本文へスキップ

巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1287~1290

訓読

1287
青みづら依網(よさみ)の原に人も逢はぬかも 石走(いはばし)る近江県(あふみがた)の物語(ものがた)りせむ
1288
水門(みなと)の葦(あし)の末葉(うらば)を誰(た)れか手折(たを)りし 我(わ)が背子が振る手を見むと我(わ)れぞ手折りし
1289
垣越(かきご)しに犬呼び越(こ)して鳥猟(とがり)する君(きみ) 青山(あおやま)の茂(しげ)き山辺(やまへ)に馬(うま)休め君
1290
海(わた)の底(そこ)沖つ玉藻(たまも)の名告藻(なのりそ)の花 妹(いも)と我(あ)れとここにしありと名告藻の花

意味

〈1287〉
 この依網の原で、誰か人に出くわさないものか。そしたら、近江の国の物語りをしように。
〈1288〉
 港の葦の葉先を誰が手折ったのか。いとしいあの人が振る手を見ようと思って、私が手折ったのです。
〈1289〉
 垣根の外から犬を呼び寄せて鷹狩をする若君よ、青山の葉が茂る山のほとりで馬を休めなさい、君よ。
〈1290〉
 沖の彼方に靡く美しい名告藻の花よ、愛しいあの子と私とがここにいたとは人には言うなという名の花よ。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌(5・7・7・5・7・7)4首。1287の「青みづら」は、語義に諸説あるものの、地名「依網」の枕詞で、かかり方は未詳。「依網の原」の「依網」は、諸所にあり未詳ながら、現在の大阪市住吉区から松原市付近にかけて広がっていた平原(依網池の周辺)とする説があります。「人も逢はぬかも」は、誰か人が来合わせないものか。「石走る」は「近江」の枕詞ながら、かかり方未詳。「近江県」は、現在の滋賀県(近江国)一帯。「物語せむ」は、物語をしよう。男が誰かに話したいという物語の内容は不明ですが、詩人の大岡信は、そこがまた魅力だと言っています。窪田空穂も、「怪しいまでに印象が強く魅力的であるために、何事かを連想せずにはいられないような歌である」と言っています。

 
1288の「水門」は、水の出入り口の意で、河口のこと。船の停泊する港でもあります。「葦の末葉」は、葦の葉の先端。「誰れか手折りし」は、誰が折ったのか、という問いかけ。疑問の「か」+過去の助動詞「き」の連体形「し」による係り結びになっています。「見むと」は、見ようと思って。「我れぞ手折りし」は、(他の誰でもない)私が折ったのです、という強調。こちらも、強調の「ぞ」+「し」による係り結び。旋頭歌の原始形態である男女のかけ合いの形を残す歌であり、前半が港から旅立つ男、後半が名残を惜しみながら男を見送る女との唱和だろうとされます。

 
1289の「垣越しに」は、家の垣根越しに。「犬呼び越して」は、猟犬を呼び寄せて。「鳥猟」は、トリカリの縮まった語で、鷹狩りのこと。「青山」は、緑の木々が生き生きと茂っている山。「馬休め君」は、「馬を休ませなさい、あなた」という呼びかけ。土地の豪族の若君が犬を連れて鷹狩をしており、その犬が主人より先に走って行き、どこかの家の敷地内に入り込んでしまったのでしょう。追いかけてきた主人は垣根越しに犬を呼び戻そうとしています。その家に住んでいたのが作者の女性だったらしく、憧れの若君にお近づきになれる絶好のチャンスと見て、この辺で休憩されてはいかがですか、と呼びかけている誘い歌です。もともとは女集団の労働歌に近いものだったようです。なお、人間にとってもっとも身近な動物だったはずの犬は、『万葉集』には3例しか見えません。うち1例は単なる喩えに歌われているだけなので、犬そのものを歌っているのはこの歌を含めて2例しかありません。

 
1290の「海の底」は「沖」の枕詞。「沖つ玉藻の」の「つ」は、上代のみに用いられた古い連体格助詞。「玉」は美称。沖合に生えている美しい藻の、の意。以上2句は「名告藻」の修飾。「名告藻」は、ホンダワラという海藻の古名。「なのりそ」の「なのり」は「名告り」の意にも用いますが、ここでは(二人がここで逢ったことを)人には言うな、の意に用いています。「名告藻の花」とあるのは、本来、海藻に目立つ花はありませんが、ここでは波間に浮かぶ気泡や、あるいは恋の成就という華やかな状態を象徴的に表現しています。

 この歌について、
窪田空穂は次のように解説しています。「男女人目を避けて海辺で密会をしている時の男の歌という形のものである。上代の男女生活にあっては、こうした方法での密会は稀れなことではなく、むしろ一般的なものであった。また海草のなのりそに、な告りそ、すなわち秘密にせよの意を懸けることも一般化されていた。この歌はそれらの上に立ってのもので、そして詠み方も平明なものであるから、謡い物としての典型的なものである。詠み方は平明なばかりでなく、同時に美しく婉曲で、謡い物の率直と露骨を好む傾向とは距離のあるものである。言いかえると謡い物の文芸化されたものである。その意味において注意される歌である」。
 


『万葉集』に詠まれた動物

1位 馬 88首
2位 鹿 63首
3位 猪(しし) 15首
4位 鯨魚・勇魚(いさな) 12首
5位 牛 4首
6位 むささび 3首
6位 犬 3首

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。