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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1223~1226

訓読

1223
海(わた)の底(そこ)沖(おき)漕ぐ舟を辺(へ)に寄せむ風も吹かぬか波立てずして
1224
大葉山(おほばやま)霞(かすみ)たなびきさ夜(よ)更(ふ)けて我(わ)が舟(ふね)泊(は)てむ泊(とま)り知らずも
1225
さ夜(よ)更(ふ)けて夜中(よなか)の方(かた)におほほしく呼びし舟人(ふなびと)泊(は)てにけむかも
1226
三輪(みわ)の崎(さき)荒磯(ありそ)も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避(よ)き道(ぢ)はなしに

意味

〈1223〉
 沖を漕いでいるわが舟を、岸に向けて吹き寄せる風が吹いてくれないだろうか、波は立てないで。
〈1224〉
 大葉山に霞がかかり、夜も更けてきたというのに、われらの舟を泊める港が分からない。
〈1225〉
 夜が更けてきて夜中近くに、聞き取れないような声で呼び合っていた舟人たちは、どこかよい所に舟を泊めただろうか。
〈1226〉
 三輪崎は、荒磯も隠れて見えないほどに波が高くなってきた。どこを通って行けばよいのか、避けて行く道はないのに。

鑑賞

 作者未詳の「覊旅(たび)にして作れる」歌4首。1223の「海の底」は、海の底の「奥(おき:水の深い所)」の意で「沖」にかかる枕詞。「沖漕ぐ舟」は、上掲の解釈では作者自身の乗っている舟としていますが、岸にいて沖を漕ぐ舟を見ている人の心だとして、さらに寄りつかない男に譬え、「辺に寄せむ」と、こちらに来させるように仕向けてほしいとの寓意を含む女の歌とする見方もあります。「風も吹かぬか」の「ぬか」は、希求の意。「波立てずして」は、風は欲しいが波は立てるなという矛盾した要求であり、その矛盾こそが、沖を行く舟の無事を案じる、あるいはその舟に乗っている誰かを一刻も早く迎えたいという、理屈を超えた強い思慕の情なのかもしれません。

 
1224の「大葉山」は、紀伊国の山とされますが、所在未詳。海に近く、航海の目標になった山と見られます。一方、近江国の琵琶湖西岸の山とする説もあり、巻第9-1732の重出歌(碁師の歌)が、近江国の高島郡・滋賀郡で詠まれた歌と並んでいるので、あるいは琵琶湖の西岸付近を航行する時の作かもしれません。「さ夜」の「さ」は、接頭語。「霞」は、ここは夜霧。本来なら美しい光景ですが、舟の上にいる作者にとっては、視界を遮るもの、夜の訪れを告げるものとして、不安を増幅させる要素になっています。「知らずも」の「も」は詠嘆で、自分の意志ではどうにもならない状況に対する、深い溜息のような結びになっています。

 
1225の「夜中の方に」は、夜中近くになって、真夜中ごろに。一方、「夜中の潟に」だとして、近江国高島郡の地名とする説もあり、『人麻呂歌集』の「高島にて作る歌」と題する「旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも」(巻第9-1691)の「夜中」と同じ地ではないかといいます。「おほほしく」は、はっきりしない。「呼びし舟人」は、暗闇の中で互いの位置を確認したり、岸を探したりするために声をかけ合っている舟人。「泊てにけむかも」の「けむ」は過去推量、「かも」は疑問・詠嘆で、今ごろはもうどこかに着いただろうか(着いていてほしい)という、相手の安否を気遣う優しさが込められています。

 
1226の「三輪の崎」は、和歌山県新宮市三輪崎か。「荒磯」は、岩石の多い海岸。「いづくゆ」の「ゆ」は、動作の起点・経由点を示す格助詞。「避き道」は、避けて行く道、回り道。当時、山が海岸線まで迫っているような所は、もっとも通りやすい海際伝いに道がありました。そのような場所は避けて通る道(避き道)もないので、海が荒れると待つよりほかなかったのです。窪田空穂はこの歌について、「海辺生活の実際に即したもので、文芸性を念としたものではない。しかし一首の歌としての感の上からいうと、文芸性を志した歌よりもかえって感の強いものがある。ここにわが和歌の性格の一面がある」と述べており、1225の歌もその例だと言っています。
 


雑歌について

 雑歌(ぞうか)は、『万葉集』の三大部立てである雑歌・相聞歌・挽歌のうちの一つであり、「くさぐさの歌」とでも訓まれたのではないかとされます。とはいえ、最初の巻である巻第1が雑歌であるということは、この命名が決して雑な(いい加減な)ものではないことを示しています。

 各々の歌の内容からすると、雑歌はまず公的な歌、すなわち天皇周辺や宮廷・政治に関わる歌ということになります。大海人皇子と額田王の贈答(巻第1-20・21)も雑歌に入っているので、歌意からくる秘められた恋の歌というわけではなく、公の行事である遊猟の際の宴でやり取りをして楽しんだものになります。

 雑歌のなかで最も多いのは旅の歌(羇旅歌)であり、それらは行幸従駕歌にとどまりません。これは旅が公的なものだったからであり、たとえば都人が地方官になって地方に赴任する時の歌や、公務によって地方に旅する官人が詠んだ歌などが含まれます。そして、そうした人たちによって都のことばや文化を地方に広める役割を果たしたといえます。

 雑歌は『古今集』以降の分類では、四季・羇旅・賀・物名などに当たります。『万葉集』巻第8・10に「春の雑歌」というように季節に基づいた分類をするものがあり、四季歌に直接つながっていることが分かります。そして、雑歌が公的な歌として扱われたことが受け継がれて、その後のいずれの勅撰集においても最初の部立てとして位置づけられています。

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古典に親しむ

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