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巻第7(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第7-1295~1298

訓読

1295
春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に月の舟(ふね)出(い)づ遊士(みやびを)の飲む酒杯(さかづき)に影に見えつつ
1296
今作る斑(まだら)の衣(ころも)は面影(おもかげ)に我(わ)れに思ほゆ未(いま)だ着ねども
1297
紅(くれなゐ)に衣(ころも)染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
1298
かにかくに人は言ふとも織(お)り継(つ)がむ我(わ)が機物(はたもの)の白き麻衣(あさごろも)

意味

〈1295〉
 春日の三笠の山に、船のような月が出た。みやび男たちが飲む酒杯に、その影を浮かべながら。
〈1296〉
 今作っている斑模様の美しい着物は、その美しい仕上がりが、私の目の前にちらついて見えるほどに思われる。まだ着ることはできないけれど。
〈1297〉
 紅に衣を染めようと思うのですが、それを着て匂い立つように照り映えたら、世間の人に知られてしまうでしょうね。
〈1298〉
 あれこれと人は言い騒ぐでしょうけど、私は織り続けます。私の機(はた)にかけて織っているこの白麻の着物を。

鑑賞

 1295は作者未詳歌。「春日なる」は、春日にある。「御笠の山」は、平城京から見て東にある山なので、月の出を待つ山。「月の舟」は、三日月の比喩で、月の形が舟に似ているところから。「遊士」は、風流を解する人、宮廷の洗練された文人・貴族。「影に見えつつ」の「影」は光や姿のこと。盃に注がれたお酒の表面に空の月が映り込んでいる様子。巻第7の「旋頭歌」の部の最後におかれたこの一首は、『柿本人麻呂歌集』からの歌や作者未詳歌が多い中にあって異彩を放つ歌となっています。庶民生活の味わいが濃く出ていた人麻呂歌集の歌とは違い、繊細美を愛する貴族趣味が横溢しています。詠まれた時代も奈良時代であり、歌の趣きからも明らかです。大伴家持の周辺の人々を思わせるもので、あるいは家持の作かもしれないといわれています。

 都(みやこ)にあって、都のもつ雰囲気や情緒を備えたものが「みやび」とされ、都会的文化を象徴する言葉になってきます。それは人にもあてはまり、「みやび」を備えた男を『万葉集』では「みやびを」と呼んでいます。この歌も、船のかたちに見える月の影を杯に浮かべて飲もうというのですから、実に風流な宴会をやったものです。

 1296~1298は『柿本人麻呂歌集』から「衣(ころも)に寄する」歌3首。
1296の「斑の衣」は、花で摺った濃淡のある斑染めの衣。当時の晴れ着として目を引くものだったようで、ここでは懸想をしている年ごろ前の少女に譬えています。「面影に我れに思ほゆ」は、私には面影として目の前にちらつくほどに思われる。「未だ着ねども」は、まだ着ていないけれども。まだ共寝をしていないけれども、の意の譬喩。年ごろになりかかっている美しい娘との結婚を期待している男の歌とされます。

 
1297は、「紅」は、ベニバナの花を染料として染めた色で、華やかな派手な色。「染めまく欲しけども」の「染めまく」は「染めむ」のク語法で名詞形。染めたいと思うけれど。「着てにほはばか」の「にほふ」は、色が美しく照り映える意で、「か」は疑問の係助詞。思う人と共寝をしてその喜びが素振りに出たら、の意を含んでいます。「人の知るべき」は、世間の人が知ってしまうだろう(それは困る)。反語的なニュアンスを含み、秘密の恋が露見することへの恐れを表現しています。「べき」は「か」の結びの連体形。思う男と結ばれたいと思いながらも、他人の目を気にしている女の気持ちを歌った歌とされますが、「衣」を女の比喩と見れば、男の歌となります。

 
1298の「かにかくに」は、あれこれと、とやかく。「人は言ふとも」は、周囲の人が非難して言おうとも。「織り継がむ」の「む」は意志の助動詞で、織り続けていこう。「我が機物」は、自分の機(はた)で織っている布のこと。「白き麻衣」は、染める前の清らかな白い麻の服で、男の譬え。その麻衣を機で織り続けると言って、ずっと思い続けようという女の気持ちを歌っています。「白き麻衣」と言っているのは、素朴で純粋な男を意味しているのでしょうか。結句は字余りですが、句中に単独母音アを含んで準不足音句になるので7音節となります。
 


『万葉集』の字余り句

 和歌(短歌)は、5・7・5・7・7の31文字を定型としますが、5文字が6文字に、7文字が8文字に超過する句がある場合は「字余り」と呼ばれます。近代以降の和歌にも字余りを詠みこむ例がありますが、それらの字余りに特段の法則があるわけではありません。しかし、『万葉集』など古代の字余りには一定の法則が認められ、それを発見したのは、江戸時代後期の国学者、本居宣長です。すなわち、句中に「あ・い・う・え・お」のいずれかの単独母音を含むと字余りをきたすというものです。上の歌(1298)でいえば、結句の途中に母音アを含む8文字の字余りになっています。この場合、アが準不足音句になるので、7音節と見るのです。

 もっとも、句中に母音音句を含めば、すべてが字余りになるかというとそうではなく、非字余りの句も存在します。また、従来、母音音句を含まず字余りで訓まれてきたものを、諸氏の本文批判や訓法によって5・7文字に改訓されてきた中にあって、母音音句を含まずに字余りと認められるものも僅かながら存在しています。

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