| 訓読 |
1299
あぢ群(むら)のとをよる海に舟(ふね)浮(う)けて白玉(しらたま)採(と)ると人に知らゆな
1300
をちこちの礒(いそ)の中なる白玉(しらたま)を人に知らえず見むよしもがも
1301
海神(わたつみ)の手に巻き持てる玉ゆゑに礒の浦廻(うらみ)に潜(かづ)きするかも
1302
海神(わたつみ)の持てる白玉見まく欲(ほ)り千(ち)たびぞ告(の)りし潜(かづ)きする海人(あま)
1303
潜(かづ)きする海人(あま)は告(の)れども海神(わたつみ)の心し得ねば見ゆといはなくに
| 意味 |
〈1299〉
あじ鴨が群れてしきりに波が寄せる海に、舟を浮かべて真珠を採るのを、決して人に知られないように。
〈1300〉
あちこちの海辺の石の中にひそむ美しい玉(真珠)を、どうかして他人に知られず見ることができないだろうか。
〈1301〉
海の神が手に巻き付けている美しい玉(真珠)、その美しい白玉を採りたくて、私は岩の多い海辺で水に潜っているのだ。
〈1302〉
海の神が持っているというあの尊い真珠を、どうしても見たいと思って、何度も何度も神に祈り、名を名乗って、潜り続けている海人よ。
〈1303〉
水に潜って真珠を取ろうとする海人は、何度も告り言をするけれども、海の神のお許しが得られなければ出逢えないというではないか。
| 鑑賞 |
1299・1300は『柿本人麻呂歌集』から「玉に寄する」歌2首。1299の「あぢ群」は、アジガモの群れ。「とをよる海」は、揺れ動く海のことで、人々が立ち働いている里、あるいは、あれこれ噂する世間を譬えています。「舟浮けて白玉採ると」は、舟を浮かべて真珠と採るのを、で、「白玉」は美女の譬えで、男が公然と美しい女のもとへ通ってくることを譬えています。「人に知らゆな」は、人に知られないように、覚られないように。「人」は、世間の人。「ゆ」は、受身の助動詞。「な」は、禁止の終助詞。世間の目を憚らない男に対して、第三者の立場から戒めている歌とされます。
1300の「白玉(真珠)」は、尊く美しい女、「をちこちの磯」は、その白玉を厳しく取り巻いて護っている人々を意味しており、作者は近づきがたい高い身分の女に恋しています。そうした女性はずっと家の中にいたため、男は垣間見(かいまみ)、ありていに言えば「のぞき見」するよりほかなかったのです。それにしても「をちこちの」と言っていますから、ひょっとしたら「のぞき趣味」の男が詠んだ歌かもしれません。「見むよし」は、見る方法。「もがも」は、願望。
1301~1303は、同じく『柿本人麻呂歌集』から「玉に寄する」歌3首。1301の「海神の手に巻き持てる玉」の「海神」は、海(わた)つ神、すなわち海の神。後にはワタツミが海を指すようになり、海の神は「わたつみの神」と言うようになります。「手に巻き持てる玉」は、その神が手に巻き付けて離さないほど大切にしている真珠。親が大事にしている娘を譬えています。「礒の浦廻」は、岩場の多い海岸の、入り組んだ場所。足場が悪く、波も荒い、困難な場所を指します。「潜き」は、真珠を採るために海に潜ること。「かも」は、詠嘆。ここでは、困難を承知で、命がけで(あるいは必死に)恋の成就のために奔走している様子を象徴しています。
1302の「見まく欲り」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。「欲り」は、願い望む意の動詞「欲る」の連用形。「千たびぞ告りし」の「千たび」は、何度も何度も。「告る」は、神に対して自分の名前や願いをはっきりと口にすること(名乗り)や、祈願することを指します。強調の助詞「ぞ」+過去の助動詞「き」の連体形「し」による係り結びとなっています。この歌は前歌と連作の関係になっており、第三者が男の行動を解説するように歌い継いでいるものです。
1303の「告れども」は、何度も祈り名前を名乗って誠意を尽くしているけれど。「海神の心し得ねば」は、親の許しが得られないので、の意の譬喩。「心を得」は、相手の承諾を得る、あるいは気に入られること。「し」は、強意の副助詞。「見ゆといはなくに」は、娘に逢うことができるとは誰も言わない、の意。「なくに」は、文末にあって詠嘆を含んだ打ち消しの表現で、「〜してくれないのになあ」という深い嘆きが込められています。これも第三者の歌。
『万葉集』には、海人(あま)を詠んだ歌は66首あります。折口信夫によれば、古代日本では「天(あま)」と「海」は同一視されていたといいます。漁労民をいう「海人」と「天」が同じ「アマ」の音を持つことがその証左とされ、古代の神話的世界観では「天」と「海」が共に「国」の対とされていることからも、その共通性が窺えます。「海」は遠い沖の果てで「天」の壁のそびえ立つ場所と接しているとされていたのです。

わたつみ(海神・海若)
ワタ(海)+ツ(格助詞)+ミ(霊格を示す接尾語)で、『万葉集』では海の神、あるいは海そのものとして詠まれる。ウミ(海)が「近江の海」「伊勢の海」のように、「地名+ウミ」と表現されるのに対し、ワタツミには地名は冠されない。これはワタツミが、元来「海の神」をあらわす語であることを示していよう。
「わたつみの」は、オキ・オク(沖・奥)の枕詞でもある。これは海神が、遠く離れた沖の宮に居るとされたことによる。またワタツミのいる沖は「海界(うなさか)」と称されるように、異界とつながっていた。ワタツミは、「神代記」一書ではトヨタマビコのこととされ、その娘たちもトヨタマビメ、タマヨリビメと呼ばれているように、玉との結びつきが強い。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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