| 訓読 |
1005
やすみしし 我(わ)が大王(おほきみ)の 見(め)したまふ 吉野の宮は 山高み 雲そたなびく 川速み 瀬の音(おと)ぞ清き 神(かむ)さびて 見れば貴(たふと)く 宜(よろ)しなへ 見ればさやけし この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ ももしきの 大宮所(おほみやところ) 止(や)む時もあらめ
1006
神代(かみよ)より吉野の宮にあり通(がよ)ひ高(たか)知らせるは山川を良(よ)み
| 意味 |
〈1005〉
我が大君が支配なさっている吉野の宮は、山が高く雲がたなびいている。川の流れは速く、瀬の音は清らかである。山の姿は神々しくて、見れば見るほど貴く、川の姿も宮所に調和して、見れば見るほど清々しい。この吉野の山の姿、川の流れ、それがもし無くなってしまうようなことがあれば、この大宮所もなくなることもあろう。
〈1006〉
神代の昔から幾代にもわたってここ吉野の宮に通い続け、高々とお治めになっているのは、ひとえに山や川が素晴らしいからである。
| 鑑賞 |
山部赤人の歌。天平8年(736年)の夏の6月に、聖武天皇が吉野の離宮に行幸された時に、天皇の仰せに答えて作った歌で、年代の知られる、赤人最後の歌です。この行幸の日程については『続日本紀』に、6月27日(太陽暦の8月9日)に出発、7月13日(8月23日」に帰京したことが記されています。
1005の「やすみしし」は「八隅(やすみ)知る(天下を隅々まで統治する)」の意で、「我が大君」にかかる枕詞。「見したまふ」の「見し」は「見る」の敬語で、ここは統治なさる、お治めになる意。「山高み」「川速み」の「み」はいずれもミ語法で、それぞれ、山が高いので、川の流れが速いので、の意。「神さびて」は、神々しくて。「宜しなへ」は、よい具合に、よろしさがそろって。「尽きばのみこそ」「絶えばのみこそ」は、〜が尽きるとしたらその時こそ、〜が絶えるとしたらその時こそ、という強い仮定。「ももしきの」は「大宮所」の枕詞。「大宮所」は、皇居のある所。「止む時もあらめ」の「あらめ」は、上の2つの「こそ」の係り結びで、「あり」の未然形。無くなる時もあろう。
1006の「神代より」は、神々が統治していた遠い昔から。「あり通ひ」は、何度も通い続け、そこにあること。「あり」は継続や存在を強調する接頭辞的な働きをします。「高知らせる」は、立派にお治めになっている。「山川を良み」は、(吉野の)山と川が素晴らしいので。「良み」は「良し」のミ語法。
長歌は、前半部で「山高み雲そたなびく」「川速み瀬の音ぞ清き」の対句を用い、目の前の吉野の自然の雄大さを「対句」を用いてダイナミックに描き出しています。反歌では視座を「神代」まで広げ、「歴代の天皇がこの地を愛し、通い続けてきたのは昨日今日のことではない」と述べることで、聖武天皇の行幸に歴史的な正統性と必然性を与えています。

『万葉集』クイズ
次の歌はいずれも山部赤人の歌です。それぞれの歌の〇の中に当てはまる語を、ひらがなで答えてください。
【解答】 1.なのりそ 2.からあゐ(韓藍) 3.まま(真間) 4.ひさき(久木) 5.あま(海女) 6.あかも(赤裳) 7.すみれ 8.うめ(梅) 9.はぎ(萩) 10.たまも(玉藻)
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