| 訓読 |
1011
我(わ)が宿(やど)の梅咲きたりと告げ遣(や)らば来(こ)と言ふに似たり散りぬともよし
1012
春さればををりにををり鴬(うぐひす)の鳴く我(わ)が山斎(しま)ぞやまず通はせ
1013
あらかじめ君(きみ)来(き)まさむと知らませば門(かど)に宿(やど)にも玉敷かましを
1014
一昨日(をとつひ)も昨日(きのふ)も今日(けふ)も見つれども明日(あす)さへ見まく欲(ほ)しき君かも
1015
玉敷きて待たましよりはたけそかに来(きた)る今夜(こよひ)し楽しく思ほゆ
| 意味 |
〈1011〉
私の家の梅が咲いたとお知らせしたならば、それは遊びに来てくださいと誘っているようなものです(それは何だか照れくさい)。それならいっそ、知らせないまま梅が散ってしまっても、それで一向に構わないのです。
〈1012〉
春になると枝がたわむばかりに梅の花が咲き、ウグイスが来て鳴く我が家の庭です。いつでも通って下さい。
〈1013〉
前もってあなたがいらっしゃると分かっていれば、門にも庭にも玉を敷き詰めておきましたのに。
〈1014〉
一昨日、昨日、そして今日もお逢いしていますが、明日もまたお逢いしたいと思うあなたです。
〈1015〉
玉を敷いて今か今かとお待ちする場合よりは、不意に来て下さった今夜の方が、かえって楽しく思われます。
| 鑑賞 |
1011・1012は、天平8年(736年)冬12月12日に、歌儛所(かぶしょ)の諸王や臣下たちが、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり)の家に集まって宴会をした時の歌。「歌儛所」は、歌舞音楽を掌る役所。唐の太常寺におかれた太楽署にならって設置されたとされます。前文に、広成による次のような言葉が載せられています。「近ごろ古い舞が盛んになっていますが、今年も暮れようとしています。当然、古い情をもって古い歌を歌うのがよいでしょう。ですからこの趣に寄せて古い歌を二つ献上します。もしこの中に風流で意気のある人がいたなら、競い合って思いを述べ、それぞれ古い歌に和してください」。葛井広成(生没年不詳)は、渡来人系で、はじめ白猪史(しらいのふびと)を称し、養老3年(719年)に遣新羅使に任ぜられましたが、これを辞しています。翌年、葛井連(ふじいのむらじ)の姓を賜り、以後歴官して正五位上中務少輔に至りました。『万葉集』には、短歌3首(あと1首は巻第6-962)を残しています。
1011の「宿」は、家の敷地、庭先。「告げ遣らば」は、(使いを出して)知らせたならば。「来と言ふに似たり」の「来(こ)」は「来(く)」の命令形。来いと言っているようなものだ。「散りぬともよし」は、たとえ梅が散ってしまっても、それで構わない。1012の「春されば」は、春になったならば。「さる」は、移動することを言い表す語で、遠ざかる場合だけでなく、近づく動きについても用います。「ををり」は(枝が)撓み曲がる意。「ををりにををり」は、枝が撓むほどしきりに芽を出して生長する意ですが、ここでは花が咲き乱れるさま。「山斎」は、池や築山のある庭園。「通はせ」は通うの敬語で命令形で、客一同に言っています。なお、ここには広成の前文の言葉と歌があるのみで、客人たちが和した歌は載っていません。
宴会は、もともとは神を招き迎える祭りに起源をもち、神の時間である夜に行われるものとされました。また、祭りの場に迎えた神の心を慰めるため、酒宴が開かれ、さまざまな歌舞音曲が演じられました。そのため、宴会は夜通し行われました。宴会は「遊び」の一つであり、宴会の担い手である遊女が「遊び」と呼ばれるのも、そこに理由があるとされます。 8世紀初頭の前後から、専門的な歌人だけでなく、一般の多くの官人が短歌づくりをたしなむようになると、宴席ではさかんに短歌が詠まれるようになりました。
1013~1015は、天平9年(737年)春正月に、橘少卿(たちばなのしょうきょう)と諸大夫が弾正台の長官、門部王(かどべのおおきみ)の家に集まって宴会をした時の歌。橘少卿は、橘諸兄の弟で、同年1月に従四位上。弾正台は、風俗を粛清し、役人の罪悪をただす警察機関。門部王は、長皇子の孫で、後に大原真人(おおはらのまひと)の姓を賜りました。
1013は、主人の門部王の歌。「君」は、橘少卿を指しています。「ませば~ましを」は反実仮想で、もし~ならば~だろうに。「門」は、出入り口の前面。「宿」は、出入り口の内部、前庭。思いがけない宴への来訪に、何の風流のもてなしもできていないと、謙遜の意を述べた挨拶歌です。1014は、少卿の子の橘宿祢文成(たちばなのすくねあやなり)の歌。客を代表して答礼を述べたもので、その座にいる年少の者がそれをするのが風となっていたとも言われます。「一昨日も昨日も今日も見つれども」は、一昨日も、昨日も、そして今日も(あなたに)お会いしたけれど。「明日さへ」は、明日までも。「見まく欲しき」は、会いたいと思う。「君かも」の「かも」は詠嘆の終助詞で、あなたであることよ。
1015は、榎井王(えのいのおおきみ)が後に追和した歌。榎井王は、志貴皇子の子。「玉敷きて」は、主人の門部王が「玉敷かましを」と言っているのを受けたもの。「待たましよりは」の「まし」は、仮想の助動詞。玉を敷いて待っていよう時よりは、の意。「たけそかに」は語義未詳ながら、歌の前後の関係から、突然に、不意に、の意ではないかとされます。「今夜し」の「し」は、強意の副助詞。主人側に立って歌ったものと見えます。「後に追和」とあるものの、宴の最中の歌のようです。

『万葉集』クイズ
次の歌の作者は誰?
【解答】 1.穂積皇子 2.長忌寸意吉麻呂 3.高橋虫麻呂 4.額田王 5.沙弥満誓 6.石川郎女 7.大伯皇女(大来皇女) 8.春日蔵首老 9.大海人皇子(天武天皇) 10.中大兄皇子(天智天皇)
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