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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1282~1286

訓読

1282
梯立(はしたて)の倉橋山(くらはしがは)に立てる白雲 見まく欲(ほ)り我(わ)がするなへに立てる白雲
1283
梯立(はしたて)の倉橋川(くらはしがは)の石(いし)の橋はも 男盛(をざか)りに我(わ)が渡りてし石の橋はも
1284
梯立(はしたて)の倉橋川(くらはしがは)の川の静菅(しづすげ) 我(わ)が刈りて笠にも編(あ)まぬ川の静菅
1285
春日(はるひ)すら田に立ち疲(つか)れ君は悲しも 若草(わかくさ)の妻なき君が田に立ち疲る
1286
山背(やましろ)の久世(くせ)の社(やしろ)の草な手折(たを)りそ 我(わ)が時と立ち栄(さか)ゆとも草な手折りそ

意味

〈1282〉
 倉橋山にわき立つ白雲を見たいなあと思っていたら、ちょうど白雲がわき立ってきたよ。
〈1283〉
 倉橋川の飛び石の橋はなあ、私が若い頃に、あの子の家に通うために渡ったあの飛び石の橋はなあ。
〈1284〉
 倉橋川の川のほとりに生えている静菅よ、私が刈って笠も編まずにそのままにした川の静菅よ。
〈1285〉
 村人がみんなで遊ぶこんな日にさえ、田に立って働き、疲れ切ったあんたは哀れなことよ。かわいい妻もいないあんたは、一人っきりで立ち働いて疲れきっている。
〈1286〉
 山背の久世の神社の草は手折ってはならない。たとえあなたが我が世の盛りとばかり栄えていても、神社の草だけは手折ってはならない。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌5首。1282の「梯立の」は、高床式の倉に梯子(はしご)を立てたところから「倉」にかかる枕詞。「倉橋山」は、奈良県桜井市にある音羽山(標高852m)。崇峻天皇の倉橋柴垣宮があったとされる歴史ある場所です。「立てる白雲」は、わき立つ白雲よ、の意。「見まく欲り」は、見たいと思って。「なへに」は、~と同時に、ちょうどその時。「立てる白雲」というフレーズを最初と最後に置くことで、作者の視線が終始、山の雲に釘付けになっている様子が伝わります。見たいと思っていた自然現象を、希望通りに目にした時の感動の歌と解しましたが、一方で、今は逢うことのできない人を偲んで白雲に呼びかけた歌とする見方もあります。古代には雲は霊魂の象徴とされ、雲を見て人を偲ぶ歌が多くあります。

 
1283の「倉橋川」は、桜井市の多武峰から倉橋を経て初瀬川に合流する川。「石の橋」は、川の浅い場所に石を並べて橋にした踏み石。「はも」は、ここでは回想の意を持つ終助詞。「男盛り」は、心身とも充実した若い盛りの時。昔、自分が軽々と飛んで渡った石橋は、今はもうなくなってしまった、あるいは、今は若さを失って飛べなくなったという、いずれかの感慨の歌と見えます。前歌と同様に、最初と最後を「石の橋はも」という同じ言葉で挟む形式をとっています。この繰り返しによって、読者は作者と一緒に橋をじっと見つめているような臨場感を味わうことができます。

 
1284の「静菅」は、菅の一種ながら、どういう特色のあるものかは不明ながら、「しづ」は「静か(水流が穏やかな場所)」、あるいは「沈(しづ)む」の意を含み、しなやかで良質な菅を指すようです。ここは女の喩えで、しかも、お高くとまって乱れることなくとり澄ましている女を譬えているとされます。「我が刈りて笠にも編まず」は、自分で刈り取っておきながら(実用的な)笠として編み上げもしない、の意ですが、ここでは菅を刈ることは女を我が物にする意の譬え、編むことは女と夫婦になることの譬え。以前、この土地の女で、妻にしようと思いながらそのままにしてしまったことを譬えて思い出している歌とされますが、そんなにお高くとまっていると結婚相手ができないぞと揶揄している歌にも感じられます。

 
1285の「春日すら」は、たのしい春の日でさえもなお。「春日」は、豊作を予祝し、村中が農事を休んで春山の歌垣で遊ぶ日のこと。「田に立ち疲れ」は、田植えや田の手入れなどの農作業で、立ちっぱなしで疲れ果てて、の意ですが、「立つ」という語は、歌垣における一種の慣用語でもありましたから、「歌垣に立つ」ことをせずに「田に立つ」という意味が込められています。「悲しも」は、悲しいというよりは、切ない、気の毒だ、いたわしい、というニュアンス。「若草の」は「妻」の枕詞。若草の柔らかく初々しいさまを「妻」に譬えたもの。「妻なき君し」の「し」は、強意の副助詞。春の歌垣に参加しない(節句働きの?)独身の農夫をからかっている、あるいは同情している歌謡風の歌です。

 
1286の「久世の社」は、京都府城陽市久世にある神社。「草」は、神域に生えている草。万葉の時代、神域の木々や草花には神が宿ると信じられており、道端に生えている草と同じに見えても、神域のものは神の所有物であり、人間が勝手に手を触れることは許されないタブーでした。ここは神に仕える巫女あるいは人妻に譬えています。「草な手折りそ」の「な~そ」は、禁止。「手折る」には、自分のものにする、の意があります。「我が時と立ち栄ゆとも」は、我が盛りの時と栄えていようとも。上掲の解釈ではこの主語を、草を手折ろうとする男としましたが、草(女)を主語として、たとい美しく栄えていようとも折り取ってはならない、と解するものもあります。
 


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