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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1102~1106

訓読

1102
大君(おほきみ)の御笠(みかさ)の山の帯(おび)にせる細谷川(ほそたにがは)の音のさやけさ
1103
今しくは見めやと思ひしみ吉野(よしの)の大川(おほかは)淀(よど)を今日(けふ)見つるかも
1104
馬(うま)並(な)めてみ吉野川を見まく欲(ほ)りうち越え来てぞ滝(たき)に遊びつる
1105
音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川(よしのがは)六田(むつた)の淀(よど)を今日(けふ)見つるかも
1106
かはづ鳴く清き川原(かはら)を今日見てはいつか越え来て見つつ偲(しの)はむ

意味

〈1102〉
 御笠山が、帯のように引きまわしている細い谷川、その川音があざやかに聞こえてくる。
〈1103〉
 当分はとても見ることができないと思っていた吉野の大川の淀を、幸い今日はっきりと見られたことだ。
〈1104〉
 吉野川をぜひ見たいと思って、馬を連ねて山を越えてきて、滝のほとりでゆったり遊んだことだ。
〈1105〉
 評判に聞いているばかりでまだ一度も見たことのなかった、吉野川の六田の大淀を、今日初めて見たよ。
〈1106〉
 河鹿の鳴き声がする清らかな川原、今日このすばらしい川原を見たからには、またいつの日にかやってきて楽しみたいものだ。

鑑賞

 「河を詠む」作者未詳歌5首。1102の「大王の」は、天皇の王座に天蓋があることから、「御笠」にかかる枕詞。「御笠の山」は、奈良県・春日大社の背後にそびえる御蓋山(三笠山)。神が降臨する山として古くから信仰の対象でした。「帯にせる」は、山の麓をめぐって川が流れているさまを、山が川を衣服の帯にしているという、擬人法による表現。「細谷川」は、流れの細い谷川の意の普通名詞であり、春日、御笠山を中心にして、能登川、率(いざ)川、吉城(よしき)川、佐保川の4つの川があり、いずれもみそぎの川で、この歌は能登川を詠んだ歌とされます。「さやけさ」は、形容詞「さやけし」の語幹に接尾辞「さ」がついた体言化。はっきりと澄み渡っている様子を指し、視覚的な透明感と聴覚的な清涼感の両方を兼ね備えた言葉です。

 
1103の「今しくは」は「今」を形容詞化した「今し」の名詞形で、当分は、今のところは。「見めや」は、反語。見られようか、いや、見られないだろう。「み吉野」の「み」は、美称の接頭語。広く普通名詞に用いられますが、地名では、越・熊野・吉野に限られています。「川淀」は、川幅が広がり、流れが緩やかになっているところ。「今日見つるかも」の「かも」は、詠嘆。作者がこれまで何らかの理由(季節や距離、あるいは身分的な制約など)で、吉野の絶景を見ることを半分あきらめていたことが窺え、結びの句では、念願の時がついに来たという現在進行形の喜びが爆発しています。この歌から1106までの4首は、吉野の川ぼめ歌の一組となっています。

 
1104の「馬並めて」は、乗馬を連ねて。「見まく欲り」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。見ることを欲して。「うち越え来てぞ」の「うち」は接頭辞で、動作の勢いや調子を整えます。「滝」は、吉野町宮滝。「遊びつる」の「つる」は上の「ぞ」の係り結びで、連体形。「遊ぶ」は現代のような娯楽だけでなく、神聖な場所で風流を楽しんだり、詩歌を詠んだりする、心を開放する行為を指します。この歌から、作者は乗馬で吉野を遊覧する官人たちの一行であったと見られます。

1105の「音に聞き」は、噂に聞いて、評判として知って。「目にはいまだ見ぬ」は、自分の目ではまだ見ていない。「六田の淀」の「六田」は、奈良県吉野町の六田で、現在は「むだ」と呼ばれています。「淀」は、川幅が広がり、流れが緩やかになっているところ。1103の「み吉野の大川淀」と同じで、古くから交通の要所であり、川の流れが静かに溜まる美しい場所として有名でした。「今日見つるかも」の「かも」は、詠嘆。1103と同じく、「ついに~したのだなあ」という強い実感を伴う結びです。南北の山あいをゆっくり流れる吉野川は、この辺りで一段と川幅が広くなっており、大和平野では決して見ることのない景観には、さぞ心奪われたと見えます。

 
1106の「かはづ」は、カジカガエル。渓流の岩の間に棲み、夏から秋に澄んだ美しい声で鳴きます。「川原」は、下の「越え来て」の語から、1103~1105と同じ吉野川と察せられます。「今日見ては」の「ては」は、~てしまったからには。動作が完了し、それが次の感情の理由になることを示します。「見つつ偲はむ」の「偲ふ」は、賞美する意。離れた場所から思い出すだけでなく、対象を目の前にしてその美しさを深く味わう、という意味も含みます。ここまでの4首で一組となっており、乗馬で吉野を遊覧した官人たちの歌と見られています。

 吉野川は、紀ノ川の上流の奈良県内の呼称で、奈良県中東部、日本最多雨地帯の大台ヶ原に源を発し、北西に流れて吉野町で西に転じ、和歌山へ入って紀ノ川と名前を変えて紀伊水道へ注ぎます。古くから奈良盆地と和歌山平野、さらには瀬戸内海を結ぶ交通上の動脈として陸の南海道とともに重要な役割を果たしてきました。紀ノ川の河川名は「紀伊国」に由来します。
 


しのふ(偲ふ)

 眼前に見える物を媒介として遠く離れてある人や物に心が引き寄せられることを意味する。「賞美する」の意とされる場合も、眼前に見える具象的な物を通じて、そこに内在する本質に思いを致す意と捉えることで、眼前にいない人や物に思いを馳せる意と統一的に解することができる。

 シノフは類義語オモフと重なる部分も大きいが、また異なる側面を持つ。シノフの『万葉集』中での用例は、「見つつ偲ふ」という類型表現を取るものが多く見られ、「見る」こととの関係において捉えるべきことが知れる。それに比してオモフは自らの内面に対象を思い描く意であることがわかる。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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係り結び

 文中に「ぞ・なむ・や・か・こそ」など、特定の係助詞が上にあるとき、文末の語が終止形以外の活用形になる約束ごと。係り結びは、内容を強調したり疑問や反語をあらわしたりするときに用いられます。

  • 「ぞ」「なむ」・・・強調の係助詞
    ⇒ 文末は連体形( 例:~となむいひける)
  • 「や」「か」・・・疑問・反語の係助詞
    ⇒ 文末は連体形( 例:~やある)
  • 「こそ」・・・強調の係助詞
    ⇒ 文末は已然形(例:~とこそ聞こえけれ)
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