| 訓読 |
1272
大刀(たち)の後(しり)鞘(さや)に入野(いりの)に葛(くず)引く我妹(わぎも) 真袖(まそで)もち着せてむとかも夏草(なつくさ)刈(か)るも
1273
住吉(すみのえ)の波豆麻(はづま)の君が馬乗衣(うまのりころも) さひづらふ漢女(あやめ)を据(す)ゑて縫へる衣ぞ
1274
住吉(すみのえ)の出見(いでみ)の浜の柴な刈りそね 娘子(おとめ)らが赤裳(あかも)の裾(すそ)の濡れて行(ゆ)かむ見む
1275
住吉(すみのえ)の小田(をだ)を刈らす子(こ)奴(やつこ)かもなき 奴あれど妹がみためと私田(わたくしだ)刈る
1276
池の辺(へ)の小槻(をつき)の下の細竹(しの)な刈りそね 其(それ)をだに君が形見に見つつ偲(しの)はむ
| 意味 |
〈1272〉
太刀の切っ先を鞘に入れる、その入野で葛を刈り取っている妻は、両袖のついた葛の着物を私に着せようと思って夏草を刈っているのか。
〈1273〉
住吉の波豆麻のあの方の乗馬服は、わざわざ中国の女性を雇って縫わせた服なのですよ。
〈1274〉
住吉の出見の浜の柴は刈らないでくれ。乙女らが赤い裳裾を濡らしたまま行くのをそっと見たいと思うから。
〈1275〉
「住吉の田を刈っているそこのお若いの、働かせる奴(やっこ)はいないのかね」「奴はいますが、でも今は愛する人のためと思い、私自身で刈っているのです」
〈1276〉
池のほとりに生えているけやきの木のかげの篠は刈らないでください。それだけでも、あなたの形見として見て偲びたいから。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌(5・7・7・5・7・7)5首。『万葉集』には62首の旋頭歌があり、うち35首が『柿本人麻呂歌集』に収められています。これらは作者未詳歌と考えられており、万葉の前期に属する歌とされます。旋頭歌の名称の由来は、上3句と下3句を同じ旋律に乗せて、あたかも頭(こうべ)を旋(めぐ)らすように繰り返すところからの命名とする説がありますが、はっきりしていません。その多くが、上3句と下3句とで詠み手の立場が異なる、あるいは、上3句である状況を大きく提示し、下3句で説明や解釈を加えるかたちになっています。
1272の「太刀の後鞘に」は、太刀を鞘に通して収める意で「入り」と続き、「入野」を導く8音の序詞。「入野」は、奈良県あるいは三重県など諸説ある地名。「真袖もち」は、両袖を付けて。「葛引く」は、織物の繊維にするための葛を取る意。「着せてむとかも」の「てむ」は、意志の強め。「かも」は、疑問。(私に)着せてくれようとするためなのかという、期待と喜びが混じった推量。「夏草刈るも」は「葛引く」を言い換えたもの。厳しい夏の労働を「愛の証」として捉え直している、明るく健康的な恋歌です。大刀の鞘という物々しい導入を使いながらも、中身は「自分のために頑張ってくれているあの子が愛おしい」という、微笑ましいメッセージが込められています。あるいは、葛を引き刈る作業をしている女たちに歌いかけた戯れ歌ではないかとも言われます。
1273の「住吉」は、現在の大阪市住吉区を中心とした一帯で、万葉時代から港として知られ、また渡来人が多く住んでいました。「住吉」は平安時代になってスミヨシと訓むようになりましたが、奈良時代以前はスミノエと訓んでいます。「波豆麻」は不明で、人名または地名とされます。「馬乗衣」は、乗馬服。「君」と呼ばれる男は、その地の領主というべき人か あるいは洒落男か、さぞや豪華な乗馬服を着ていたのでしょう。「さひづらふ」は、鳥がさえずるように意味の分からないことをしゃべる意で、「漢」の枕詞。「漢女」は、中国から朝鮮半島を経て渡来した漢(あや)氏の女性で、先進技術としての機織りや裁縫、染色にすぐれていました。他人から、それはどういう衣かと尋ねられたのに対し、誇りをもって自慢した歌のようです。
1274の「出見の浜」は住吉神社の西の海岸とされますが、現在は埋め立てられていて具体的な所在は分かりません。「柴な刈りそね」は、柴を刈ってはいけない。「な〜そ」の禁止表現に「ね(念押し)」がついた形です。「裳」は、女性が腰から下に着た衣装。赤色がふつうで、未婚の若い女性の正装であり、『万葉集』では若さと美しさの象徴とされています。もともとは官女の装いだったようです。男が、出見の浜で柴を苅っている人に言いかけた形ですが、実際にそうしたというわけでなく、そう思ったというにすぎないもので、いわゆるスケベ心の吐露です。乙女らが裳裾を濡らして下半身にまとわりつかせながら歩く姿は肌が透けて見え、ずいぶん色っぽく見えたのでしょう。「出見の浜」の地名には、覗き見の意が寓されているのかもしれません。
1275の「小田」の「小」は、接頭語。「刈らす」は「刈る」の敬語。「子」は、親しみを持って若い男や女を呼ぶ語で、多くは女への愛称ですが、ここでは稲を刈る青年を指しています。「奴」は、個人の家に隷属している下部(しもべ)。「私田」は、私有の田地。位田、賜田、口分田、墾田など。公の許可を得て開墾した田は、一定期間その人の私有とすることができました。ただし、それができるのは有力者で、そのような家には奴もいました。この歌は、通りかかった人が、身分ある若い人が自ら稲苅りをしているのを見て、奴はいないのかと訝かりながら問いかけた片歌と、それに対して、恋人の為に、奴を使わず自分がしているのだと答えた若い人との片歌を組み合わせ、その問答を一首としている戯笑歌です。
1276の「小槻が下」の「小」は接頭語で、けやきの木の下のかげ。けやきは神聖な樹木で、斎槻(ゆつき)とも呼ばれます。「な~そね」は、~しないでほしい。「其れをだに」は、それだけでも。「形見」は、近くにいない人の身代わりに見る物。池の辺の細竹を形見にするというのは、それまで人目を避けて密会したことの記念にするという意味です。男に逢えなくなったのは、疎遠になったのか、遠くに去ったのか、あるいは死んだのか、その理由は分かりません。

『柿本人麻呂歌集』について
『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。
この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。
ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。
文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

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