| 訓読 |
大君(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み さし並ぶ 国に出でますや わが背の君を 懸(か)けまくも ゆゆし恐(かしこ)し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとがみ) 船の舳(へ)に 領(うしは)き給ひ 着き給はむ 島の崎崎(さきざき) 寄り賜はむ 磯の崎崎 荒き波 風に偶(あ)はせず 恙(つつみ)無く 病(やまひ)あらせず 急(すむや)けく 還(かえ)し賜はね 本(もと)の国辺(くにへ)に
| 意味 |
天皇のご命令を謹んでお受けし、隣り合わせの土佐の国へとお出かけになるのか、わが背の君、口にするのも恐れ多い住吉の現人神さま、どうか船の舳先に鎮座なさり、お寄りになる島の岬々や磯の岬々では、荒い波に遭わせず、恙無く病気をすることもなく、すぐにもお帰しください、元のこの大和の国に。
| 鑑賞 |
1019からの続きで、天平11年(739年)3月、石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)が、服喪中の未亡人と恋に陥り、天皇の怒りに触れ、土佐に配流された時の歌。ここは土佐路すなわち紀伊国から土佐国へ船出する地に護送される時に、乙麻呂を「わが背の君」と呼ぶ身分の低い人の心で詠んだ歌、あるいは久米若売が詠んだ形をとっています。航海中の無事を住吉の神に祈り、あわせて、病気をすることなく、早く赦免になることまでも祈っており、前の歌(1019)を進展させたものになっています。
「さし並ぶ」は、きちんと並ぶ。土佐と紀伊が同じ南海道に属し、海を隔てて並んでいることから言っています。「国に出でますや」の「国」は、土佐の国。「出でます」は「出づ」の敬語。「や」は、感動の助詞。「懸けまく」の「まく」は助動詞「む」のク語法で名詞形。言葉に出して言うこと。「住吉の現人神」は、海神を祀り航海の安全を守る大阪市の住吉神社。住吉の大神については、『日本書紀』神功皇后紀に、「新羅出兵の時、顕現(けんげん)し給うて、皇后の御船を守った」と記されており、万葉の時代にも、後悔の安全を守護する神として篤く信仰されていました。「住吉」は平安時代になってスミヨシと訓むようになりましたが、奈良時代以前はスミノエと訓んでいます。「領き給ひ」は、支配なさって、領有なさって。「恙無く」は、つつがなく、無事に。「急(すむ)けく」は「すみやかに」の古語。「還し賜はね」の「ね」は、願望の助詞。
なお、この歌には、1首の長歌でありながら1020・1021の2つの番号が振られていますが、古くは最初の5句「わが背の君を」までを独立した1首の短歌(1019の反歌)としており、『国歌大観』編者もそれを踏襲し2首に計算したためだとされます。本居宣長がこれを1首の歌として続け、以来、今の形になっています。

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四国について
四国は国生みの神話の「大八島国」の一つで、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生む。この島は身一つにして面(おも)四つあり。面ごとに名あり」(『古事記』)とあって伊予・讃岐・阿波・土佐の四国をあげている。大和に比較的近いところとしてはやくに開け中央に知られていたわけだ。
万葉に見える瀬戸内海の往還はほとんど山陽沿岸によっていたから、四国の万葉故地はわずかとなって、歌・題詞・左註を延べて所出の地名は徳島県(阿波)に1、香川県(讃岐)に約10、愛媛県(伊予)に約15、高知県(土佐)に2を数えるだけである。四国への航路は、こんにちのように播磨灘のただなかかを過ぎるようなことはなく、淡路島に西岸沿いに渡るか、山陽沿いにいって備讃海峡の島づたいに四国側に渡っていたようである。
難波を出ればやがて阿波の山々は航行の目標ともなる。「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ舟泊まり知らずも」(巻6-998)はそれで、阿波唯一の歌だ。讃岐ではいまの香川県坂出市東南方の綾歌郡国分寺町(もとの安益郡)にあった国庁との往復もあったろう。万葉によれば舒明天皇の行幸もあった。「さみねの島」の人麻呂の歌はあまりにも名高い。伊予の道後温泉ははやくからきこえてたびたびの行幸があり額田王や赤人の歌に知られている。土佐は当時、中央の文化に遠く配流の国となっていて、天平11年(739年)石上乙麻呂がここに配流されるときの歌に土佐の名が出てくる。「さだの浦」「伏越(ふしこえ)」その他を当国にもとめる説があるがこれは疑わしい。確実な故地はないにしても近世の万葉学者・鹿持雅澄(かもちまさずみ)を生んだところだ。
~『万葉の旅・下』犬養孝著/平凡社から引用
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