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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1125~1128

訓読

1125
清き瀬に千鳥(ちどり)妻呼び山の際(ま)に霞(かすみ)立つらむ神なびの里(さと)
1126
年月(としつき)もいまだ経(へ)なくに明日香川(あすかがは)瀬々(せぜ)ゆ渡しし石橋(いはばし)もなし
1127
落ちたぎつ走井(はしりゐ)水の清くあれば置きては我(わ)れは行きかてぬかも
1128
馬酔木(あしび)なす栄(さか)えし君が掘りし井の石井(いはゐ)の水は飲めど飽かぬかも

意味

〈1125〉
 その清らかな瀬では千鳥がやさしく妻を呼び、山あいには霞がたちこめていることだろう、ああ、わが故郷よ。
〈1126〉
 遷都の後、まだどれほどの年月も経っていないのに、明日香川を往来したあの石橋もなくなってしまった。
〈1127〉
 勢いよく落下して来る滝の水があまりにもすがすがしいので、後に残しては立ち去りがたい。
〈1128〉
 馬酔木の花々のように栄えていた君が掘った井戸の水は、おいしくていくら飲んでも飽きることがない。

鑑賞

 1125・1126は「故郷(明日香の旧都)を思う」作者未詳歌。1125の「清き瀬」は、明日香についていっているので、明日香川の清い瀬。明日香川は、明日香地方を流れ、大和川に合流する川。「千鳥」は、水辺に棲むチドリ科の鳥。「山の際」は、山と山の間、山あい。明日香には山が多いので、何れの山とも分かりません。「霞立つらむ」の「らむ」は現在推量の助動詞で、今目の前にない景色を思い浮かべています。「神なびの里」の「神なび」は、神が天から降りてくる山や森、神の社。「里」は、明日香。春の初めに、奈良の都にあって、故京となった明日香の里を懐かしんでいる歌で、理想郷としての静かな美しさを詠んでいます。

 
1126の「年月もいまだ経なくに」は、(前の都を去ってから)年月がまだそれほど過ぎていないのに。「なくに」は、打消の「ぬ」のク語法に逆接の助詞「に」が添った形。「明日香川」は、万葉歌では、その流れの速さから「世の無常(変わりやすさ)」の象徴としてよく使われます。「瀬々ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「石橋」は、川の瀬に飛び石を並べて、踏んで渡れるようにしたもの。前の歌が、遠く故郷の山川を思いやったのに対し、この歌は目の当たりに故郷を見てその昔を思い、人事のはかなさを嘆いています。

 1127・1128は「井を詠む」作者未詳歌。
1127の「落ちたぎつ」は、水が高いところから激しく流れ落ちる様子。「たぎつ」は水が激しくわき立つの意。「走井」は、水が激しく湧き出したり流れたりしているところに水の汲み場所を設置したもの。「清くあれば」は、清らかであるので。「置きては我れは」は、(この水を)そのままにして、私は。「行きかてぬかも」の。「かて」は、補助動詞「かつ」の連用形で、~することができる、の意。「ぬ」は、打消の助動詞。「も」は、詠嘆。理屈抜きに「美しすぎるから、ここを離れるのがもったいない」という、旅人の純粋な感性が歌われています。

 
1128の「馬酔木なす」は、馬酔木のように。花としては華やかとは言い難い馬酔木を次の「栄え」の譬喩にしていることについて、窪田空穂は、「井のほとりには水を保護するものとして必ず木を育てていたので、このあしびはそうした関係のものであったろう」と述べています。「栄えし君」は、作者の亡くなった主人、あるいは地元の有力者を敬意をもって呼んだものか。「掘りし井の石井」の「の」は「掘りし井」と「石井」とが同格であることを示す格助詞。「石井」は、地下水まで掘り下げて作った、石で囲んである井戸。「飲めど飽かぬかも」は、飲んでも飲んでも飽きることがない。愛着が尽きないという深い情愛を表します。
 


ゐ(井)

 ヰ(井)とは、人が水を得るための場、あるいは施設を言う。水は生活用水を対象とするが、特別な場合には宗教的行事にも用いられた。「井」は井桁をもつ掘り抜き井戸を想像しがちだが、川や池に設けられた水場、水が湧き出る場所などもすべて「井」と呼ばれた。

 古代の人々の観念世界においては、水がほとばしり出る場、水の激(たぎ)ち流れる場は、聖なる場とされた。「井」の水も絶えず溢れ出ているから、そうした「井」は聖所とされ、その水は聖水とされた。

~『万葉語誌』から引用

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日本語の確立

 文字のない社会だった日本が漢字に触れ、自分たちの言語にこれを利用するまでには4~5世紀にわたる期間を要しました。奈良時代にまとめられた『古事記』や『万葉集』は、漢字を並べて書かれてはいますが、漢文ではないので、中国人が読んでも意味が分かるものではありませんでした(『古事記』の序文だけは漢文)。

 たとえば『万葉集』で恋(こい)という語は、「古比」「古飛」「故非」「孤悲」などと記され、また衣(ころも)という語は、「乙呂母」「去呂毛」「許呂母」などと表記されました。これらは、万葉仮名とよばれる音仮名の例です。

 当時の日本人は、日本語をあらわすに際し、中国語からは音に応じた文字だけを借りました。やがて平安時代になると、万葉仮名のくずし字が発達して、そこから平仮名が生まれました。こうして日本人は、漢字の音を借りて日本語を表記する方法を確立したのです。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。