| 訓読 |
1277
天(あめ)にある日売菅原(ひめすがはら)の草な刈りそね 蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に芥(あくた)し付くも
1278
夏蔭(なつかげ)の妻屋(つまや)の下(した)に衣(きぬ)裁(た)つ我妹(わぎも) うら設(ま)けて我(あ)がため裁(た)たばやや大(おほ)に裁て
1279
梓弓(あづさゆみ)引津(ひきつ)の辺(へ)なる名告藻(なのりそ)の花 摘(つ)むまでに逢はずあらめやも名告藻の花
1280
うちひさす宮道(みやぢ)を行くに我(わ)が裳(も)は破(や)れぬ 玉の緒(を)の思ひ乱れて家にあらましを
1281
君がため手力(たぢから)疲れ織りたる衣(きぬ)ぞ 春さらばいかなる色に擢(す)りてば良けむ
| 意味 |
〈1277〉
天にある日に因む、この日賣菅原の草を刈らないでくれ。美しいあの子の黒髪にゴミが付いてしまうではないか。
〈1278〉
夏の繁った木陰にある妻屋の下で衣を裁っているわが妻よ。私のために心づもりして裁っているのなら、もう少し大きめに裁ってくれ。
〈1279〉
この引津の辺りに咲いているという名告藻の花よ。その花を摘むまでは逢わないということがあろうか、名告藻の花よ。
〈1280〉
あの人に逢えるかと都大路を行き来しているうちに、私の裳裾はすり切れてしまった。こんなことなら、思い乱れても家にじっとしていればよかった。
〈1281〉
あなたのために腕も疲れて織った着物です、春になったらどんな色に染めたらよいでしょう。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌5首。1277の「天にある」は、天上にある日の意で「日売菅原」にかかる枕詞。「日売菅原」は、地名か、あるいは姫菅(ひめすげ:カヤツリグサ科の多年草)の生える野原の意か。ここでは共寝をする場所として言っています。「草な刈りそね」の「な~そね」は、願望的な禁止。「蜷の腸」は「か黒き」の枕詞。蜷は、食用のタニシ、カワニナなどの淡水生の巻貝のことで、その腸(はらわた)が黒いのでかかります。「か黒き」の「か」は、接頭語。「芥」は、ごみ。「し」は、強意の副助詞。前句で「天にある日売菅原」といって天上世界の聖婚の場を想起させながら、後句では草を刈ってはならない理由を、共寝する女の髪に芥、すなわちゴミがつくからと卑俗的なことを言っており、前句と後句の落差に面白さのある歌となっています。
1278の「夏蔭の」は、夏の枝葉の繁った木陰にある。「妻屋」は、夫婦の寝室。母屋の脇に建てた別棟の部屋のことで、静かなプライベート空間を指します。「夏蔭」「妻屋」という言葉から、夏の盛りの、風の通る静かな室内が思い浮かびます。「衣裁つ」は、布を切って衣服を仕立てること。「うら設けて」の「うら」は心で、心づもりしての意。「我がため裁たば」は、我が着るために裁つならば。「やや大に裁て」は、もう少し大きめに裁ってくれ。夫のために衣を仕立てている妻へ呼びかけたもので、若い夫婦間のやさしい情愛が漂っています。『万葉集』の中でも特に「生活の匂い」がする、温かな恋歌であり、「裁つ・裁た・裁て」の反復も快く響きます。ただ、違った解釈もあり、新婚らしい女の裁縫仕事を見た第三者の男が、夫を気取って、「私のためならもう少し大きめに裁ってくれ」と、からかった歌だとするものもあります。とすると、この男の体は夫より少し大柄だったのでしょう。
1279の「梓弓」は、引くと続いて「引津」にかかる枕詞。「引津」は、福岡県糸島市の入海。天平8年の遣新羅使たちも、そこの港に停泊して歌を作っています。「辺なる」は、辺りにある。「名告藻の花」の「名告藻」は、海藻のホンダワラの古名。集中16例あり、同音で名を告るの序や枕詞に用いられています。上代の風習では女が男に自分の名を告げるのは結婚の承諾を意味しましたから、ここは、軽率に名を告るなと親から言い含められている女を譬えています。「花摘むまでに」と、名告藻は花は咲かないのにこのように言っているのは、ありえないことで、いつの日にかはという意の譬喩。「逢はずあらやも」は反語で、逢わないということがあろうか、逢う。窪田空穂は、「旅人としてその土地の女と関係を結んだ男が、女と別れる際、別れかねる心をもっていったものである。『莫告藻の花』は、含蓄をもった巧妙な譬喩である。一見平凡にみえるが、すぐれた歌才を示しているものである」と述べています。
1280の「うちひさす」は、日の光の輝きに満ちたという意で「宮」にかかる枕詞。「うち」は、一面にの意の接頭語か。「宮道」は、都の中の道、あるいは皇居へ通う道。「玉の緒の」は「乱れ」の枕詞。玉を貫き通した緒が絶えて玉が乱れる意でかかります。「思ひ乱れて」は、愛する男性(大宮人)に恋い焦がれるあまり心が千々に乱れて、の意。前半の「宮道を行く」のが、その男性に逢いたい気持ちからだったことが分かります。「あらましを」は、後悔と嘆きを伴う反実仮想の表現で、いればよかったのに。
1281の「手力」は、腕の力。「疲れ」は、労苦を訴えるものではなく、愛する人のために骨折って織り上げた女性の楽しい気持ちを表現したものです。「春さらば」は、春になったら。「さる」は、物が移動することを表し、遠のく場合にも近づく場合にも用いられます。「摺りてば」の「摺り」は、摺り染め。当時は草花の汁を布に直接こすりつけて染める「擦り染め」が一般的でした。「良けむ」は、良いであろうか。若い妻が夫のために機を織り上げた時の歌、あるいは機織りをしながら女が歌った労働歌謡でしょうか、春になったらこう染めようかしら、ああしようかしらという計画も、明るい希望に満ちています。なお、「いかなる色に」の原文は「何々」で、本居宣長が「何色」の誤りだと指摘するまでは「いかにいかに」と訓読していました。これについて詩人の大岡信は、「旧訓のほうがこの若い女の胸躍らせて言う口調にふさわしいように思われ、魅力を感じる。『いかなる色に』は、論理的で、その分、心躍りそのものの表現としては『いかにいかに』に劣っているように思われる」と言っています。

略体歌について
『万葉集』に収められている『柿本人麻呂歌集』の歌は360首余ありますが、そのうち210首が「略体歌」、残り150首が「非略体歌」となっています。「非略体歌」とは、「乃(の)」や「之(が)」などの助詞が書き記されているスタイルのものをいい、助詞などを書き添えていないものを「略体歌」といいます。
たとえば巻第11-2453の歌「春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ」の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、わずか10文字という、『万葉集』の中でも最少の字数で表されています。上掲の1281番の旋頭歌も、「公為手力労織在衣服叙春去何々摺者吉」という表記で、日本語の語順に合わせた「てにをは」がほとんど書き込まれていないことがわかります。
このような略体表記の歌の贈答(相聞往来)が実際になされたとすると、お互いに誤読や誤解釈のリスクがあったはずです。その心配がなかったとすれば、男女双方の教養が、同化して一体のレベルにあり、省略した表記を、双方が十分理解できていたことになります。一方で、秘密の書簡往来を行っていた証で、他者からの読解を防いでいたということなのかも知れません。後で人麻呂が歌を編集したときの独特な表記方法だとみる解釈があるものの、非略体表記も存在しているので、説得力に乏しく、略体歌の存在は今も謎となっています。
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