| 訓読 |
1185
朝なぎに真楫(まかぢ)漕(こ)ぎ出(で)て見つつ来(こ)し御津(みつ)の松原(まつばら)波越(なみご)しに見ゆ
1186
あさりする海人娘子(あまをとめ)らが袖(そで)通(とほ)り濡(ぬ)れにし衣(ころも)干(ほ)せど乾(かわ)かず
1187
網引(あびき)する海人(あま)とか見らむ飽(あく)の浦(うら)の清き荒磯(ありそ)を見に来(こ)し我(わ)れを
| 意味 |
〈1185〉
朝なぎの海に左右の櫂を貫いて舟を漕ぎ出して、ずっと見続けてきた御津の松原が、今はもう波の向こうに見える。
〈1186〉
藻を刈っている海人の娘らの、袖を通してぐしょ濡れになった衣は、干してもなかなか乾かない。
〈1187〉
人は、私を網を引く漁師だと思って見るだろうか。実際は、飽の浦の清い荒磯を見に来た私たちであるのに。
| 鑑賞 |
1185・1186は、作者未詳の「覊旅(たび)にして作れる」歌。1185の「朝なぎ」は、朝、陸風から海風に変わる時に起こる無風状態。「真楫」の「真」は美称で、船の両舷に付ける櫂。「見つつ」は、目じるしとして見続けて。「御津」は、難波津を尊んでの称。「御津の松原」は、船の位置を知る目じるしになる海岸の地で、また、喜びや悲しみを誘う対象物だったとみえます。「波越しに見ゆ」は、波の向こうの彼方に見える。なお歌の解釈は、船が難波の港を離れていく心細さを歌ったものとしましたが、反対に、帰ってきて難波に近づいた時の喜びを歌っていると解するものもあります。
1186の「あさり」は、ここでは海辺で藻や貝をとること。食料を捜し求める意の動詞アサルの名詞形。「海人娘子」は、海で漁をするおとめたち。海辺を旅する京の人が、衣を濡らしている海人の娘らの光景を珍しく思って歌った歌ではありますが、結句の「干せど乾かず」には、湿度の高い海辺の空気や、どんよりとした曇り空、あるいは、なかなか前に進めない旅の停滞感が投影されています。すなわち、表面的には海女の描写ですが、実際には旅人の主観的な憂鬱が強く反映されています。
1187は、『柿本人麻呂歌集』から「覊旅(たび)にして作れる」歌。「網引(あびき)」はアミヒキの約で、魚をとるために陸から大勢で網を引くこと。地引網。「海人とか見らむ」の「か」は疑問、「らむ」は現在推量で、人は我々を漁師だと思って見るだろうか、の意。「飽の浦」は、所在未詳ながら、岡山市飽浦または和歌山市の西北端の田倉崎あたりかともいわれます。「飽(あく)」という地名は、見飽きることがないという言葉に通じます。「荒磯(ありそ)」は、アライソの約で、岩石の多い海岸。「見に来し我を」の「を」は「なるを・なのに」の意。都から磯見に来た旅人である我々なのに。人麻呂の歌に「荒栲(あらたへ)の藤江の浦に鱸(すずき)釣る白水郎(あま)とか見らむ旅行くわれを」(巻第3-252)があり、似通っています。
海辺の漁師は海人(あま)とよばれ、元来、一族で集団的な力を持っていて、大和朝廷がわの人間からは、かなり特異な目で見られていました。支配階級に属する官人たる都人が、第三者から卑しい海人と見られることは辛いことであり、また可笑しみでもあったようで、「海人とか見らむ」は、都人の誇り、あるいは旅愁(嘆き・怒り・自嘲)を示す類型表現となっています。

たび(旅)
自らの本来属すべき場所、すなわち、人の魂が最も安定し安らぐ場所である「家・家郷」を離れる状態をいう。『万葉集』には、「旅寝」「旅人」などの複合語を含めると百例を越す用例が見られる他、「羇旅(きりょ)歌」「羇旅作」「羇旅発思」等の題詞や分類標目のもとに、数多くの旅の歌が載せられており、タビは万葉びとにとって、作歌の主要な契機の一つであったことが知られる。それはタビという状況が、非日常の不安定な状況であり、歌によって魂の安定を幻想する必要があったゆえであろう。
古代におけるタビという語の意味領域は、現代の私たちの「旅・旅行」よりもはるかに広かった。「秋田刈る旅の廬に時雨降り」(巻第10-2235)などでは、農作業のために仮小屋に泊まり込むことをタビと呼んでおり、かなり遠方まで出かけることを意味する現代の旅の概念とはかなり異なっていたことを示している。
ただし一方で、「旅と言(へ)ど真旅(またび)になりぬ」(巻第20-4388)と、通常のタビに対して本格的なタビを「真旅」と呼ぶ例も見られ、当時においても、軽微な旅と本格的なタビとを区別する概念はあったようである。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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『柿本人麻呂歌集』について
『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。
この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。
ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。
文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。
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