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巻第6(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第6-1007・1008

訓読

1007
言問(ことと)はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)とありといふをただ独(ひと)り子にあるが苦しさ
1008
山の端(は)にいさよふ月の出(い)でむかと我(あ)が待つ君が夜(よ)は更けにつつ

意味

〈1007〉
 ものを言わない木にさえも兄弟姉妹があるというのに、私はまったくの一人っ子であるのが悲しい。
〈1008〉
 山の端でためらっている月のように、私が待っているあなたが(見えずに)、夜は更けていく。

鑑賞

 1007は、市原王(いちはらのおおきみ)の「独り子にあることを悲しぶる」歌。市原王(生没年未詳)は天智天皇5世の孫で、志貴皇子または川島皇子の孫、安貴王の子にあたります。天平15年(743年)に従五位下、写経司長官、玄蕃頭、備中守、金光明寺造仏長官、大安寺造仏所長官、造東大寺司知事、治部大輔、摂津大夫、造東大寺司長官など、主に仏教関係事業の官職を歴任し正五位下に至りました。『万葉集』に8首の短歌を残し、大伴家持との関係をうかがわせる歌も多くあります。

 「言問はぬ」は、物を言わない。「木すら妹と兄とあり」の「木すら」は、木でさえも。「妹と兄とあり」というのは、同じ根から複数の幹が生えているもの、または雌株と雄株のある木をいっているのでしょうか。『万葉集』の歌では、多く男性から親愛の情を込めて女性を呼ぶ呼称として用いられる「妹」ですが、元来は男性から女性の姉妹をさす親族名称であり、ここでの「妹」はその原義で用いられています。「独り子」は、兄弟のいない一人っ子。市原王の子のことを言っているという見方もあるようですが、王自身のことであるというのが定説です。兄弟姉妹のいない王ではありましたが、
大伴家持という”心の友”はいたのではないでしょうか。

 
1008は、忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)が、友人の来るのが遅いことを恨んだ歌。忌部首黒麻呂は、天平宝字2年(758年)に外従五位下。当歌が安貴王の子の市原王の1007の歌の次に配され、同じ作者の巻第8-1556が安貴王の1555の次に配されていることから、忌部首黒麻呂は、安貴王、市原王と何らかの関りがある人だったかもしれません。『万葉集』には、短歌4首。

 「山の端」は、山の稜線。「いさよふ」は、ためらう、停滞する、ぐずぐずして進まない。原文「不知世經」は、月の永遠性を表しています。この歌とよく似た歌が、巻第7-1071、1084にあります。なおこの歌は、第4・5句の「我が待つ君が夜は更けにつつ」を一続きのものと見れば、まともに意味がとれないことから、「手腕が足らぬ」とか「表現が難渋して一貫していない」などの低い評価が与えられています。
窪田空穂も「手腕がたらぬために第四句のごとき無理のあるものとなった」と評しています。そして、多くの注釈書では、「我が待つ君が」を受ける「来まさね」あるいは「来たらず」のような表現が省略されたものだと説明しています。

 一方、同じ歌の中に「不知」「将出」という二種の漢文式の表記が含まれていることから、「待君」の2字も漢文式に返読して「我が君待ちし」と訓じれば、「我が君待ちし夜は更けにつつ」となって意味の通ずる一連の表現になるとする見方があります。このような動詞の返読表記の例は『万葉集』に約50例あるといいます。
 


窪田空穂

 窪田空穂(くぼたうつぼ:本名は窪田通治)は、明治10年6月生まれ、長野県出身の歌人、国文学者。東京専門学校(現早稲田大学)文学科卒業後、新聞・雑誌記者などを経て、早大文学部教授。

 雑誌『文庫』に投稿した短歌によって与謝野鉄幹に認められ、草創期の『明星』に参加。浪漫傾向から自然主義文学に影響を受け、内省的な心情の機微を詠んだ。また近代歌人としては珍しく、多くの長歌をつくり、長歌を現代的に再生させた。

 『万葉集』『古今集』『新古今集』など古典の評釈でも功績が大きく、数多くの国文学研究書がある。詩歌集に『まひる野』、歌集に『濁れる川』『土を眺めて』など。昭和42年4月没。
 

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古典に親しむ

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