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巻第5(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第5-849~852

訓読

849
残りたる雪にまじれる梅の花早くな散りそ雪は消(け)ぬとも
850
雪の色を奪(うば)ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
851
我(わ)がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
852
梅の花(はな)夢(いめ)に語らくみやびたる花と我思(あれも)ふ酒に浮かべこそ
[一云、いたづらに我(あれ)を散らすな酒に浮かべこそ]

意味

〈849〉
 残雪のなかに梅の花も交じって咲いているが、どうか早々と散らないでおくれ、たとえ雪は消えてしまっても。
〈850〉
 雪の白い色を奪うかのように真っ白に咲いている梅は今が盛りだ。共に見る人がいてくれたらいいのに。
〈851〉
 我が家の庭に盛んに咲いていた梅の花も、今にも散りそうだ。共に見る人がいてくれたらいいのに。
〈852〉
 梅の花が、夢の中で私に語ったことには、私は自分を風雅な花だと自負してます、どうか私にふさわしく、酒杯に浮かべてください、と。(むなしく私を散らさないでほしい、どうか酒杯に浮かべてください、と)

鑑賞

 大宰府で詠まれた「梅花の歌」32首の梅花の歌(815~846)のあとに、その員数外の歌として2首があり(847・848)、さらにここの「後に梅の歌に追和する4首」が載せられています。作者名は記されていませんが、大伴旅人山上憶良、あるいは坂上郎女ともいわれます。850・851は、2年前に亡くなった旅人の妻が背景にあるようであり、852の、梅花に仙女を連想する神仙趣味は、まさに旅人そのものであります。

 
849の「な散りそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「消ぬとも」は、消えてしまっても。万葉人は、雪と梅が混じり合ってどちらか判別がつかない状態を「風流」の極致と考えていたようです。この歌では、雪が消えてしまうことでその「幻想的な美(混じり合う白)」が損なわれることを惜しみつつ、それでも梅の花だけは長く愛でていたいという、切実な情景が浮かび上がります。

 
850の「雪の色を奪ひて」は、梅花の白さを強調する表現。単に「雪に似ている」という受動的な表現ではなく、梅が主導権を持って雪の白さを吸い取ってしまったかのような、動的で力強い捉え方をしています。「見む人もがも」の「もがも」は願望で、共に見る人がいてくれたらいいのに。851の「我がやど」の「やど」は、家の敷地、庭先。「散るべくなりぬ」の「〜べくなりぬ」は、今にも〜しそうな状態になったという推量と完了が混ざった表現。満開のピークを迎えた直後の、ハラハラと散り始める寸前の最も美しい、そして最も儚い瞬間を捉えています。

 
852の「語らく」は「語る」のク語法で名詞形。「みやび」は、風雅、高雅。「酒に浮かべこそ」の「酒」は酒杯のもの。「こそ」は、他に対する強い願望・勧誘の終助詞。花を酒杯に浮かべて飲むのは、840の歌にもあった風流で、当時の大宰府における洗練された都市文化・大陸文化への強い憧憬を象徴しています。。梅に呼びかけた849の歌に対し、こちらは、梅が作者に呼びかけた形になっており、私にふさわしく扱って、酒杯に浮かべてほしいと言っています。「自分がやりたい」と言う代わりの表現であり、この照れ隠しのようなユーモアが、宴席を大いに盛り上げたことでしょう。

 『万葉集』で梅を詠み入れた歌は約120首あり、萩を詠んだ約140首に次いで第2位の数となっています。ただ、萩とは違い、梅は庭園に植えて愛でられた渡来の花樹であるため、限られた階層の人々の歌の対象として、片寄ったあり方で存在します。また、古今集以後の歌人に愛でられたような、その香を歌ったものは殆どありません。
 


筑紫歌壇

 大伴旅人が大宰帥として筑紫に赴任していたのは、神亀5年(728年)春から天平2年(730年)12月までのおよそ3年間ですが、その間、小野老、山上憶良、沙弥満誓、大伴四綱、大伴坂上郎女など、錚々たる 万葉歌人も、当時の筑紫に都から赴任していました。大宰帥の大伴旅人邸には、これらの歌人が集い、あたかも中央の文壇がこぞって筑紫に移動したような、華やかなサロンを形成していたようです。

 といっても、具体的な組織があったとか、各人に強い結びつきがあったとかではなく、たまたま同じ時期に大宰府に居合わせた者同士が、宴会で歌を披露したり書簡で歌のやり取りをしたりしていただけのことです。しかし、この集団は、筑紫という辺境の地において、都とは異なる独自の作歌活動を展開しました。その活動がとても特徴的だったために、「筑紫歌壇」と称されています。その特徴を一言で言うと、漢詩文と和歌の融合ということができます。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。