| 訓読 |
1237
静(しづ)けくも岸には波は寄せけるかこれの屋(や)通し聞きつつ居(を)れば
1238
高島(たかしま)の安曇(あど)白波(しらなみ)は騒(さわ)けども我(わ)れは家思ふ廬(いほ)り悲しみ
1239
大海(おほうみ)の礒(いそ)もと揺(ゆす)り立つ波の寄せむと思へる浜の清(きよ)けく
1240
玉櫛笥(たまくしげ)見諸戸山(みもろとやま)を行きしかば面白くしていにしへ思ほゆ
1241
ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)を朝越えて山下(やました)露(つゆ)に濡(ぬ)れにけるかも
| 意味 |
〈1237〉
実に静かに波は寄せているものだ。この旅宿の部屋の壁越しに外の音を聞いていると。
〈1238〉
高島の安曇川の白波が騒がしいけれども、私はただ家のことばかりを思っている、旅寝の床が悲しくて。
〈1239〉
大海の岩礁の根元を揺り動かさんばかりに波が打ち寄せる浜の、何と美しいこと。
〈1240〉
御室処山(みむろとやま)を行けば、その景色があまりに明るく清々しくて、はるか神代のことが思われる。
〈1241〉
黒髪山を朝越えして、山かげに落ちてくる露にしとどに濡れてしまったよ。
| 鑑賞 |
作者未詳の「覊旅(たび)にして作れる」歌5首。1237の「静けくも」は、実に静かに。「寄せけるか」の原文「縁家留香」はヨリケルカとも訓まれますが、波にはヨスの方が通例。「か」は、詠嘆の助詞。「これの屋通し」は、この旅宿(仮小屋)の壁越しに。危険の多い旅をしながら、夕刻になって陸地に上がり、夜のしじまの中で、岸を打つ浪音に耳を傾けています。前後が近江国の歌なので、琵琶湖で詠んだ歌とされます。窪田空穂は、「取材としてはじつに平凡きわまるものであり、詠み方も素朴に自然にいってあるだけで何の奇もないのであるが、この歌はじつに魅力をもったものである。・・・時代を超えうる作である」と評しています。
1238の「高島の安曇」は、滋賀県高島市の安曇川。「騒けども」は、川の波が騒がしいけれども。「家」は、家郷の妻。「廬り」は、旅人が夜寝るために設ける仮小屋。「悲しみ」は、悲しいので。この「~み」は、~なのでという原因・理由を表す語法。「白波は騒ぐ(外・客観・動)」と「我れは家思う(内・主観・静)」という対照的な構造になっており、読者の視線が、広い風景から一人の旅人の背中へと一気にズームインするように作られています。この歌は、人麻呂関係の旅の歌に2首の類歌・類想歌(巻第2-133、巻第9-1690)を持っています。
1239の「磯もと揺り」は、磯の岩礁の根元。波がただ岩に当たるのではなく、岩礁の土台そのものを揺さぶるような、海の巨大なエネルギーを感じさせます。「寄せむ」は「寄らむ」と訓むものもありますが、波の場合は「寄す」の方が通例。「寄せむと思へる」は、波が寄せようとしている(と思っているかのような)」という擬人化に近い表現。「清けく」は、形容詞「清し」のク語法で名詞形。この終止は『万葉集』では、~であることよ、という深い感動や詠嘆を表す際によく使われます。
1240の「玉櫛笥」の「玉」は美称、「櫛笥」は、櫛を入れる美しい箱で、「見」にかかる枕詞。櫛笥には身(み)と蓋とがあり、立派な櫛笥の身の意で、同音の「見」にかかります。「見諸戸山」は、奈良県桜井市の南東にそびえる三輪山とされます。「行きしかば」は、行ったところ。「面白くして」は、景色が明るく晴れやかで、心が惹かれる様子。感興の深い意。「思ほゆ」は、思われる。明日香から吉野方面への旅の歌と見られ、三輪山という大和でも指折りの聖地を舞台に、自然の美しさと歴史への敬意を瑞々しく歌い上げた作品です。
1241の「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「黒髪山」は、奈良市北部の黒髪佐保山にある小山。「山下露」は、山の木々の下、あるいは麓に降りている露。「濡れにけるかも」は、濡れたことだなあと強く詠嘆したもの。万葉集において「露に濡れる」という表現は、単に服が湿るという物理的な現象以上の意味を持ちます。それは、自然の懐に深く入り込んだ証であり、旅先での心細さや、自然との一体感を象徴する情緒的な表現です。そして、「濡れにけるかも」という詠嘆の結びには、不快感ではなく、朝の冷気の中で、たしかに今、自分は旅をしているのだという旅情への深い実感が込められています。この歌の魅力は、枕詞から始まる「黒・暗」のイメージと、早朝の「光や水」のイメージが鮮やかに交錯している点にあります。

『万葉集』クイズ
【解答】1.田辺福麻呂 2.大伴宿奈麻呂 3.大伴田村大嬢 4.藤原房前 5.児島 6.山上憶良 7.挽歌 8.柿本人麻呂 9.仏足石歌 10.略体歌
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