつつ」は、(飛びまわって)遊んでは。「鳴くも」の「も」は詠嘆で、鳴いていることよ。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。散るであろうこと。
843の「諸人」は、宴に集まった多くの人々、役人たち。「都しぞ思ふ」は、都のことがしみじみと思い出されることよ。「し」は強意の副助詞、「ぞ」は係助詞。これらが重なることで、抑えきれないほど強く都を懐かしむ感情が強調されています。844の第1句は、帥邸にあって「妹が家」の雪を歌うのは不適当なので、「雪・行き」の掛け言葉による枕詞とする見方もあります。「雪かも」の「かも」は、疑問。「ここだ」は、甚だしく。「まがふ」は、乱れている。「梅の花かも」の「かも」は、感動。
845の「待ちかてにせし」は、待ちかねていた、待ちきれずにいた。「ありこそ」の「こそ」は、願望の助動詞「こす」の命令形。「思ふ子」は、梅の花を愛するウグイスと解する説もあります。846の「いやなつかしき」の「いや」は、ますます。「「なつかし」は現代語の「懐かしい(昔を思い出す)」ではなく、心惹かれる、離れがたい、親しみを感じるという意味。「梅の花かも」は、梅の花であることよ。「かも」は深い詠嘆を表します。
843ほか幾首かの歌で、梅の花を「かざす」ことが詠まれていますが、風流の宴での「かざし」は「みやび(宮び)」を象徴する行為であり、都から遠い大宰府での「かざし」は、都への望郷の念を強く呼び起こすものでもあったことでしょう。また、818・825・840の歌には「縵(かづら)」が詠み込まれていますが、縵にしているのは宴の主たる景物の梅ではなく、いずれも青柳となっています。柳のかづらを詠む例は多く、その強い生命力にあやかろうとしているものです。
なお、846の作者の小野氏淡理は、天平宝字2年(758年)に渤海大使となった小野朝臣田守とされ、小野氏は、小野妹子をはじめとして対外交渉という重要な任を果たした氏です。当宴に列席した小野氏は、老(816)、国堅(844)、淡理(846)の3人で、うち老と淡理の歌が、冒頭第2首と末尾の重要な位置を占めています。

官人の位階
これらのうち、五位以上が貴族とされました。また官人は最下位の初位から何らかの免税が認められ、三位以上では親子3代にわたって全ての租税が免除されました。
さらに父祖の官位によって子・孫の最初の官位が決まる蔭位制度があり、たとえば一位の者の嫡出子は従五位下、庶出子および孫は正六位に最初から任命されました。
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