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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1227~1231

訓読

1227
礒に立ち沖辺(おきへ)を見れば藻(め)刈り舟(ぶね)海人(あま)漕ぎ出らし鴨(かも)翔(かけ)る見ゆ
1228
風早(かざはや)の三穂(みほ)の浦廻(うらみ)を漕ぐ舟の舟人(ふなびと)騒(さわ)く波立つらしも
1229
我(わ)が舟は明石の水門(みと)に漕ぎ泊(は)てむ沖辺(おきへ)な離(さか)りさ夜(よ)更けにけり
1230
ちはやぶる金(かね)の岬を過ぐれどもわれは忘れじ志賀(しか)の皇神(すめかみ)
1231
天霧(あまぎ)らひ日方(ひかた)吹くらし水茎(みづくき)の岡(をか)の水門(みなと)に波立ちわたる

意味

〈1227〉
 磯に立って沖を見れば、海藻を刈り取る舟を海人が漕ぎ出したらしい。それに驚いて鴨が空高く飛び交っているのが見える。
〈1228〉
 風の激しい三穂の浦あたりを漕いでいる舟の舟人たちが騒ぎ立てている。波が立ち始めたのだろうか。
〈1229〉
 この舟は明石の水門に停泊しよう。沖の方へ漕ぎ離れるなよ、夜はもう更けたのだから。
〈1230〉
 神威の強い金の岬を無事に過ぎて行こうとも、私は忘れまい、志賀島の神様のおかげであることを。
〈1231〉
 空は霧がかかったように曇り、東風が吹いているのか、岡の港に波が押し寄せてきた。

鑑賞

 作者未詳の「覊旅(たび)にして作れる」歌5首。1227の「磯」は、石の多い海岸または岩礁。「沖辺」は、沖の方、沖のあたり。「藻刈り舟」は、海人が沖の海藻を刈り取る舟。「漕ぎ出(づ)らし」のヅはイヅの縮まったもの。「らし」は、確信的な推量の助動詞。「鴨翔る見ゆ」は、鴨が飛び交っているのが見える。「立ち・・・見れば・・・見ゆ」と、国見歌、国褒め詞章の伝統的な形式を用いています。視点が近景から遠景、水平から垂直へと大きく誘導される歌であり、静止画ではなく、朝の爽やかな空気の中で生き物や人間が活動し始める「動画」的な情景描写となっています。

 
1228の「風早の」は、風が激しく吹く地である、という意で「三穂」にかかる枕詞。「三穂の浦廻」は、和歌山県日高郡美浜町三尾付近の海岸。枕詞からは、この場所がもともと風の通り道であり、難所であることを予感させます。「舟人騒く」は、舟人たちが、あわただしく騒いでいる。「波立つらしも」の「らし」は推量の助動詞、「も」は詠嘆の終助詞。自然の急変に対する驚きと、舟人の身を案じる心が強調されています。

 
1229の「明石の水門」は、明石市明石川河口の船着場。明石海峡は古来、潮流が速い難所として知られていましたが、同時に避風港としての役割もありました。「ミト」は「ミナト」と同じ。「な離り」の「な」は禁止で、船頭に命じている形になっています。なお、この歌とそっくりで地名だけ異なる歌が巻第3-274にあります。「高市連黒人の覊旅の歌」のうちの一首で、こちらは琵琶湖西岸の比良の港。高市黒人の歌の方が先に作られたもので、この有名な歌人の旅の歌が、後の人々に愛誦され、地名だけ入れ替えた替え歌を生ませたものと考えられています。この明石の舟旅の一首を起点として、次に筑紫の舟旅の歌が続きます。

 
1230の「ちはやぶる」は、神意を強く表す意で枕詞に使われますが、ここは枕詞ではなく、「金の岬」の状態を表現したもの。「金の岬」は、福岡県宗像郡鐘の岬で、玄界灘に面する航海の難所。岩礁が多く波が荒いため、ここを無事に越えることは旅人にとって最大の関門の一つでした。「志賀」は、福岡市東区志賀島。「皇神」は、尊い神で、そこに祀ってある海神社の三座の神。船人の海神に対する信仰がきわめて深いものであったことは、現在の造船術・航海法が進んだ時代にあっても、讃岐の金刀比薙神社に対する信仰が盛んなことからも知られるところです。

 
1231の「天霧らひ」は、空一面がどんよりと曇り、あるいは激しい風で砂やしぶきが舞い上がって、視界が遮られている様子を表します。嵐を予感させる険しい気象条件を感じさせます「日方吹くらし」の「日方」は、日の方から吹く風で、東南風とされますが、異説もあります。「らし」は推量。「水茎の」は、瑞々しい茎が生えている意で「岡」の枕詞。「岡の水門」は、福岡県の遠賀川河口の港。大船が停泊できる良港で、古代から機械船ができる前まで要港として栄えたといいます。
 


作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。

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古典に親しむ

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