本文へスキップ

巻第7(索引)<万葉集(掲載歌の索引)<古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1251~1254

訓読

1251
佐保川(さほがは)に鳴くなる千鳥(ちどり)何しかも川原(かはら)を偲(しの)ひいや川(かは)上(のぼ)る
1252
人こそばおほにも言はめ我(わ)がここだ偲(しの)ふ川原を標(しめ)結(ゆ)ふなゆめ
1253
楽浪(ささなみ)の志賀津(しがつ)の海人(あま)は我(あ)れなしに潜(かづ)きはなせそ波立たずとも
1254
大船(おほふね)に楫(かぢ)しもあらなむ君なしに潜(かづ)きせめやも波立たずとも

意味

〈1251〉
 佐保川で鳴いている千鳥よ、いったい何を慕って、ますます川を上っていくのでしょう。
〈1252〉
 他人は何でもない川原のように言うけれど、私がこんなにも恋い慕っている川原なのです。標など結って入れないようには決してしないでください。
〈1253〉
 楽浪の志賀津の海人よ、私が一緒にいないときは水に潜るなよ。たとえ波が立たずに穏やかであっても。
〈1254〉
 大船とそれを動かす櫂がほしい。それがあったら、あなたがいない時に水に潜って漁などするものですか。たとえ波が立たなくても。

鑑賞

 1251・1252は「古歌集に出づ」という「鳥を詠む」問答歌。1251の「佐保川」は、奈良市・大和郡山市を流れる川。身近かつ風光明媚な地として平城京の人たちに愛されました。「鳴くなる」は、鳴いているのが聞こえる、という、耳で捉えた実感を伴う表現。「千鳥」は、川原や海岸などの水辺に棲んで、小魚を食べる小鳥の総称。実際のチドリ科のチドリは、小さな愛らしい鳥です。「何しかも」の「し」は強意、「か」は疑問、「も」は詠嘆の助詞。どうして~なのだろうか。「偲ひ」は、思慕して、賞美して。「いや川上る」は、ますます川を上っていく。

 
1252の「人こそば言はめ」の「人」は、他人。「こそ」+推量の助動詞「む」の已然形の係り結びであり、「こそ」は、あとに続く言葉との対比を際立たせます。ここは、(事情を知らない)他人こそが、いい加減なことを言うだろう(しかし、私は違う)という、世間と自分の情熱の差を強く打ち出しています。「おほに」は、おおよそに、いい加減に。「ここだ」は、こんなにも甚だしく。「標結ふ」は、縄を張るなどして、そこが自分の所有地であることや、聖域であることを示すこと。転じて、他人の立ち入りを禁じること。「な~ゆめ」は、強い禁止の表現。決して〜するな。

 この問答は実は恋の歌であり、人に憚るところがあるためか、男を千鳥に、女を川原に譬えて表現しているとされます。「佐保川」が出てくるのは、女が佐保川のほとりに住んでいるからでしょう。1251で、川原である女が、千鳥である男のさかんに言い寄ってくる気持ちを訝るのに対し、1252で、千鳥である男が、自分の強い気持ちを訴え、標を結うようなことは決してしないでくれと言っています。一方、そうした寓意はなく、人間から千鳥に問い、千鳥から人間に答えて歌い交わされたものとして、純粋に「鳥を詠む」歌として味わおうとする立場もあります。

 1253・1254は、同じく「古歌集に出づ」という「海人(あま)を詠む」歌で、小舟で漁をする海人と、その安全を気遣う保護者的立場の人との問答歌になっています。
1253の「楽浪」は、琵琶湖の西岸から南岸にかけての地。「志賀津」は、近江の大津にあった船着き場で、古くから水上交通の要衝でした。「我れなしに」は、私がいないのに、私抜きで。「潜きはなせそ」は、潜水して漁をするな。「な~そ」は、〜してくれるなという、柔らかいながらも強い禁止の呼応表現です。「波立たずとも」は、たとい波が立たなくとも。たとい湖面・海面が穏やかで、絶好の漁の条件が整っていたとしても、という意味。

 
1254は、前歌に対する返答になっており、「大船に楫しもあらなむ」の「楫」は、船を漕ぎ進めるための櫓、櫂などの道具。「し・も」は、ともに強意の副助詞。「あらなむ」の「なむ」は願望で、あってほしい、あればよいのに。全体で、大船にはぜひとも楫があってほしい、の意。「君なしに」は、あなたがいなくては、あなた抜きでは。「潜きせめやも」の「や」は反語で、潜きをしようか、しない。

 このやり取りには男女関係の寓意があると見られ、1253は「海人」を女に喩え、勝手なふるまい(浮気)をしないでほしいと訴えた男の歌で、1254は、女が「大船」にとっての「楫」を男に譬え、安心できる深い愛がほしい、つまり夫婦同棲を望んでいる歌だとされます。「大船に楫」という比喩は非常に強力であり、船は楫がなければ方向を失い、ただ漂うだけの木片に過ぎません。作者は、人生や行動の指針となる楫のような存在がほしいと告白しているのです。ただ、同じ作者によって作られた問答という見方もあり、宴席などで寓意を込めて詠まれたものだったのかもしれません。

 なお、1253の「海人」は原文「白水郎」という表記になっており、巻第7には古集、古歌集を中心に多く見られます(1167・1204・1245・1246・1253・1322)。これは中国の会稽郡(浙江省)白水郷(地方)を居住圏とする白水郎と呼ばれる水辺生活民の生態が、南路をとった遣唐使節団やそれに随行した留学僧一行によって見聞されたことによるといわれます。唐の文献によれば、白水郎らはつねに陸行せず、舟航に長じ、自在に水中を潜行する特技を持っていたとあります。
 


万葉集ゆかりの地(滋賀県)

  • 逢坂山
    「逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花に波立ちわたる」(巻第13-323)
    大津市と京都市の境の山。大化2年(646年)には畿内の北限とされ、平安以降は関所が置かれて、多くの歌詠があります。
  • 淡海の海
    「淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」(巻第3-266)
    「近江の海」すなわち琵琶湖のこと。国名の「近江」は、浜名湖のある「遠つ淡海」に対して「近つ淡海」の意から来たもの。
  • 蒲生野
    「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(巻第1-20)
    「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにあれ恋ひめやも」(巻第1-21)
    旧蒲生郡に相当し、現在の近江八幡市、東近江市、竜王町、日野町を含む広大な地域。
  • 唐崎
    「楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ」(巻第1-30)
    「楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも」(巻第1-31)
    琵琶湖西岸、大津市唐崎の唐崎神社の周辺。大津京の東北方。
  • 塩津山
    「塩津山打ち越え行けば我が乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも」(巻第3-365)
    琵琶湖北端の地、長浜市西浅井町塩津浜から敦賀に越えて行く国境の山で、難所として知られていました。「塩津浜」は、越前から運ばれてきた塩をここから都に湖上輸送したことからこのように呼ばれました。
  • 比良山
    「楽浪の比良山風の海吹けば釣りする海人の袖返る見ゆ」(巻第9-1715)
    滋賀郡志賀町西方、南北に連なる比良の山々。 

【PR】

UrutoraBonjinのAmazonのページ

『万葉集』関連の本をご紹介しています。