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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1201~1205

訓読

1201
大海(おほうみ)の水底(みなそこ)響(とよ)み立つ波の寄らむと思へる礒(いそ)のさやけさ
1202
荒磯(ありそ)ゆもまして思へや玉の浦の離れ小島(こじま)の夢(いめ)にし見ゆる
1203
礒(いそ)の上(うへ)に爪木(つまき)折り焚(た)き汝(な)がためと我(わ)が潜(かづ)き来(こ)し沖つ白玉(しらたま)
1204
浜清み礒(いそ)に我(わ)が居(を)れば見る人は海人(あま)とか見らむ釣りもせなくに
1205
沖つ楫(かぢ)やくやくしぶを見まく欲(ほ)り我(わ)がする里の隠(かく)らく惜しも

意味

〈1201〉
 大海の水底までもとどろかせて立つ高波が寄ろうとしている、この磯の何たるすがすがしさよ。
〈1202〉
 荒磯の景色も素晴らしいが、より勝っていると思うからか、玉の浦の離れ小島が夢に見えることだ。
〈1203〉
 磯の上で、冷えた体を小枝を折って焚いて暖めては、おまえに渡そうと私が海に潜って採ってきた沖の真珠だ、これは。
〈1204〉
 浜が清らかなので、それを愛でて一人で磯に立っていると、見る人は私のことを海人と思うだろうか。釣りなどしていないのに。
〈1205〉
 沖を漕ぐ舟の櫂はしだいに鈍ってきたけれども、私がいつまでも見たいと思っている里は遠ざかり、波間に隠れてしまうのが残念だ。

鑑賞

 作者未詳の「覊旅(たび)にして作れる」歌5首。1201の「水底響み」は、水底までとどろかせて。「立つ波の」は「寄らむと思へる」の主語。「寄らむと思へる」は、寄せようと思っている。波を擬人化し、礒に向かってくる意志があるかのように表現しています。「磯」は、岩石の多い海岸。「さやけさ」は、清々(すがすが)しさ、はっきりとした明るさ。視界が非常にクリアである状態を指します。冒頭の「水底響み」によって、読者の意識はまず深い海の底へと沈められます。そこから一気に「立つ波」へと視点が浮上し、水平線から磯へと迫りくる波の動きが描かれます。垂直(底→表面)と水平(沖→礒)の動きが組み合わさった、立体的な構造になっています。

 
1202は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町あたりの歌。「荒磯ゆも」の「荒磯」は、岩石が現れた海岸、「ゆも」は、比較の対象を示す助詞。荒々しい磯よりも、さらに増して。「思へや」は、思うからだろうか、いや(きっとそうだ)。自問自答のニュアンス。「玉の浦」は、那智勝浦町の粉白(このしろ)の西南の入海、あるいは玉津島か。「夢にし見ゆる」の「し」は、強意の副助詞。「見ゆる」は、上の「や」の係り結びで連体形。夢に見えるという「離れ小島」を、別れて来た妻や、妻以外の意中の女の譬喩とする見方もあります。

 
1203の「磯」は、石の多い海岸または岩礁。「爪木」は、手で折れる程度の小枝で、焚き木の材料。「折り焚き」は、枝を折って火をくべること。潜水の後に冷えた体を温める光景を指します。「汝がためと」は、あなたのためにと。「潜き来し」は、海に潜って採ってきた。「沖つ白玉」の「沖つ」は、沖の。「白玉」は、真珠。旅から帰宅した夫が、妻への真珠の贈り物に添えて詠んだ歌とみえます。贈物に添える歌は、その物を自身が苦労して得たものだということを詠むのが型となっていました。

 
1204の「浜清み」の「浜」は、岩石の多い「磯」に対する語。「清み」は「清し」のミ語法で、清いので。「居れば」は、座っていると。じっとしている状態です。「見る人は」の原文「見者」で、「者」をヒトと訓む例が他にないため、「人」の字が脱落したかと言われます。「見む人は」と訓むものもあります。「は」は、読み添え。「海人とか見らむ」は、漁師(海人)として見るだろうか。「らむ」は現在推量の助動詞。「釣りもせなくに」は、釣りをしてもいないのに。

 
1205の「沖つ楫」は、沖を漕ぐ舟の櫓や櫂。「やくやくしぶを」の原文は「漸々志夫乎」で、「やくやく」は、次第に。「しぶを」は未詳の語ながら、鈍ってきたのに、の意とする説が有力です。馴染んできたけれど、と解するものもあります。「見まく欲り」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。見たいと思って。「隠らく」は「隠る」のク語法で名詞形。「惜しも」の「も」は、詠嘆。海近い里に住む官人が船で出立したときの歌とみえ、去りがたい未練と風景の喪失を描いています。
 


雑歌について

 雑歌(ぞうか)は、『万葉集』の三大部立てである雑歌・相聞歌・挽歌のうちの一つであり、「くさぐさの歌」とでも訓まれたのではないかとされます。とはいえ、最初の巻である巻第1が雑歌であるということは、この命名が決して雑な(いい加減な)ものではないことを示しています。

 各々の歌の内容からすると、雑歌はまず公的な歌、すなわち天皇周辺や宮廷・政治に関わる歌ということになります。大海人皇子と額田王の贈答(巻第1-20・21)も雑歌に入っているので、歌意からくる秘められた恋の歌というわけではなく、公の行事である遊猟の際の宴でやり取りをして楽しんだものになります。

 雑歌のなかで最も多いのは旅の歌(羇旅歌)であり、それらは行幸従駕歌にとどまりません。これは旅が公的なものだったからであり、たとえば都人が地方官になって地方に赴任する時の歌や、公務によって地方に旅する官人が詠んだ歌などが含まれます。そして、そうした人たちによって都のことばや文化を地方に広める役割を果たしたといえます。

 雑歌は『古今集』以降の分類では、四季・羇旅・賀・物名などに当たります。『万葉集』巻第8・10に「春の雑歌」というように季節に基づいた分類をするものがあり、四季歌に直接つながっていることが分かります。そして、雑歌が公的な歌として扱われたことが受け継がれて、その後のいずれの勅撰集においても最初の部立てとして位置づけられています。

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古典に親しむ

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