| 訓読 |
1121
妹(いも)らがり我(わ)が通ひ道(ぢ)の細竹薄(しのすすき)我(わ)れし通はば靡(なび)け細竹原(しのはら)
1122
山の際(ま)に渡る秋沙(あきさ)の行きて居(ゐ)むその川の瀬に波立つなゆめ
1123
佐保川(さほがは)の清き川原に鳴く千鳥(ちどり)かはづと二つ忘れかねつも
1124
佐保川に騒(さは)ける千鳥さ夜(よ)更けて汝(な)が声聞けば寝(い)ねかてなくに
| 意味 |
〈1121〉
妻のもとへと私が通う道に生い茂っている細竹の群れは、せめてこの私が通るときには靡いて平らかになれ、細竹の原よ。
〈1122〉
山あいを鳴き渡る秋沙鴨が飛んで行って降り立つのだろう。その川瀬に波よ立つな、決して。
〈1123〉
佐保川の清らかな川原に鳴く千鳥、そしてカジカガエルの鳴く声は、どちらも忘れられない。
〈1124〉
佐保川で小走りに鳴き騒いでいる千鳥よ、夜も更けてきてお前が妻を呼んで鳴く声を聞いたら、寝ようにも寝られない。
| 鑑賞 |
1121は「草を詠む」作者未詳歌。「妹らがり」の「ら」は、親しみを表す接尾語。「がり」は「が在り」の約で、〜の元へ、〜の所へという意味。「細竹薄」は、細く小さい竹の群生で、それに呼びかけているもの。「我れし通はば」の「し」は、強意の副助詞。この私が通る時には、というニュアンス。「靡け」は、平らかになって私を通せ、の意。「細竹原」は「細竹薄」の語を変えての繰り返しで、呼びかけ。その葉で脚などが切れるような危険な道なき道であるため、このように言っています。古代、男女の通い路は今のように舗装されておらず、背丈ほどの草や竹が生い茂る野道でした。夜、人目を忍んで通う男にとって、足に絡まり着物を汚す草木は文字通りの障害です。しかし、それをうっとうしいと嘆くのではなく、「俺が通るんだから道をあけろ!」と草木に語りかける点に、万葉びとの瑞々しい感性が光っています。
『古事記』景行天皇条の、ヤマトタケルの死後、その魂が白鳥となって飛んで行くのを追いかける后や子たちが「その小竹(しの)の苅り杭に、足切り破れども、その痛きを忘れて、哭きて追はしき」という場面に細小竹が見られます。そのときの謡は、「浅小竹原(あさじのはら) 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな」で、やはり細竹原が行き悩む所だったことがうたわれています。
1122~1124は「鳥を詠む」作者未詳歌。1122の「山の際」は、山と山の間、山あい。「渡る」は、飛び渡ってゆく。「秋沙」は、鴨の一種のミコアイサで、秋に来て春に去る渡り鳥。「行きて居む」は、そこまで行って降りているであろう。「川の瀬」は、川の流れが浅く、波が立ちやすい場所。「波立つなゆめ」の「ゆめ」は、決して、の意の副詞。「立つな」へかかる倒置法がとられています。窪田空穂は、「この時代の歌には鳥に関係したものが多く、鳥の種類も多い。秋沙なども後世の歌には見られないものである」と述べています。
1123の「佐保川」は、春日山に発し奈良市北部を西へ流れ、やがて南流し大和川へ注ぐ川。万葉びとにとって、風光明媚で親しみ深い川です。「千鳥」は、水辺に棲むチドリ科の鳥で、冬から春にかけて水辺で「チッチッ」と高く鳴きます。「かはづ」は、カジカガエル。「忘れかねつも」の「かぬ」は、できない意の補助動詞。「つ」は、完了の助動詞。「も」は、詠嘆の助詞。この歌の主役は「音」であり、高い空や水際で鳴く千鳥の鋭い声と、川面から響く河鹿蛙の涼やかな声。この二つが佐保川のせせらぎの中で混ざり合う様子を、作者は「どちらか一つなど選べない」と贅沢に楽しんでいます。
1124の「騒ける千鳥」は、原文では「小驟千鳥」となっており、「小驟」の訓みが定まらず、上掲の訓みの他、「をさどる」「さばしる」などとも訓まれます。小走りに鳴き騒ぐ、または飛び跳ねる意とされます。「さ夜更けて」の「さ」は、夜を美化したり語調を整えたりする接頭辞。「寝ねかてなくに」は、眠ることができない。「かて」は、補助動詞「かつ」の連用形で、~することができる、の意。「なく」は、打消の助動詞「ぬ」のク語法。「に」は、詠嘆。なぜ眠れないのかの理由は明記されていませんが、『万葉集』の文脈において、夜更けに眠れないのは、多くの場合、恋しい人を思っているからです。千鳥の寂しげな鳴き声が、独り寝の寂しさを刺激し、「お前のせいで余計に眠れなくなったじゃないか」と鳥に八つ当たり気味に語りかけることで、逆説的に深い孤独と愛情が浮かび上がります。

『万葉集』に詠まれた鳥
1位 霍公鳥(ほととぎす) 153首
2位 雁(かり) 66首
3位 鶯(うぐいす) 51首
4位 鶴(つる:歌語としては「たづ」) 45首
5位 鴨(かも) 29首
6位 千鳥(ちどり) 22首
7位 鶏(にわとり)・庭つ鳥 16首
8位 鵜(う) 12首
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「山の端」と「山の際」の違い
『万葉集』の意味の紛らわしい語に、「山の端(は)」と「山の際(ま)」というのがあります。「山の端」の原文表記は「山之末」で、山の頂を指し、山の稜線の意に用いられます。それに対し、「山の際」の原文表記は「山際」で、「際」というのは二つの物が接する所の意なので、山と山とが接する所を表します。そして、そこには空間ができているため、「山の間」と言われるのです。一方、今日言うところの「山際(やまぎは)」の語は、奈良時代にはありませんでした。
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