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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1089~1091

訓読

1089
大海(おほうみ)に島もあらなくに海原(うなばら)のたゆたふ波に立てる白雲(しらくも)
1090
我妹子(わぎもこ)が赤裳(あかも)の裾(すそ)のひづつらむ今日(けふ)の小雨に我(わ)れさへ濡(ぬ)れな
1091
通るべく雨はな降りそ我妹子(わぎもこ)が形見の衣(ころも)我(あ)れ下(した)に着(け)り

意味

〈1089〉
 大海には島一つ見えないことよ、そして漂う波の上には白雲が立っている。
〈1090〉
 妻の赤い裳裾を今ごろ濡らしているだろう今日の小雨に、私も濡れて行こう。
〈1091〉
 下着まで通るほど雨よ降らないでくれ。愛しい彼女の形見の衣を下に着ているのだから。

鑑賞

 作者未詳歌3首。1089は、左注に「伊勢従駕作」とありますが、いつの行幸かは不明。「大海に島もあらなくに」の「あらなく」は「あらず」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆で、島もないことよ、島があるわけでもないのに。「海原」は、海の広がり。「たゆたふ」は、揺れて定まらないさま、波がゆらゆらとしていること。「立てる白雲」は、(海に)立ち昇っている白雲。大和国にばかり住んでいて、雲といえば山に立つものと思っていた人の最初の驚異だったようで、技巧に走りすぎず、ありのままの風景の中に意外な発見を見出す万葉人らしい素朴さが窺える作品です。

 
窪田空穂はこの歌について、「素朴な詠み方をした歌であるが、怪しいまでに印象のはっきりした歌である。作者の驚異の感が伝わって来るためである」と述べ、斎藤茂吉は、「調子に流動的に大きいところがあって、藤原期の人麿の歌などに感ずると同じような感じを覚える。ウナバラノ・タユタフ・ナミニあたりに、明らかにその特色が見えている。普通従駕の人でなおこの調べをなす人がいたというのは、まことに尊敬すべきことである」と述べています。この歌は、大正時代まではとくに名歌とされていませんでしたが、昭和初期に行われたアララギ派歌人による人気投票で103票中44票を獲得し、斎藤茂吉の『万葉秀歌』にも採られました。雄大な叙景、明朗な声調、主観を抑制した表現などがアララギ派の嗜好に合致したと見えます。

 1090・1091は「雨を詠む」歌。
1090の「我妹子」は、ワガイモコの縮まったもの。「赤裳」は、赤い裳で、女性が腰から下に着るスカート状の衣服。色が赤いのは元々魔除けの呪術的意味をもち、行幸供奉の女官や神事を行う少女らが身につける礼装だったものです。「ひづつらむ」の「ひづつ」は、ぐしょ濡れになる、泥がかかる。「らむ」は、現在推量の助動詞。「我れさへ濡れな」の「我れさへ」の「さへ」は添加の副助詞で、我までも。「な」は、自身に対しての希望の終助詞。小雨の降りつづいている日に、夫である男が、離れて住んでいる妻を思いやった歌です。

 
1091の「通るべく」は、雨が着物を濡れ通るほど。「な降りそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「形見」は、その人のことを思い出させてくれる大事な品物のこと。「形見の衣」は、夫婦や恋人が離れている間、互いに交換して身につけた下着。それによって無事を祈り、再会を期し、相手を偲び合ったのです。下着といっても今のような下着とは違い、当時は「裳」のようなものだったので、それほど抵抗なく交換することができたのでしょう。「下に着り」の「下」は、目に見えないところの意。「着り」は「着あり」の縮まったもの。
 

かたみ(形見)

 カタミは、現在では、もっぱら故人の遺愛の品を指すことが多いが、古代では、死者に限らず、離れて逢えない人、とりわけ恋する相手にゆかりのある事物を意味した。カタミのカタとは、カタチ(形)のカタであり、ある事物の象形、すなわちその輪郭を指す。その外形といってもよい。ただし、大事なのは、そのカタが、霊力・霊魂を宿すことができるものであったことである。カタミとは、それを見ることによって、そこに宿る故人や逢えない人の霊力・霊魂に触れあうことのできるような対象を意味した。

 カタミとされるものは、実にさまざまである。鏡、子供、衣(着物)、さらには植物や土地なども「形見」とされた。 

~『万葉語誌』から引用

 

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斎藤茂吉と『万葉集』

 近代アララギ派の巨匠であり、精神科医でもあった斎藤茂吉(1882〜1953年)にとって、『万葉集』は単なる古典の研究対象を超え、彼の歌生命の源泉であり、生涯をかけた信仰そのものでした。茂吉の『万葉集』に対する関わりは、熱狂的な「万葉調」の創作実践と、緻密な実証精神に基づく膨大な研究という、実作と学問の幸福な結実として語ることができます。

  1. 創作における結晶~「実相観入」と万葉の生命力
     茂吉は師である正岡子規、伊藤左千夫が提唱した「写生」の説を発展させ、独自の芸術論である「実相観入(じっそうかんにゅう)」へと深化させました。「実相観入」とは、歌い手自身の主観(心)が、対象(自然や現実の事物)のありのままの姿(実相)に深く溶け込み、一体化することによって、対象そのものの内なる生命を写し取る、という歌学理論です。この理論のバックボーンとなったのが『万葉集』でした。茂吉は万葉和歌に、後世の技巧や理屈に曇らされていない「人間と自然とのダイレクトなぶつかり合い」を見出しました。
     彼の第一歌集『赤光(しゃっこう)』(1913年)や、それに続く『あらたま』では、万葉の響きや語彙(「〜かも」「〜ゆゆし」など)を大胆に導入しながら、近代人の強烈な自我や、生と死、エロスへの衝動を、圧倒的なエネルギーで詠み上げました。彼にとって万葉調とは、回顧的な擬古(古典の真似事)ではなく、「現代の生を最も力強く表現するための唯一の武器」だったのです。
  2. 研究における執念:大著『万葉秀歌』と評釈の山
     茂吉は生涯を通じて『万葉集』の研究に没頭し、専門の国文学者も驚嘆するほどの質と量を誇る業績を残しました。そのアプローチは、精神科医(科学者)としての冷徹な実証眼と、歌人としての鋭い直感が融合したものでした。彼の著書『万葉秀歌』(岩波新書)は、上代和歌の入門書・鑑賞書として今なお読み継がれる名著です。万葉集から厳選した秀歌について、一首一首の言葉の響きや情景を、実作者ならではの感性で活写しています。
     また、『評釈万葉集』などの膨大な注釈作業によって、柿本人麻呂や山部赤人、大伴家持ら、万葉の歌人一人ひとりの作品を徹底的に語釈(言葉の意味の解釈)し、評釈を加えました。特に柿本人麻呂への傾倒は凄まじく、全5巻に及ぶ『柿本人麻呂』を著し、帝国学士院賞を受賞しています。
     茂吉の評釈の特徴は、単に訓読や文法を整理するだけでなく、「その歌が詠まれた瞬間の、歌人の心の動き(心理的リアリティ)」にどこまでも迫ろうとした点にあります。
  3. まとめ
     江戸時代の本居宣長らが「古代の正しい言葉と心」を解き明かすために『万葉集』に向き合ったのだとすれば、斎藤茂吉は「千年前の強靭な生命力を、現代の短歌の中に完全に蘇生させる」ために万葉に向き合いました。彼によって『万葉集』は、埃をかぶった古典籍から、今を生きる人間のドクドクと脈打つ感情を表現するための「生きた教科書」へと変貌を遂げたと言えます。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。